不審者、名を明かす


「闘志~はつ~らつ~経つや今~、ねっ~けつす~でに~敵を衝く~」


「「……」」


 調子が乗ってきたのか、六甲おろしの二番歌詞を歌い出す始末。そのあまりにも能天気な様子に、次郎と智絵は何も言えずにいた。


 次郎はともかくとして、智絵にとっては明らかに危険人物でしかないその黒人の男が、一体何を考えているのか分からない。


 その光景を、次郎と智絵は唖然としながら眺めるしかなかった。そしてそうこうしている内に、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。


 騒ぎを聞きつけてか、それとも銃の乱射を耳にしたからか、どちらにせよこの場に警官がやって来るのは時間の問題だった。


「ちっ、面倒な事になったな……」


 次郎は舌打ちをしながら、この状況をどうすべきか考える。


 とりあえず、次郎は真っ先に智絵の事を気遣い、彼女に声を掛けた。


「おい、大丈夫か? 怪我とかはしていないか?」


「あっ、うん。平気、だけど……あんたは、その……大丈夫なの?」


「俺は全然問題ない。大して戦ってもいないしな。ただ……」


「ただ……?」


「……いや、何でもない」


 次郎が口にした言葉の続きを智絵は待ったが、彼はそれを誤魔化した。


 次郎の頭に一瞬浮かんだのは、あのままやり合っていれば今頃はどうなっていたか、という事だった。


 最初に向かってきた男に関して言えば、次郎が学生という事で相手に油断があったからこそ何とかなった部分はあった。


 しかし、他の男達に関してはそうはいかないと次郎は感じていた。恐らくではあるが、松永を含めた彼らはどんな手を使ってでも、次郎を亡き者にしようとしただろう。


 子供相手に大人げないとか、素手の相手に武器を使うなんて卑怯だとか、そんな理由で躊躇する様な連中ではない。


 彼らにとって、自分達の面子を潰される方がよっぽど重要なのだ。そこに卑怯もラッキョウもありはしない。


 今まで相手にしてきた不良達とは違う、本物の暴力集団。次郎にはそれがはっきりと分かった気がした。


「とにかく、ここから離れるぞ。このままだともっとややこしい事になる。話はその後だ」


「う、うん。分かった」


 次郎の言葉に智絵は同意する。彼女も次郎と同様に、今は逃げる事の方が先決だと考えていた。


 そして次郎は不承不承ながら、黒人の男にも声を掛ける。


「おい、お前もさっさと逃げるぞ!」


「オウ、オウ、オウオウ~」


 しかし、次郎の声に対して黒人の男は反応を見せず、まだ歌って踊っている。次郎はもう一度、今度は少し強めに叫ぶ。


「聞いているのか!? 早くしないと警察がやって来るから、お前も逃げろと言っているんだよ!!」


「〇~神、タイガースッ!」


 それでも黒人の男は歌を止めず踊り続けている。流石に次郎も我慢の限界に達して、黒人の男に対して怒鳴りつける。


「いい加減にしろ! いつまで歌っているつもりなんだ! それに踊るな! 鬱陶しい!!」


 しかし、次郎がどれだけ叫んでも黒人の男はまるで意に介さず、未だに踊り続けていた。


 こうなったら実力行使しかない、と次郎は思ったが、流石に銃を乱射している奴を相手に近付きたくはない。下手をすれば自分が撃たれてしまう。


 すると、そこで智絵が動いた。彼女は次郎の脇を通り過ぎて、黒人の男の側へと近付いた。


「ちょっと、アンタ。いい加減にしなさいよ」


 智絵は呆れた様に溜め息を吐きながら、黒人の男に言う。しかし、やはりと言うべきか黒人の男は全く動じない。


「あー、もう。うっさいのよ、この馬鹿!」


 智絵は軽く苛立った様子でそう言うと、持っていた自分の鞄を黒人の男に目掛けて思い切り放り投げた。


 それは見事に黒人の男の顔面に命中し、ぴたりと動きが止まる。そして放り投げた鞄が地面に落ちるのと同時に、黒人の男の鼻からたらりと血が流れ出した。


「これ以上、ここで暴れられると商店街のみんなが迷惑するの! そんな事も分からないの、アンタは!?」


 智絵は怒りの形相で、鼻血を流す黒人の男に怒鳴った。その瞬間、黒人の男がようやく智絵の存在に気付いたらしく、彼女の方へ顔を向ける。


「ワッツ? ヘイ、ガール、どないしたん?」


 黒人の男は何事もなかったかのように、陽気な口調で智絵に訊ねる。その態度に智絵は更に苛立ちを募らせた。


「『どないした?』じゃないわよ。そっちこそ何しているのよ。ていうか、誰よ、アンタ」


「ワイ? ワイはゴメス・ブライアント。人呼んで、浪花の黒豹や」


 黒人の男―――ゴメスはそう名乗ると、親指を立てて笑顔を見せた。


 それを見た次郎は心底嫌そうな表情を浮かべ、智絵は露骨に嫌悪感を剥き出しにする。


「何よ、こいつ。気持ち悪い……」


 智絵のその言葉に、次郎は何も言わなかった。ただでさえ、この状況で頭が痛いのに、余計なトラブルを抱え込みたくないからだ。


 しかし、次郎のその考えとは裏腹に、智絵はさらに続けて言った。


「……いや、そういうのは良いからさ。早くここから離れるわよ。ここにいたら警察に捕まるわよ」


「は? 何やて? ポリスメンがどうしたって?」


「だから、ここは危ないから早く離れようって言っているでしょ!! 聞こえないの、耳付いてんの!?」


 智絵の剣幕に押されたのか、ゴメスは黙ってしまう。そして黙ったまま頷いてみせた。


 それを見て満足したのか、智絵は再び次郎の方を向いて口を開く。


「ほらね、こうやってちゃんと言えば分かるんだから」


「……まぁ、そうだな。とりあえず、さっさとここから離れよう。おい、行くぞ」


 次郎は智絵の言葉に同意する様な形で返事をしてから、ゴメスに声を掛ける。


 ゴメスはそれに応える様に、親指を立てて同意を返した。次郎たちはそれからその場を離れ、商店街を後にする。その際、次郎はふと思った。


(……結局、あの野郎は一体何だったんだよ)


 次郎が対峙した松永達が何の為に智絵に近付いていたのか。それが気になっていた。


 とはいえ、今はその事を考えていても仕方がない。次郎は頭を切り替えて、ここから逃げる事に専念するのであった。


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