第28話 み

 砂浜に腰掛け、穏やかな波の音を聞く。

 海は前に見たときとほとんど変わらない。

 もう昔のことで、完全に覚えているわけじゃないけれど、そこまで変化は感じない。あの時見た通りの、ただ水がたくさんあるだけの場所。


 昔と違う点といえば、時折、魔法生物の姿が見えるという点だろうか。彼らは海にも生息域を広げているみたい。元々いた他の生物達は魔法生物にはきっと敵わないだろう。

 魔法生物達は魔力を扱える。それは戦いにおいて強力な武器になる。

 魔法使いの魔法と同じように。


 ここに来ようと彼女は行っていた。

 私と2人で。あの言葉も、私への恋の現れだったんだろうか。


「私は」


 私はどうなんだろう。

 私は別にここに来なくても良いとは思っていたけれど、もしも来るならラヒーナと来たかった。今、隣に彼女がいれば、この味気ない景色も、もっと鮮明に見えたかもしれない。


 私は別にどこにもいかなくてもよかったんだと思う。もちろん戦争は嫌だったし、死ぬのも怖くて仕方なかったけれど、ラヒーナが帰ってくる場所にいられればそれでよかったのかもしれない。

 彼女がどこへ行ったって、あの部屋に戻ってくるという確信があった。多分、だからこそ彼女が他の人に恋をしても大丈夫な気がするんだろう。最後にはあの部屋に戻ってくる気がしていたから。


 きっと私はまだあの部屋にいる。あの部屋からでれていない。

 あそこでずっとラヒーナの帰りを待っている。

 あの確信が、勘違いだったとすでにわかっているはずなのに。

 帰りを待っていたって、彼女は帰ってこないとわかっているはずなのに。


 私はまだ結局、理解できていない。

 彼女のいなくなった実感を、心から理解できていない。

 わかってはいるのに、わかっていない。


 海を数日眺めているうちに、色々な戦場を見て回ろうと思った。

 過去の記憶に彼女の残り香を探して。


 次は森の中へと向かった。

 ここも何度か来た戦場だと思う。

 あの時は詳しい位置はわからなかったけれど、森の奥にそびえる大きな木には見覚えがある。


 森は比較的最初のほうによく行った戦場で、あの頃はまだラヒーナも同じ部隊にいた。彼女の魔法はその時から強力だったけれど、まだ魔力の絶対量が少なくて、広範囲攻撃はできなかったし、継戦能力が低かったから同じ舞台にいた。


 あの時、同じ場所で戦った人はほとんどがこの場所で死んだ。

 ここで初めて私は魔導戦艦というものを見て、その恐ろしさを味わった。副砲ですらない、小さな無数の砲門が私達のほうを向いていた。生き延びたのはたまたまだったとしか言えない。

 ラヒーナが魔法で守ってくれたのもあるけれど、それでも直撃していれば死んでいただろう。余波だけだったから生き延びたようなものだし。


 次に来たのは谷。

 ここもあまり良い思い出はない。

 というかいい思い出のある戦場なんてないのだけれど。


 その次は雪山。

 大きな滝のある川。

 そして街。


 魔力濃度の高い街。ネイリと初めて来た戦場。

 今はもう、ここの魔力濃度は他の場所と同じになった。この街の魔力濃度が下がったというよりは、他の場所の、世界全体の魔力濃度があがったから。


 未だにあの魔力災害の影響は消えそうにない。

 いろいろ名称もつけられ、恐れるものもいれば、畏れるものもいる。

 魔力爆発、魔力濃度の上昇、魔力壁の生成。

 あれのせいで、色々な事が起きて、あれのおかげで戦争は終わり、魔法使いは普通の人から生活圏を奪った。


 きっと昔それと同じことがこの街でも起こったのだろう。

 今思えばそれがこの街の魔力濃度が高かった理由だって考えられる。

 もちろん、あの魔力災害ほど大きくはなかったのだろうけれど、それでもこの街を人が住めなくしてしまうぐらいには大きな出来事だった。


 ここでラヒーナに助けられたのもはるか昔のことのように感じる。

 あの時の日記はまだあの部屋にあるのだろうか。まず、あの施設は今どうなっているのだろう。


 一応、それぞれの施設にいた人は救出されたと聞いた。もちろん救出まで生き延びた人だけだけれど。

 あの施設でどうやって生き延びていたかという情報はあまり広まらなかった。みんな語りたくないんだと思う。私も、ネイリも、あの時のことは何も話さなかった。


 魔法使い同士での殺し合い。あんな惨劇はだれも認めたくないものなんだろう。

 みんな語らないが、事実としてはそこに存在する。残された記録には、施設の生存人数しか残されていないけれど、それだけで推測する材料としては十分だった。

 あの時にほぼ全滅した施設は全体の3割ほどだったけれど、その中の半分以上はは殺し合いをした場所だったんじゃないかと思う。私たちのところは、まだましな場所だったのかもしれない。


 あの施設に残って生き残った人は少なかったけれど、最初に半分ほどは出て行っていたから。もちろん、最初に出ていった人たちも犠牲なしというわけじゃなかったのだろうけれど、それでも全員協力していたはずだし。


 久々に見た施設は、ぱっと見何も変わらないように見えた。けれど、よく見てみれば草木が侵食していたし、崩れているところもある。多分、自分の住んでいたこの場所すら、私はあまりとらえられていなかったんだろう。


 もう完全に人気のない場所にゆっくりと入る。

 最後の記憶のせいで警戒してしまうけれど、基本的にこの場所に悪い記憶はない。ここはいつも安全だったし、ここにはいつもラヒーナがいたから。


 もうほとんどの設備は壊れてしまっている。

 多分あの魔力災害の日には使えなくなっていたんだと思うけれど。


 訓練場や、教室、模擬戦をした場所。

 年月が経った割には意外と原型をとどめている。


 あの頃はずっとラヒーナに助けられていた。

 彼女のおかげなのかもしれない。全部。


 もしも彼女の言葉がなければ、私はネイリを助けることはなかっただろうし、彼女がいなくなってから生き延びることはできなかった。彼女の誰かのために戦う精神を、完全には理解できないけれど、あの心に私は憧れていた。


 彼女に恋をしていたかはわからないけれど、確実に憧れてはいた。あの誰かのために動ける心に。でも、あれは誰かのためだったんだろうか。

 もしかしたら彼女は私のために動いていたと考えるのは、驕りがすぎるだろうか。


 私のためだけにとは言わない。

 友達のために、家族の為に彼女は頑張っていた。

 けれど、私はもう知っている。彼女は完全な人じゃない。完全な人なんてどこにもいない。


 ラヒーナにだって、優先順位があって、帰るべき場所が大切だったはず。

 それはきっと、この部屋だったはずだ。


「そうだったら……」


 そうだったら、良かった。良かったのかな。

 彼女は、ラヒーナは最後にいったい何を思っていたのかな。

 私といるときに、彼女は何を思って。


 十数年ぶりに戻ってきた部屋は大きく荒らされて、私たちの生活の気配はなかった。どの部屋もそうだ。どの部屋もものが散らばっていた。

 大抵の部屋には腕輪が置かれている。この腕輪が死んでしまった人のものなのか、生き延びた人が外したものなのか。どちらかはわからない。


 もう面影もない部屋をでて、この施設で一番高い塔へと向かう。

 ここも昔よく来た場所。なにかあったわけでもない……そんなことはないか。私には大したことじゃなかったけれど、きっとラヒーナにはとても重要な会話をした場所。


「腕輪……ここにもあるんだ」


 小さな椅子に置かれた腕輪の隣に腰掛ける。

 あの時もたしかこんな風にしていたはず。

 たしか、ここにラヒーナがいて……


「ラヒーナ……どう思っていたの?」

「大切に思ってるよ。ルミリア」


 その瞬間、私は凍り付いた。

 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 横を見ると、見えるはずのない姿が見えて。


「ラヒーナ……嘘……」

「嘘じゃないよ」


 ありえない。

 ラヒーナはあの時いなくなったのに。


「でも、だって」

「私がいることは嘘かもしれないけれど、私が見えていることは嘘じゃない。そうでしょ?」


 その言葉で気づく。

 これは嘘。空想、妄想でしかない。

 ただの幻覚。

 少し考えればわかること。


「久しぶり」

「うん。久しぶりだね。会えて嬉しいよ」


 幻覚だとしても、私は言葉を紡がずにはいられない。

 けれど、幻だと知れば、思ったより落ち着いている。 


「私も、嬉しい」


 ラヒーナの幻影はただそれ以上何も言わず、私に笑顔を向けてくれる。

 あの時と同じ、少し照れたような笑顔を。

 それを見ているとやっぱり思い出してしまう。

 あの時のことを。


「どうして……どうして、いなくなったの……? どうして、私を置いて先にいなくなったの……? ラヒーナ。ねぇ。答えてよ。どうして想いだけを託して、先に行っちゃうの? 私は。私は……!」


 落ち着いているつもりだった。

 けれど、気づけば涙とともに彼女に言葉をぶつけていた。


「ごめんね」


 謝るのはラヒーナじゃない。

 私は彼女のおかげで。

 そう。私は彼女のおかげで、笑えていたんだ。


 あれから笑えなくなっていると言われて、それがまだ恋をしている証だと言われた。それが真実なのか、私はわからないままだけれど。

 あの時。ラヒーナがいたとき。私は笑えていたんだ。

 戦争は怖かったし、授業は退屈だったけれど。

 ラヒーナがいてくれただけで。


 この感情を恋と呼ぶのかはわからないけれど。

 もしも、私の願望を叫ぶのが許されるのなら。


「ちゃんと部屋に帰ってきてほしかった」

「うん」

「また一緒にお菓子を食べたかった」

「うん」

「ずっとそばにいてほしかった」

「うん。ごめんね。ルミリア」


 でも、それらは叶うことはない。

 それでも、彼女といた時間だけが、私の人生の彩だったのかもしれない。

 だから。


「ありがとう。ラヒーナ」


 彼女の手を取る。

 その手は不思議と温かい気がした。

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墓標の端に追想少女が ゆのみのゆみ @noyumi

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