ペーネロープ・ディラハーナ


 ペーネロープ・ディラハーナ。

 グランデーザ伯爵家に連なるディラハーナ家出身。

 かつて起きた七大国戦争にて功績を残し爵位を授かるが、その後数十年の衰退により褫爵ちしゃくされ現在の立場になった。


 他にも没落していった家系は多く存在し、ディラハーナ家はグランデーザ伯爵家に付き従い続けたために生き残る事が出来た。


 特に武力に秀でたわけでもない。

 特に魔法に秀でた訳でもない。

 商売上手でもなく、しかし無能ではない。

 グランデーザ伯爵を支える一派の一員として相応に評価されている、所謂『影の者』。

 決して表舞台に立つことは無かった。


 ペーネロープが生まれるまでは。


 量こそ少ないが魔力を持って生まれ、戦いの最中に魔法を使いこなすセンス。

 幼い頃から天賦の才と言える実力を発揮し同年代を悉く捻じ伏せる強さ。

 剣の腕、身体性、魔法。

 どれもを大人顔負けの高水準を満たして磨き上げた彼女は、十二の時に国家対抗戦に挑戦する。


 世代年代一切問わない実力至上主義の戦いにおいて活躍し、奮い、家の為自分の為戦い続けた。

 予選をあと一歩で越えられるその域まで到達すると伯爵家すらも支援し、彼女の黄金期は今まさにここだと頷けるほどに充実した状態で戦いに臨んだ。 


 近代で初めてディラハーナ家に現れた傑物に一族は沸き立ち──そして、とある少年との戦いで、それは儚く砕かれた。





(…………はあ、最悪……)


 じっとりと掻いた汗。

 肌に張り付く不快な感覚。

 無駄に着込んだ毛布が熱を籠らせて深夜に目を覚ましたペーネロープは、嘆息と共に起き上がった。


「うげ、全滅じゃん……」


 下着まで浸かったような状態になっているのに呆れ、手早く服を交換する。


 朝まで放置してもいいけど、誰かに洗ってる姿を見られるのはあまり好ましくない。

 まだ夜は寒いけれど、余計な事を言われるくらいなら耐えた方がマシ。

 そう判断して服を抱えたまま外に出る。


「寒っ……」


 流石に廊下は冷え込んでいる。

 汗を掻いたままの状態では風邪を引いてしまうかもしれない


(着替えて正解だったかも)


 足音を極力立てないように歩いていく。

 第二師団は軍部に所属している中で二番目、もしくは三番目に権力が強い。

 合計四つある中で最も国の中枢と深い関係にあるのが第一師団、その次に魔法使いを搔き集め非魔法使いを差別する第四師団。

 第二師団は決して裕福ではない。

 第四師団に回される物資と予算が増えていく中、最も被害を受けている場所だ。


 だから魔力石マギアライトを動力とした最新式の設備など存在せず、未だ旧然とした生活様式を営んでいる。


 冷たい廊下を歩き、玄関で靴を履いて、扉を開いて外に出た。

 外は風が冷たく吹いている。

 寝間着のまま出てくるのは良くなかったと少しだけ後悔してから、川へと足を進める。


 夜の闇に紛れ時折月光を反射するプラチナブランドの髪を靡かせながら、ペーネロープは思案する。


(…………あいつ、本当に私に勝つつもりなのかな)


 黄金騎士団オロ・カヴァリエーレに唐突に現れた男。

 かつてこの国最強と謳われ、幼い身でありながら国家対抗戦に出場し帝国と戦うまで各国代表を叩きのめした怪物。

 敗れてから消息不明となり国内が騒然としていたのに、それらが忘れ去られた今頃になって出て来た。


 少しだけ足を止めて瞠目する。

 今でもペーネロープは夢に見ている。

 あと一戦勝てば、予選を終えて本選へと出場できたのに。

 本選に出てさえしまえば注目度は上がり、負けたとしてもディラハーナ家とグランデーザ伯爵に報いる事が出来たと言うのに。


 負けた。

 手も足も出ずに負けた。

 自慢の剣技は届かず、魔法も圧倒され、全身を貫く光の刃で打ち倒された。

 それがエスペランサ家に伝わる相伝の魔法ですらないと知って、世界には本物の天才と偽物の天才がいるのだと思い知らされた。


 そしてそんな本物の天才に負けても折れない心を持っていたペーネロープは、その才と人生を費やしてとにかく努力した。

 己の女として磨くべきものも両立し、家の名を落とさないよう必死に足掻いた。


 すべては己を打ち倒した少年に勝つために。


 ……それなのに。

 あんな姿で現れて、ただただ惨めで。

 貴族としてのプライドもあの強者特有の空気感も消え失せた男の姿に苛立って、これまで抱えていた感情をありのままにぶつけて。

 ハイ勝ちましたで納得できたわけがなかった。


「……はー……」


 目的だった川は寮から歩いて一分程。

 もう目前だったこともあり一度思考を中断して洗濯して、今晩中には乾かないだろうと思いながら引き返していった。


 その帰りの事だった。


 ぼんやりと光が灯っている。

 光源なんてものは基本的に火と蝋を使った原始的なモノのみであるが、その光は少し違うように見えた。

 寮の方向から差し込んでいる様に彼女は感じた。


「…………この魔力は……」


 惹かれるように、それでいて気が付かれないようにゆっくりと近付いて行った。


 やがて明確に感じとれるくらいに近くまで来ると、そこで彼女は確信する。


 僅かに感じ取れる魔力。

 忘れる訳もない、あの時浴びた強烈な圧。

 こちらに興味なんて微塵も抱いてない冷めた目で淡々と魔法を放つだけの、あの男の姿。


 思わず胸に手を当てて、激しくなる心臓を押さえつけた。


(…………たった一週間で、あの頃に戻れるわけがないわ)


 当たり前の話だ。

 七日間で国で一番と謳われる程の実力を得られるのなら、きっと彼は浮浪者等と言う立場に甘んじる事は無かった。

 常識的に考えろ。

 あり得ないことだ。

 ペーネロープは自分に言い聞かせるようにそう心で囁いた。


(……それでも、あいつはあのアーサー・エスペランサよ。腐っても国家対抗戦に歳少年で選ばれた化け物)


 何が出来ると問いた。

 少しは昔を思い出すと答えた。

 あんなふざけた口調で適当な事を言うだけの人間じゃなかった。

 出来るわけがないことを堂々と言う、そんな奴じゃなかった。


『────いいや、出来るよ』


(…………バカバカしい)


 幼い頃に敗北したことを引き摺ったまま大人になって、それを振り切る事も出来ずに騎士という道を選んだ。


 考え過ぎだ。

 いい加減大人になれ。

 寮から零れる光は既に消えており、魔力の持ち主の場所も感じ取れない。

 もう戻っても見られることはない。


 そんなにも都合のいい世界ならきっと、私の人生だって。


 もっといい景色を見ていられたに決まっているのに。

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