不穏な影
カオリと出会ってからのアリスは、一人で失楽園に行くことは減り二人で行動することが増えた。理由は二つ。
まずひとつはアリスよりバベルとの戦闘経験が豊富のカオリにバベルとの戦い方を教わりながら能力の開発を進めるため。チシャに教えて貰っていたが、カオリ曰く「言葉足らずだから教えるのには向いていない」らしい。その代わりアリス達が失楽園へ行っている間元の世界でアリスの母を監視するという役目をチシャが担った。
カオリの時は直ぐにどんな能力か分かったらしいのだが、アリスに問題があるのか分からないが、アリスの能力は未だなんなのか分かっておらず、手詰まりな状況になっている。
二つ目はアリスのメンタルサポートのため。バベルに対して恐怖心を持っているアリスをサポートしてアリスが一人でもバベルを倒せるようにリハビリを行っている。
「っ!や!てい!」
「遅いよ。もっと速く動けるはず」
間抜けな掛け声を発しながらバベルの攻撃を捌くアリス。カオリとの特訓の成果か攻撃を捌く事は出来るようになってきたが、視線はバベルに向けるのではなく少し下へずらしている。直視すると体がすくんで動けないからだ。しかし、直視しなければ動けないということはなくなった。
少しづつだが前に進んでいる。その事実がアリスを勇気づける。今までの人生母に守られてきたばかりだったアリスのちょっとした自立であった。まだまだ遅い歩みだがそれでも初めて自分が誇らしいと感じていた。
今戦っている馬型バベルの攻撃もしっかりと捌ききっている。四足の逞しい足である場所には、やはり人間の腕が生えており、顔は動物の馬であるがその顔は少し禍々しい。瞳は左右別々の方向を向いており、口からは舌と唾液が垂れ流しになっている。身体には白と黒のラインが均等に並んでいるのを見ると、元になっている生物はシマウマだろうか。
「フシュルルル!」
「...妙にしぶといわね?」
バベルの姿を見たカオリが呟く。今までの経験からタフなバベルは多く見た。首が取れても動く者、手足の何本か失っても暴れる者。しかし、このバベルは違った。刺した傷が瞬時に再生し動き続けている。カオリがバベルと戦い始めたのは二年前程、それだけの経験の中でも再生能力を持っているバベルは居なかった。
「アリス早く終わらした方がいいよ」
「っ!はい!」
カオリの言葉に頭では分かっているが、身体が付いてこない。戦闘に慣れたというのも身体の動かし方に慣れただけで、殺すことに関してはまだ慣れていない。惜しい所まで追い込めるのだが、トドメを刺す時に身体が動かなくなってしまうので、いつも最終的にはカオリにトドメを刺してもらっている。
カオリの助言通りに早く終わらそうとアリスが動く。馬型のバベルの攻撃を避けてカウンター気味に腹部へ槍を一刺しするも、バベルは止まらない。立ち上がり、地面を蹴っていた人間の腕がアリスへ伸びる、狙いはアリスの細い首筋。
「くっ!」
すんでの所で槍を割り込ませ、なんとか掴まれるのを回避する。腕を弾いた事で大きくよろけたバベルに槍を向けるも、動けない。
まるで何かに縛られている様に身体がピクリとも動かない。
数秒と経たないその時間はバベルが体制を整えるには十分過ぎるほどの時間だった。体制を立て直したバベルは槍を振り上げて下ろさないアリス目掛け、大きな口を開けて噛み付こうとする。
鋭い歯は無い。しかし、草木を食す為にすり潰す事に発達した歯に噛まれれば軽傷では済まされない。アリスの柔らかい腕や顔は一齧りでちぎれて咀嚼されてしまう。アリスの顔とバベルの顔が近づき、強制的に視界にバベルが映り込む。
「ひッ!」
別々の方向を見ているロンパった目がアリスを捉え、その怖さに息が漏れてしまう。鼓動は早くなり頭の中は色が抜けていくように白く何も考えれなくなる。そんなアリスを見かねたカオリが自身の武器である銃を構えバベルへ発砲する。
ハンティングライフルの様な長い銃身から放たれる銃弾は乾いた銃声と共にバベルの脳天を貫く。貫かれたバベルは後ろへ倒れ込みそのまま起き上がらず絶命する。
「...また、駄目だったわね」
「...ごめんなさい」
「なんで殺せないか分かる?」
「...まだ、怖いって思っちゃって」
動き自体は悪くない。しかし、アリスは初めて失楽園に来たあの日以来、まだ一体もバベルを殺せていない。母を守ってみせると言った人の精神性では無いが、その原因はやはり身体がすくんでしまうこと。そうカオリに告げるとカオリは首を横に振る。
「違う、貴方が怖いと思っているのはバベルに対してじゃない。生き物を殺す事によ」
「え?」
「貴方は生き物を殺すことの責任を負いたくないと考えている。だから殺せない。身体の使い方は上手くなってきたのに殺すことが出来ないのはそれが理由よ」
「...で、でも、お母さんを守るためには..」
「根っこの方がまだ付いてきてないみたいね」
「.....」
カオリの言葉に黙ってしまうアリスだが、思い当たる節はある。今までの人生で他の生き物を殺した事など蚊や小バエ位だったものを、いきなり自分より大きな生き物を殺す事の罪悪感は計り知れない。
そして、頭にこびり付いて離れないものがアリスにはあった。初めて殺したバベルの瞳である。薄気味悪い顔であったことは間違いない。しかし、ムカデの身体に不釣り合いな人間の顔が最後に見せた表情は自分と同じ人間のソレだった。その事がアリスの身体を固まらせるのだとカオリは見抜いていた。
「...限界か、今日はお開きにしましょう」
「...はい」
身体からパキパキと音を立てて失楽園での活動限界が来る。そろそろ帰らねば消滅してしまうが、心を見透かされたアリスの足取りは重い。泥の中を歩いている様な感覚のまま足を引きずりカオリの後ろへついて行く。
帰る道中二人の間に会話は無い。出会って間もないし、特別仲が良い訳では無いが、こんなにも無言で過ごしたのは初めてだった。若干の気まずさを感じながら、それでも喋ることの億劫さが優り無言が続く。その静寂を割いたのはカオリだった。
「....なに、これ?」
「え?」
カオリの言葉を聞き下へ向けていた視線を前へ戻す。そこにあるのは散らかされた肉塊。辺に転がっている肉の数々は均等に並べられており、その一帯を血の海に変えていた。肉塊は鋭い刃で斬られた様に骨ごと切断されていて綺麗な断面図を晒していた。骨ごと断ち切る切れ味、均等に並べる行為、これらの状況が意味することは、
「私達以外にも、誰かいる?」
カオリの言葉にアリスも頷く。バベルを殺している所からアリス達と方向性はあまり変わらないようだが、切断した肉塊を整頓している精神性は理解出来なかった。そのまま足早に元の世界へ帰り、母の顔を見て一安心する。その後はいつも通り母と食事をして安らかにベットで眠る。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あァ?オイオイ、死んでんじゃねェかよォ」
アリス達が殺した馬型バベルの前で佇んでいる男が嘆く。髪は乱雑に伸びていて、白く濁っている。黒いシャツに黒いズボンと全身を黒で統一させているが、服は年季が入っているのかほつれや糸くずでボロボロだ。一見するとただの人と何ら変わりないこの男は普通の人とは違う特徴を持っている。白目が黒く染められていた。白目が黒く染められている事で空洞の中に瞳があるようにも見える男の目は明らかに人間の目ではなかった。
男はバベルの死体へ歩くと死体の中に手を突っ込み、中の肉を掻き分ける。腕がある程度進んだ所で引き戻し、手の中にある肉を口の中へ放る。くちゃくちゃと咀嚼音を出しながら手に付着した血を舐め取り、バベルを食している。
「あァ、ごっそさん。誰がやったのか知らねェが、俺の食料減らされると困んだよなァ」
月夜に照らされた男は不気味に笑っていた。
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