始まりは古書店で

「――失われた世界を追う学者、ラブライト・サフィール、か。なるほどね」


 とある午後の昼下がり。


 窓に打ち付ける雨音を背後に、僕は自分の古書店で親友が最近書き始めたという本の冒頭を読んでいた。


 ただ、本といってもおよそちゃんと出版されているものとはかけ離れているものだ。


 見た目は異国風の装飾が施された重厚な洋書だけど、表紙や背表紙に文字はなにも書かれていない。


 中身もほとんどがまっさらな白紙で、埋まっている一割もない部分は手書きの文字である。


「その、どうかな?」


「まだ『はじめに』の所しか読んでないけど、ラブライトらしい書き出しだなーって」


「えーっと、褒め言葉だと思っていいのかな、それ」


「うん、一応褒めてるつもりだよ。って、そんなことより――」


 若干照れながら頬を掻く彼女に視線を向ける。


「あの、やっぱりタオルかなにか持ってこようか?」


 彼女の長い髪の毛と夏らしいワンピースは濡れてびしょびしょだった。


 ゲリラ豪雨が多いこのシーズン。

 ここに来るまでに彼女が雨に降られたのは疑いようもない。


 彼女が店に入ってきた時に同じことを聞きはしたのだけど、そんなことより早く感想をと本を見せられ今に至る。


 まだまだ残暑が厳しい九月上旬。

 冷房が良く効いたこの小さな店内では風邪を引かせてしまうだろう。


「――クシュッ」


「ほら、言わんこっちゃない」


「あはは……。やっぱりタオル借りてもいいかな?」


 恥ずかしそうに顔を赤くする親友に僕はやれやれと店の奥からタオルを取ってくる。


「はい、これ」


「ありがと。ちょっとくらい濡れてても大丈夫かなーって思ってたんだけど」


「ちょっとなら、ね。この降り方で傘がなかったらちょっとじゃすまないって」


 今一度店の窓から外を見るとアスファルトの上で白い水飛沫が踊っていた。


 この様子ではお客さんももう来ないだろう。


「まあそこでゆっくりしていきなよ。雨もすぐ止みそうにないし、今日はもう店仕舞にしちゃうから」


 タオルを渡し終えた僕は店の隅に置いてある長机と椅子を指差す。


 店を継ぐ前からあるその木製家具は、お客さんが気になった本をゆっくり試読出来るように設置されたものだ。


 その独特の光沢は常連さん達に店の雰囲気に合っていると好評である。


 もっとも、今日は彼女以外誰もいないのだが。


「あー、えっと、 私のことなら気にしないでもらっても……」


「いいよいいよ、本を見せるために駆け込んで来た旧友を放っておくのも忍びないってだけだからさ」


 閉店の準備を進めながら冗談めかすと、彼女は今さら自分の行動が恥ずかしくなって来たのか顔を赤くする。


「そ、そういうことならお言葉に甘えておこうかな……」


 まあ久しぶりに親友が来た日ぐらい少し仕事を休んでもバチは当たらないだろう。


 閉店の作業を終わらせた僕は奥からティーセットを持ってくると、ラブライトの正面に腰を下ろす。


 カップに紅茶を注ぐといい香りが店内に広がった。


「はい。これ飲めば暖まるよ」


「ありがと。他の人から見た私の文章が変じゃないかどうしても気になっちゃって」


「なるほどね。でもいつもはちゃんとした専門家に見てもらってるんじゃないの?」


「その……こういう変わった形の物語みたいな文章は訳すのも書くのも初めてだったから」


「論文とは全く別物ってことか」


「うん。どちらかって言うと趣味寄りだし、論文とは違って誰かに何か想いを伝えられてこその『物語』かなって思って」


 紅茶を一口飲み、タオルで長い髪を拭きながら苦笑いする彼女の姿はどことなく懐かしい。


 さっきはからかい半分で言ったけど、実際本だけ抱えて会いに来るなんて事をするのは彼女ぐらいのものだろう。


「一度なにか気になったら気が済むまで突っ走る所は昔から変わらないね」


「突然来て迷惑だった?」


「いや、むしろ僕なんかを訪ねて来てくれたのは凄い嬉しいよ」


 それに、と僕は誇れる親友に笑いかける。


「その行動力があったからこそ有名な教授になれたんだろうし」


 二十三歳の彼女が数年前特異的な若さで世界的な言語学名誉教授の位を獲得したのは未だ記憶に新しい。


 次世代の発掘技術によって世界各地で大量に未知文明の遺物が出土するようになった今日。


 それら遺物に残る未知の言語を次々解読する手法を発案したのが今目の前にいるラブライト・サフィールという人物だ。


 未知言語の翻訳第一人者として世界的に認められている彼女をその分野で知らない人はいないだろう。


 俗に言う「天才」という評価を名実共に世間からもらっている人間、それが彼女と言っても過言ではない。


 同い歳でも、ごく平凡に大学を卒業し親の古書店を継いだ僕とは大違いである。


「そ、そういう風に改めて言われると、ちょっと恥ずかしいな……」


「もっと誇ってもいいと思うぞ、本当にすごいことなんだしさ。で、この本についてもう少し教えてくれるかい?」


「うん。私が研究している古代――あるいは別の不思議な世界の文献と思われるものを訳して書いたって言うのは何時も通りなんだけどね」


 まあそこはラブライトの本業だろう。

『はじめに』の所にも書いてあったことだ。


「ただ、今回は訳ありの友人が個人で発掘したものをそのまま『物語』ベースで翻訳したの。あとはこの本そのものがちょっと不思議だったりするんだけど……」


 そこでラブライトは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「それはまあ、読めばわかるかな?」


「んん?」


 本そのものが不思議?


 まあ、中身は手書きだし外見も見た事がない洋書風の体裁ではあるけれど。


「ふふっ、まあいいからいいから。物語になっているのは『はじめに』の後からだし。とりあえず読んで感想を教えてくれると嬉しいな?」


「まあ、そう言うなら」


 何か隠していそうだけど内容が気になるのもまた事実。


 僕はニコニコと急かしてくる親友を前に1章初めのページを開く。


「さて最初の章は――」


「『ケース1、とある妖精の出会いと別れ』」

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