三人目
カオリとの訓練から1週間ほど経ち、初めて失楽園へ行った時に比べたら見間違えるほどアリスは強くなっていた。しかし、依然バベルは殺せていない。理由はアリスの精神的なもの。ほかの生き物を殺して生命を背負う覚悟が無い、漫画やアニメの様に不思議な力を手に入れても簡単に化け物を殺す事は出来ない。馬や牛などの大型の動物を素人が殺す事は精神的にかなり苦痛を得るものであり、ただでさえ小心者のアリスが『殺し』という行為を行える訳が無かった。
ベットに寝転んで天井を見上げる。白い天井は何も映し出さないが、アリスが殺したバベルの死に際の顔が頭にこびり付き視界に映し出される。
それに蓋をする様に腕を目に当てて視界を閉ざす。
「ハァ、こんなんじゃ...」
その先は言えない。それを言ってしまったら二度と変われない気がしたから。そう思ったアリスは口を閉じて起き上がる。
ベットに座っているネコのぬいぐるみのチシャを持ち上げ、失楽園へ向かう。カオリの手助け無しでバベルを殺さないといけない、その思いに焦り一人で失楽園へ行く事が多くなった。
何かあった時に誰も助けてくれないという状況ならばバベルを殺せるのではないかと考えているが、カオリと初めて出会った時が一人の時だったので気休め程度だろう。それに、一人で失楽園へ行っているが、ココ最近はバベルと遭遇すること無く帰ることが多い。
「また行くの?」
「うん、私が...私の力で変わらないと」
「そっか」
抱き抱えられたチシャが見上げながら問い、深呼吸しながらアリスは答える。そのまま歩き出して鏡へ手を伸ばし失楽園へ入る。一瞬の光に目を瞑り、目を開けたら目の前に広がる自然の木々はいつもと変わらず壮大で幻想的な空間。
一歩足を踏み出し前へ進む。辺りにバベルの気配は無い。それに対して少しの安堵を覚えている。母を守る為に強くなってきたが、このままずっとバベルと出会わなければアリスが失楽園へ行く理由も無くなる。
「このまま...」
言っている途中で『何か』に気づく。泥が肌にまとわりついたかのように張り付く嫌な空気。山頂に居るかのように空気が薄くなり呼吸が浅くなる。身体から汗が垂れて来て本能が警戒を促す。しばらく感じていなかったバベルの気配。
しかし、視線や殺気は感じられない。まだ近くに居るだけでこちらに気づいていないようだ。
アリスは腰を落とし身をかがめて周囲を見渡すが、誰も居ない。少なくとも見える範囲には居ないだろうと立ち上がり武器を発現させる。最大限の警戒をしながら歩いているアリスの耳にバベルの咆哮が聞こえる。
「この、声?」
しかし、アリスが聴いた声は咆哮と呼ぶには悲痛で、悲しい叫び声に聞こえた。警戒を怠らないまま声のなる方へ走ると、バベルは既に戦闘を行っていた。
赤い体色、虎のような体躯に鋭い爪と牙を持っている。爪は一振で人の体など容易く切り裂き、太い牙は噛まれたら骨ごと砕く事が出来るのが想像出来る。太い牙が生えて口を閉じられていない中年の男の顔が必死な形相で虚空に向かって爪を振っている。いや、虚空では無い。よく見れば一人の男の子が宙を舞っている。
「凄い...」
顔は幼くアリスとそんなに歳も離れていないように見える。何処かの学校の制服を着て年相応の見た目だが、切れ長な目と黒いフレームのメガネが知的な印象を与える。
黒く男の子にしては長い髪を乱れさせながら、バベルの爪を回避しつつ手元のレイピアの様な細い刀身の剣で的確に急所へ突き刺していく。喉元、心臓、腹、と的確に三段突きをした後は直ぐに一歩引いて反撃されないように徹底している。
突き刺されたバベルは刺される度に叫び声をあげ反撃するも、既にその場所に敵はおらず、その手は空を切っていた。この素早いヒットアンドアウェイがバベルが虚空と戦っていたと勘違いした原因だ。アリスが来る前から戦っていたのか辺りにはバベルから出たと思われる血が散らかっており、突かれて血を失いすぎたバベルはその場で力尽きる。
それを見た男の子は少しの間辺りを見渡し、他にバベルが居ないかを確認した後、武器をしまいその場から立ち去ろうとする。戦闘に見惚れていたアリスが後ろから声を掛けて足を止める。
「あ、あの!貴方も、鏡の国のアリス症候群なんです...か?」
「....そうだけど、誰?」
「わ、私、姫川 アリスって言います。と、歳は十三で、女の子...です」
病院の先生以外とまともに男性と喋る経験が無いアリスは緊張しすぎてカオリの時とは違い、言葉を詰まらせながら自己紹介をする。自分の自己紹介がおかしい事に喋りながら気づいたアリスは耳まで真っ赤にしながら顔を伏せる。それを見た男の子は不振そうに眉毛を歪め、アリスをジロジロ見た後、ため息をつきながら仕方なさそうに自己紹介を始める。
「はぁ、榊
「南浜中学校って進学校の?」
「まぁ、世間的にはそうかな。でも他の学校と大して差はないと思うよ」
聖也の通う南浜中学校は偏差値七十越えの進学校であり、そこに通う中学生は勉強だけでなくスポーツや美術等のあらゆる分野の世界で活躍する人を生み出しているエリート校だ。
必然的にそこに通っている聖也も頭が良いという訳になるのだが、どうやら謙遜しているらしい。
話し終えた空気を感じ取った聖也はポケットの中に手を入れて帰ろうとする。しかし、アリスが話しかけたのは同じ病気を発症しているからではなく、聞きたい事があったから頑張って苦手な自己紹介をしてまで止めたのだ。それを聞くまで簡単に帰られてちゃ困ると思ったアリスは聖也の前に立って聖也を止める。
「...何?まだなんか用?」
「あ、あの、初対面でこんなこと聞くのも変なんですけど」
「....」
「どうしたらバベルをこ、殺せるんですか?」
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