金髪不良、金髪お嬢様に出迎えられる


 公園を出た後、次郎は警戒を怠らずに萬楽にへと戻っていった。いつもよりも歩幅を短めに、ゆっくりとした歩みで向かっていく。


 そうした理由はもしかすると、先程の次郎の態度に腹を据えかねた松永達の襲撃があるかもしれない。そう思ったからこそ、普段以上に周囲に気を配りながら帰っていた。


「……まぁ、流石にあいつらにも立場がある以上、街中で襲ってくるような真似はしないと思うがな」


 そう呟きながらも、次郎は周囲への警戒を解く事無く進んでいく。そして時間は掛かったけれども、次郎は無事に店にへと辿り着いた。


 次郎は安堵の息を吐くと、入口の戸を開けてそのまま萬楽の中へと入っていく。店内ではいつも通りの仕事風景が広がっていた。


 厨房から聞こえてくる調理の音、客達が楽しそうに談笑する声。様々な音が耳に入ってくる。


「……あっ」


 そんな中、次郎の傍へ駆け寄ってくる者がいた。彼女は次郎が戻ってきた事に気付くと、座っていた席から立ち上がり、嬉しそうに笑みを浮かべて彼の元へとやってくる。


「お帰りなさい、次郎さん!」


「……おう」


 雪乃が近付いてきたのを見て、次郎は小さく返事をする。そして彼女は思わず次郎の手を取り、彼の帰りを労おうと思い手を伸ばした。


 しかし、手を取ろうとした気配を察してか、次郎は雪乃の手を躱してその手を避けてしまう。


「あら?」


 避けられると思ってなかった為か、雪乃は思わず拍子抜けな声を上げてしまった。


 だが、雪乃はそれで諦める様な女ではない。もう一度試みようとまた手を伸ばす。今度はしっかりと次郎の手に触れられる様に。


 けれども、それも次郎は避けてしまう。触れられようとしていた手を上にあげて、触らせないとばかりに拒絶の意思を示したのだ。


「あらあら……?」


 二度に渡って回避されてしまい、雪乃は不思議そうな顔をしながら首を傾げていた。


 一方、次郎はといえばジト目で雪乃を見つつ、うんざりとした顔をしていた。


「あの、次郎さん。どうして触れさせてくれないのでしょうか?」


「……どうして触れさせる必要がある? そもそも、お前は何でそんなに俺に触りたがるんだ」


 心底嫌そうな顔をしている次郎に対して、不思議そうに雪乃は小首を傾げる。


「だって、不安やストレスを感じた際は身体を優しく触れる事で、それらを軽減出来る効果がありますので」


「本当か、それ? ただ触りたいが為に、出まかせ言ってるだけじゃないのか?」


「そんな事はありませんよ。タッチングという看護技術がありましてね、患者に触れながら安心感を与える事で、症状改善に繋がるのですわ」


「……本当なのかよ」


 訝しげに見てくる次郎に対して、自信満々といった表情で答える雪乃。そんな彼女に対して、次郎は呆れながらも疑いの目を向ける。


「えぇ。ですので、次郎さんに触れる事で、私が貴方を癒して差し上げる事が出来るのです。 さぁ、遠慮なさらずに触れさせてくださいな」


 そう言うと、雪乃は再度手を伸ばして次郎の身体に触れようとする。しかし、それを彼は避ける様に身を逸らした。


 そして次郎はすかさず、彼女から離れる様に一歩後ろに下がってしまう。


「……どうして説明もしましたのに、触らせてくれないのですか?」


「どうして説明したら触らせてくれると思ったんだ?」


「もう、次郎さん。質問に質問を返さないでください」


「うっせえよ」


 呆れた顔で言う次郎に対して、不満げな顔をする雪乃。そんな二人の様子を見て、周囲の者達はそれぞれの反応を見せていた。


 ある者は興味深そうに二人を眺め、ある者は関わり合いになりたくないと言わんばかりに顔を背け、ある者はニヤニヤとした表情を浮かべて眺めている。


 そんな周りの様子を気にしつつ、次郎は溜め息を吐いた後、彼女の方を見ながら言った。


「いいから、それは止めろ。俺はまだ仕事中なんだよ」


「むう……ですが、私は貴方に触れて、癒しを与えたいんです」


 頬を膨らませて文句を言う彼女に、次郎は疲れた様な顔をして頭を掻く。


「逆効果だから止めろ。お前は俺を癒したいのか、疲れさせたいのかどっちなんだ?」


「もちろん、前者ですわ」


「やっている事は激しく後者なんだよ……」


 即答する雪乃に対し、げんなりした様子で返す次郎。そんな彼の様子を見て、彼女は不思議そうな表情を浮かべるのだった。


「おお、次郎。戻ったか」


 そう言って邦彦が厨房から出てくる。本当なら次郎が戻ってきたタイミングで声を掛けたかったのだが、その時にはまだ受けていた注文が残っていた為、タイミングを逃してしまっていたのだ。


 そして残っていた注文を片付けた後、こうして遅れて声を掛ける事になったのである。


「あぁ。悪かったな、仕事中に外しちまって」


「別に構わんよ。けど、よく無事に戻ってきたな。あの連中に何かされなかったか?」


「特に何も無かったぞ。最悪の場合も考えていたけども……本当に話だけで終わった。拍子抜けするくらいにな」


「そうか。まぁ、何はともあれ。無事だったのなら、それで良かったよ」


「……心配掛けて悪いな」


 心配する素振りを見せないが、内心では心配してくれていたであろう祖父の姿を見て、次郎は少し申し訳なさそうに謝る。それに対して、祖父は笑いながら気にするなと言った。


「良いって事よ。それよりお前、あいつらとは一体、何があったんだ? この辺りじゃあ見ない顔だったし、明らかにカタギでも無いだろ。どうしてそんな奴らにお前が目を付けられてるんだ?」


「あー……まぁ、色々とあってだな……」


 まさか自分からヤクザに目を付けられたなんて言える訳も無く、次郎は言葉を濁すしか出来なかった。


 しかし―――


「彼らは山城会の人達ですわよ、御爺様」


 空気を読まずに、雪乃が割って入る。そして松永達の素性について言及してしまったのだ。


「ちょ!? おま!?」


 いきなりの発言に驚き、思わず大声を出してしまう次郎。そして雪乃が発した言葉に反応してか、邦彦は目を細めて彼女を見た。


「……何?」


 山城会という名を聞いた瞬間、邦彦の表情が変わる。険しい顔つきとなった彼は、直ぐに視線を雪乃から次郎に移した。


「お前、山城会といえば……西の方のヤクザ連中じゃないか!」


 どうやら知っているらしく、声を荒げながら次郎に詰め寄る邦彦。周りにはまだ客が残っており、その客たちは何事かとこちらに注目し始めた。


「お、おい、落ち着けって。そんな大声出すなよ」


 周りの注目が集まってきた事に焦りつつ、次郎は落ち着く様に言う。しかし、彼の制止の声は聞こえていないのか、それとも聞くつもりが無いのか、邦彦は興奮気味に言葉を続けた。


「何でそんな奴らに因縁を付けられてるんだ! しかも相手はヤクザだと!」


「いや、その……成り行きというか……何というか……」


「何をしたんだ、一体!!」


 詰め寄られながらも言い淀み、中々答えない次郎に対して、更に怒りを募らせる邦彦。


「まあまあ、落ち着いて下さい、御爺様」


 そんな二人の様子を見兼ねてか、雪乃が仲裁に入る様に間に入った。それによって少し冷静さを取り戻したのか、邦彦は一旦深呼吸をして落ち着きを取り戻す。


「ふぅー……すまないね、つい取り乱してしまった」


 深く息を吐き、気持ちを落ち着かせる彼。その様子を見て安心したのか、雪乃は小さく息を吐いてから彼に言う。


「いえ、気にしていませんわ、御爺様」


「……そうか。だが、さっきの話は詳しく聞かせて貰うぞ。何せ、ヤクザ絡みの話だからな」


 そう言って、今度は次郎の方に顔を向ける邦彦。それに対し、次郎は頭を掻いて面倒臭そうにしながら、どうしたものかと考える。


 正直に話せば、山城会との事もそうだが、智絵の件についても話さないといけなくなるだろう。それは避けたいのだが、上手い言い訳も思いつかず、どう話すべきか悩んでいる内に沈黙が生まれてしまう。


 すると、それに焦れたのか、再び邦彦が口を開いた。


「黙っていても分からんぞ」


 苛立った様子で言われてしまい、もう話すしかないのかと諦める次郎。そうして覚悟を決めると、重い口を開き始める。


「……はぁ、分かったよ。ちゃんと説明する」


 観念した様子を見せる次郎に対し、邦彦は早く話せとばかりに目で訴えてきた。それを察しはするも、周りに目を配らせてから小声で話し出す。


「けど、内容が内容だ。正直、周りには聞かれたくない話なんだ。だから、また後で説明させてくれないか?」


 周囲に聞かれてはまずいと思い、声のトーンを落として話をする次郎。その言葉に納得したのか、邦彦は少し考えた後、小さく頷いた。


「……そうだな。確かに、こんな場所でする様な話では無さそうだな」


 周囲を見渡してから呟く邦彦。その視線を追ってみると、何人かの客がこちらを注視していた。


「昼の営業ももう直ぐ終わる。続きはお客さんが全員帰った後にしようじゃないか」


 その言葉を受けて、次郎は頷く。そして二人は厨房に戻ると、残る仕事に取り掛かり出すのだった。

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