背負ったもの


「私と...同じ?」


「ええ、そうよ」


アリスが驚くのも無理は無い。そもそも『鏡の国のアリス症候群』という病気は一般的どころか、医療界隈でもあまり認知されていない珍しい病気だからだ。認知されていない要因として挙げられるのは発症者の少なさ。そして大部分を占めている理由として、それが『鏡の国のアリス症候群』か分からないというもの。


幻覚を見るという性質上他の病気と混濁されてしまうが、『鏡の国のアリス症候群』は鏡の中にしか幻覚が見えない。そこの堺は本人に委ねられるものなのだが、幻覚を見ているということが強調されるため医師も精確な診断が出来ていないのが原因だ。


「小さい頃から鏡の中に化け物を見ていた、周りの人達には見えていないものが自分にだけ。でも、数年前にチシャっていう子に教えられてね。この世界のこと、バベルのこと」


「チシャって...」


「やぁ、久しぶりカオリ」


「え?えぇ!?この猫のぬいぐるみがチシャなの!?前はウサギのぬいぐるみだったのに!」


「僕は実体を持ってないからね、依り代はなんでもいいんだ」


チシャの耳や体をグ二グ二と伸ばして懐かしがるカオリ。どうやらアリスの前にチシャから力の使い方を教えて貰ったらしい。それを使いアリスが殺せなかったバベルを殺してみせた。


情けない話だ。母を守ると覚悟を決めたのにいざ目の前にバベルが現れたら体がすくんで動けないなど。やるせない気持ちを胸に抱き、まずはカオリに感謝の意を伝える。


「あ、あの、助けて頂きありがとうございました。あ、私姫川アリスって言います。お願いします」


「アリスね、宜しく。ところで、なんでバベルを倒さなかったの?倒せそうに見えたんだけど」


「それは....」


言葉に詰まるアリス。怒られている訳では無いことは分かっている。単純な疑問としてカオリはアリスに聞いていることも。しかし、中々答えられない。自身の甘さ、覚悟の無さ、それらを他人に見透かされてしまうのが嫌だから。


「まぁ、バベルを倒す事だけが正義じゃないからね」


「...え?」


「何が正しいとか間違ってるとかは立場によって変わるからさ、アリスはアリスのままでいいんじゃない?」


そんなアリスの心を見透かしたようにカオリは言葉を投げかける。

そして、そのカオリの言葉にアリスは驚く。

二度目だった。自分を変えずにそのままでいいと言ってくれた人は。ずっと自分を守り続けてくれた母は『変わらなくていい』と言ってくれていた。理想を言えば病気を完治させ日常生活を送れることを母も望んでいるが、それでアリスが苦しむくらいならこのままでもいいと本気で思ってくれていた。しかし、周りの大人や同級生はそうではなかった。


『ただ怠けているだけ』『治す気が無い』等の心無い言葉を直接担任や前の担当医から言われたことがある。それらの言葉が理解出来なくはなかったが、実際に怖いものは怖いのだ。殺せる手段を手に入れた今でもそれは変わらない。そんな自分を変えなければならないとアリス自身も考えていたが上手くいっていない。しかし、それでも良いと言ってくれた、ましてや家族ではなく他人に言われたことに驚いた。


「そ、そうなんですかね?本当はカオリさんみたいに冷静に退治したいんですけど」


「いいじゃない。アリスの心に従いなよ」


カオリの言葉がどれだけの救いになったのかはアリスにしか分からないだろう。鏡にしか写らない幻覚、見える幻覚のおぞましさ、それに立ち向かう恐怖それらに対する気持ちを肯定してくれるのがどれだけアリスの心に寄り添っている言葉なのか。


気を緩めると涙が出てしまうのを耐えてなんとか笑顔を作る。人見知りなアリスがここまで初対面の相手に懐くのは珍しいが、アリスは元々人懐っこい性格をしている。病気を患い引きこもりになっているので人と関わっていないだけで普通に生活出来ていたら整ったハーフの顔立ちに人懐っこい性格でかなりの人気者になっていただろう。


「ん?あぁ、時間切れね」


「あ、本当だ」


「これ、私の連絡先渡しとくね。何か困ったことがあったらここに連絡して」


カオリの言葉に感動しているとアリスの体が少しづつひび割れていく。失楽園に居られる活動限界が来たのだ。それに気づいたカオリはポケットからメモ帳を取りだしそこに電話番号を書き写し、アリスへ渡す。それを受け取り、アリスは急いで元の世界に帰る為の出口へ向かう。


出口へ向かう道中、自身のひび割れていく体を見て、カオリの戦いを思い出し今一度気を引き締める。自分が殺された時、誰が一番悲しむのかを考えたからだ。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「お疲れ様です、お嬢」


「もう集まってる?」


「はい、八木の兄貴や河野も来てます」


「そう、着替えたら行くわ」


「了解しました」


アリスと別方向へ帰っていたカオリは無事に元の世界へ帰れた。そんなカオリを出迎えるのは頭を下げているスキンヘッドの大柄な男。身長は男の中でも高く、胸板や腕の太さから相当鍛えていると思われがちだが、筋トレを欠かさずにしているという訳では無い。彼が身につけたこの筋肉達は筋トレなどという生易しいものから生まれた代物では無い。もっと実践的で生き抜くために必要だったからだ。


カオリは自室へ入る。八畳の畳の上に机や押し入れがあるだけの簡素な部屋。しかし、和室とは不釣り合いな物がひとつ置いてある。それは、カオリの身長程ある巨大な姿鏡。『鏡の国のアリス症候群』であるカオリの部屋に何故デカい鏡が必要なのか。それは自分が背負ったものを確認する為に必要不可欠だからだ。

パーカーを脱ぎ、その下にあるシャツも脱ぐと絹のようにシミ一つない綺麗な白い背中に写る壮大な刺青。青や赤、黄色や白などの多彩な色で分けられた立派な羽衣を身に纏い、笑顔で閻魔大王と遊ぶ天女の刺青である。背中に彫ったこの和彫りを確認する為にデカい姿鏡が必要なのだ。


「さて、行くか」


背中の刺青を確認した後、サラシを巻き和服の正装へ着替える。スーツ等とは違い時間のかかりそうな着付けを慣れた様子で一度も止まることなく着替える。ものの数秒で正装へ着替えると、自室を出て居間へ向かう。


襖を開けるとやはり畳の上に長テーブルと座椅子のみが置かれた簡素な居間だ。そこに見えるのはいかにもイカつい風貌をした男が八人。長テーブルの端から均等に並んでおり、カオリが入ってきたと同時に一斉に立ち上がり、頭を下げる。


「「「お疲れ様です!!」」」


「うん、ご苦労。それじゃあ、これから『山岸組緊急幹部会』を始める」

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