交渉は深夜の公園で
アンスエーロ隊長の『進捗はどうした』と言わんばかりの視線に晒されつつも、ボクはひっそりと寮を抜け出して街中を歩いていた。
少し肌寒いね。
夜はやっぱり寒いんだ。
最近三番隊のみんなから恵みをもらって完全防備で暮らしてるから忘れてしまったのかもしれない。
初心忘れるべからず、というやつだね。
出歩いている人も少ない。
そもそも夜遅くまでやっている娯楽も店も無い。
そして朝早くに活動を始める。
我が国はそういう生活ルーティンだ。
唯一外れるとすれば炭鉱で働いている人達だけど、今のボクとは関りがない。
しかし、これでもし違うマルティナが来てしまったらどうしようか。
嵌められたら?
何の用だと詰問されてしまうかもしれない。
その時は美人だったから人目につかないようにデートに誘いたかったとでも言い訳すれば事足りるけれど、そうしたら本物のマルティナ……もとい、レディに接触するのが難しくなる。
ボクの目標は最初から彼女だ。
ちょっとした賭けに出ちゃったな。
でも時間もそう残されている訳ではない。
一つ一つの作戦で何かしらの賭けをしないといけないのが辛いね。
「
街を照らす魔導街灯すらこの地区にはない。
本来ならインフラを発展させ国を豊かにするべきなのに、それを王が怠っている。
ウ~ン、その理由はどうしてかな。
まあ第四師団の癒着の仕方を考えればしょうがないだろうけど。
ボクの推測だが、第四師団の上層部のうち……ほぼ全部帝国と繋がっていると見て間違いない。
流石に自国の滅びを予想できない程の無能ではない筈さ。
優秀な魔法使いを確保するのは第四師団に逆らえる人材を減らすためで、つまり帝国が楽に占領できるように。
そして本国に人材を流すのも狙いじゃないかな。
それか、その人材を手土産にいざって時に寝返るためか。
どちらにせよこの国をどうでもいいと思っているのは間違いない。
ハンスは……わからない。
あれは姉上を潰そうって気概と実力だけで買われたのかも。
もっともわかりやすい敵は第二師団だ。
その中で頭角を現しつつある姉上を潰すのに自分達で調整しなくてもいい奴なら採用されてもおかしくはない。
つまり何が言いたいかって言うと、帝国と戦う前に第四師団の内ゲバを阻止しなくちゃあならない。
「ひどい難易度だ」
白い吐息が漏れる。
現状の勝率は何パーセントだ。
第二師団全部ひっくるめて一致団結したとして。
国の政治にすら口を出せる団体をどうやってひっくり返す?
クーデターでもするのか。
そんなことをすれば他国に隙を晒す。
帝国に負ける事も敗北条件で、いや、帝国に侵略を開始された時点で負けた。
今から魔法開発に尽力してボクがどうにかする。
無理だ。
そのための設備も費用も人材も、何もかもが足りてない。
姉上もそれはわかっている。
いくら傑物でも内政面まで全て完璧にやれるわけじゃないというのは、日頃の行動で証明している。
そうじゃなかったらあんなに書類を残して残業してるものか。
姉上なりに試行錯誤してる筈だ。
そしてその余裕は残されていない。
「考えろよ、アーサー……」
タイミリミットは最大で五年。
最悪二年ももたない。
そんな状況で一体何が出来る。
何を優先して事を成していくべきだ。
ああ、考える事が無限にある。
それも手が届かない事ばかりだ。
そしてゆっくりと歩き続けて大体一時間。
僅かに疲労感が滲む中、目的地だった公園へと到着した。
人影はない。
魔力を薄く伝播させて周辺を探る。
隠者は――……いない。
少しだけ早く着いてしまったしね。
ブランコでのんびりと休ませてもらおうか。
腰掛けて、ギィッと独特の錆びた音を奏でながら、白い吐息を手に当てて暖を取る。
もし来なかったらどうしようか。
第四師団に乗り込むしかない。
だが余計に注目されちゃうよなぁ。
そうなると面倒なんだ。
これから動き難くなってしまう。
第二師団総合演習でボクが暴れ回れば
それを利用して次の手を打ちたいから、まだここでは我慢しておきたい。
後手に回り続けるのは趣味じゃないんでね。
彼女にボロ雑巾にされて以来、先手必勝が座右の銘なのさ。
「――“レディ”という女性を待ってるんだ。心当たりはあるかな、美しいお嬢さん……いや、お姉さんかな?」
魔力感知に引っ掛かったのは一人。
これだけ薄く張り巡らせた魔力ならバレないかなと思ったけど、意外といけそうだね。
こういう小細工は昔から得意だから任せてほしい。
顔をあげてその人物を見てみれば、整った顔立ちに第四師団の軍服を着た銀髪の女性が立っていた。
「……私も、“浮浪者”を探している。心当たりはあるか、第二師団」
「ふふ。ああ、勿論あるとも。ボクこそが“浮浪者”だからね」
「――……ふっ。知っているよ、アーサー・エスペランサ」
「君こそ。マルティナでいいかな」
「ああ。業務外ではマルティナと呼べ」
彼女はそのままボクの隣のブランコへと腰掛けて、その身から僅かに魔力を滲ませつつ続けた。
「弟から話を聞いた時は何事かと思ったが……そうか。不審者と言うのはお前だったんだな」
「失礼だな。第二師団に正式に勤めてる騎士見習い以下の雑兵だぜ」
「魔法で第四師団大隊長と拮抗出来た奴が何を……」
「拮抗? おいおいマルティナ、ボクを試してるのか。嘘は良くないな」
和やかな雰囲気のまま彼女の言ったことを否定する。
あの時彼の魔力を打ち破れたのは一重に彼自身が殺す気が無かったからだ。
もしもボクを殺す気なら初手で殺している。
それはあの時点で理解できていた。
あの二回目の魔力による空間制圧は恐らく、自身の技量を暗にボクに見せびらかして来たんだと思うね。
風魔法をあんな風に使う人はあまり見覚えが無い。
多分、彼自身がそこそこ自慢に思ってる手札だ。
本気じゃないにしろ、この程度で制圧できるならここでそのまま殺してしまおうってくらいの思考はしてたんじゃないかな。
「ハンス・ウェルズガンドは手を抜いた。初見のボクに理解できることが、君に理解できない筈がない。いくら引っ掛けをしてくれても構わないけどね」
ふざけた交渉はしない。
姉上は身内だからまあ、そこは考慮しないとしても。
将来的に仲間に勧誘するつもりの女性相手に本気で真摯に向き合わない奴が仲間なんていやだろ?
だからボクはマルティナとのこの交渉に全力を尽くす。
この出会いがいつかどこかで竜巻を起こすかもしれないんだ。
「…………何があった?」
「元々こうだ。
普段を演じてる訳じゃない。
ただ、幼い頃の
ペーネロープとの戦いであの頃の感覚を少しだけ取り戻した。
この世の全てが己の手中にあるような全能感に浸りながら、魔法とは、魔力とはと深く深く入り込んでいく。
全能感はないけどね。
己を騙して虚勢を張る位の事は出来る。
そうしたら空気感だけはあの頃の、
それに何の意味があるって?
自信の無い男より自信のある男に賭けたくなるもんだろ。
「交渉だ、レディ。第二師団総合演習で
「……………………私に、横流ししろと? バカを言うな、リスクが高すぎる」
「だから交渉なんだ。一方的に此方が得をする気はない」
「……お前に私の何がわかっている?」
鋭い視線と共に投げかけられた問い。
ここだね。
外せないのはここだ。
ここを外してしまえばきっと、彼女は二度と交渉のテーブルに座ってくれないだろう。
父親はボクと同じようなロクデナシ。
弟は魔力を持たず、街はずれの公園で一人遊んでいる。
家庭環境は悪いのか、悪くないのか。
父親も第四師団か?
そうなるとマルティナは……
「……詳しい事はわからない。でも此方から提示できる条件は、君にとっても悪いものじゃないと思うぜ」
「言ってみろ。貴様は犯罪を教唆しているということを忘れるなよ」
「ああ。
「…………前者はまだいい。まさかとは思うが、後者は」
「その
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