覚悟

化け物を殺し母を助けることが出来たアリス。しかし、その目からは涙がポロポロと溢れてくる。それが母を助けたことの達成感なのか、初めての命の奪い合いが終わった安堵感からなのか、命を奪った罪悪感からなのかは分からない。アリスが人生で奪った命はせいぜいが部屋に出た蚊や小バエなどの小さな虫。大型の生き物、ましてや自分より大きい生き物を殺したことは今回が初めてだった。


手の中に残る殺した感触を握りしめて涙を流しているアリスが母へ視線を送ると、母親の体からキラキラと光るガラスの破片の様な何かが宙を舞っている。涙でボケた視界を擦ってよく見てみるとそれは母の体そのものであり、破片が飛び出した腕や顔が少しずつひび割れていっているのが分かった。母の体に異常があると驚いたが、それはアリスも同じだった。アリスの体から硝子の破片がパキパキと音を立てて宙に舞う。掛けた部位からは血が出るのではなく、更にひび割れている。


「制限時間だ。戻らないと君もお母さんもこの世から消滅しちゃうよ」


制限時間があるならばもっと早く言って欲しい。そう思ったアリスだったが、ひとまずは帰ることが先決だ。母を抱き上げようと体の下に手を入れて母を持って初めて知った。


こんなにも軽いのか、と。

平均体重よりも大幅に軽い母の体。この軽い体でどれだけ頑張っていたか。この体にどれだけの事を背負わせていたかを思い知らされる。1つの決断を胸にアリスは自宅へ戻る。母を乗せているため来る時のような全速力ではなくランニング程度の速度で走る。しかし、それでもその速度は早い。明らかにアリスの出せる速度を超えていた。


「やっとつい..うわ!」


失楽園から自宅へ戻り鏡から出た瞬間、体の力が抜けたように母の体が重く感じる。なんとか力を入れ直し倒れないように持ち直す。非力なアリスでも持てるには持てるが先程より少し重く感じている。それに倦怠感や眠気も感じる。眠たい眼を擦りながら、母を布団に寝かせる。一定のリズムで繰り返される呼吸を見て安心しながら自分の部屋へ行く。


「それじゃあ、何が聞きたい?」


「....あの化け物はなに?」


母を寝かせた後、自室でチシャとの質疑応答。まず聞かなければならないのは鏡の中に見える化け物のこと。幻覚だと思っていたが幻覚ではなく、母を襲いアリスが不登校になった元凶である。今回は百足のような見た目をしていたが、その見た目は多種多様である。アリスの質問にチシャは淡々と応える。


「彼らは『バベル』人間とは違う生き物さ」


「....その、バベルがなんでお母さんを誘拐しちゃったの?」


「分からない。恐らく、じきにこっちの世界へ攻め入るための準備じゃないかって予想してるけど」


「攻め入るって、どうして?」


「彼らはこっちの世界に欲しい物があるらしい。それがなんなのか分かんないけど」


「....制限時間っていうのは、どういうこと?」


「君は失楽園の住人じゃない。違う世界の住人は拒絶反応が出ちゃうんだ。行く内に適応して制限時間は伸びてくるけどね」


「....そう」


嘘は言っているように見えない。しかし、あまり知りたいことは知れなかった。バベルが攻め入る理由も分からず、どうして母が連れ去られたのか。それに、まだ現実味を帯びていない。バベルという化け物が居ること、それを殺したのが自分だということ全てが。だが、ガラスに化け物が見えず外の景色が見えることが今までの行動が現実だということを知らせてくる。

他に何を質問しようかと頭を悩ませるとチシャが口を開く。


「僕からも質問がしたい。君は、これからどうするんだい?」


「え?どうするって?」


「君はバベルと戦う力を手に入れた。だからこそ、バベルは君の力を恐れてもっと君の周りを彷徨くよ」


「そんな...」


「君はどうする?どうやって力を使う?」


母を助けるために力を手に入れたというのに、その力に寄ってくるなど本末転倒である。それならばいっそ力など捨てたいものだが、鏡の中の失楽園やバベルを見ること自体を消すことも捨てることも出来ない。ならば戦う手段は持っておいた方が良いに決まっている。だが、ずっとバベルに脅えていた自分に何が出来るだろうか?それに今回は勝てたが、もしもバベルに殺されてしまったら?嫌な想像が止まらない。自分が居ればこの力におびき寄せられたバベルとの戦いに母が巻き込まれてしまう可能性もある。ならばいっそ、母と離れてしまった方が良いのでは?と考えるアリスだが、考えただけで胸が苦しくなってしまう。

元々ネガティブな思考の持ち主であるアリスが力を得ても根本的なところは変わらない。

しかし、変わらなければならないのはアリス自身にも分かっていた。

いつまでも母に甘えてばかりではいけない。だが、母の元を離れた時もし今回のようにバベルに母が襲われた時守ることが出来ない。それに中学生のアリスが親元を離れて生活するのは現実的ではない。現状母の元を離れることは出来ず、今まで通り母に甘えているだけでも駄目だ。


「....答えは決まったようだね」


「うん....。戦う、私がお母さんを守るために。その為に私に力の使い方を教えてくれる?」


「.....そっか。良いよ、教えてあげる」


母から離れず守るなら方法はひとつだ。アリスが自分と母に近づくバベル全てを滅殺するしかない。その為にはもっと強くならなければならない。チシャが与えたこの力を有効活用する為にはチシャに聞くのが良いだろうと考えたアリスはチシャに使い方を教えて貰うことになったが、同時にアリスの中で疑問が増殖する。


「....チシャって何者なの?」


「....」


「チシャだけじゃない。私のこの力、病気のことを代償って言ってたけど、どういうことなの?」


「....申し訳ないけど、答えられない。でも...僕は君の味方だ」


歯切れの悪い答え。正直あまり信用は出来ない。だが、力の使い方を教えて貰わなければならない立場にあるアリスは信用出来なくとも信用するしかないのだ、『僕は君の味方だ』という言葉を。これから良好な関係を築くためこれ以上深堀はしない。


「....最後にもうひとついい?」


「なんだい?」


「どうして失楽園に入ったら身体が軽くなったり力持ちになったの?」


「....それは、君が失楽園で戦うことを選択したからさ。選択した君にはその資格があった」


「よく分かんない...」


チシャの話す言葉は難しく、中学生のアリスにはちんぷんかんぷんだということがわかった。結局知りたいことは少ししか理解出来なかったが、やるべきことは分かった。それは母を守ること。今まで守って貰うだけの自分から変わらなければならなかった。その為に強くなること。これがアリスのやるべきこと。しかし、それをするにはあまりにも


「...眠い」


元々眠かったのにチシャの言葉を理解しようと頭を使ったためとても眠い。話を終えたアリスは布団の中に入り目を瞑る。母のこと、力のこと、そして、自分のこと。考えなければならないことが山積みだが、やるしかない。やらなければならない。怯えていた人生を変えたければ自分が変わるしかないと覚悟を決めて、アリスは意識を手放した。

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