第19話 し

 ネイリが私を特別だと言ってくれた。

 でも、特に何か変わることはなく、ネイリは変わらず私と接してくれる。

 それが私にはとても助かった。


 私は……特別というものが分かっていない。

 わかったと思っていた。一番大切な人だとラヒーナから言われて、それならラヒーナのことだって、簡単に決着をつけることができた。

 でも、今になって思えば、そんなものだったのだろうか。ラヒーナは私にもっと大きな感情を向けてくれていた気がする。どちらかといえば、私の感情がとても小さかったのかもしれない。


 今になって思えば、彼女が私を特別だと呼ぶときにあそこまで照れていたのも、なにか別の意味があったのかもしれない。それに彼女は私を助けに来てくれた。他のどんなことよりも優先して。

 そこまでの感情が、私にはきっとない。


 ネイリも、そうなのかな。

 ネイリも、私を助けるためにすべてを投げ出してしまうのだろうか。

 それは、わからない。でも、彼女の感情は私が持つものよりも大きい。


 その感情の差があの時、顕在化した気がする。

 でも、ネイリがそれに触れることはない。

 もちろん私も。


 私は多分、同じぐらい大きな感情をネイリに返すことは難しい。

 そうしなきゃいけないのかはわからないけれど。でも、お互いの感情が違うなんて、それは、なんというか、不平等なんじゃないか。

 ネイリは私に色々なものをくれるのに、私はネイリになにも返せない。そういう状況になるんじゃないか。それは、良くない、と思う。


 私ももらった分は返したい。でも、それだけの感情が私にはない。

 だから、触れない。


 まだ今は、ネイリが我慢してくれている。

 あの時の感情をネイリが表に出すことはない。でも、時折前と違う表情も見えるけれど。なんというか、前よりもくっつきたがるようになったというか。


「その、なんで手を?」

「だって私まだ1歳にもなってないんですよ? はぐれたらどうするんですか」


 こんな風に手を握られる日も増えた。

 でも、手を握る必要はない。はぐれる心配なんてしなくていいのは一目瞭然なほど、廊下は閑散としているし、ネイリだって来月にはもう1歳になる。

 第一、生後1カ月以後はそんなに差がないというのに。


「嫌、ですか?」

「そんなことは、ないけれど」


 こう上目使いで言われると、私は何も言えない。

 それにこうしていると、ネイリはとても楽しそうだ。

 その顔が見れるなら、手を握るぐらいいいかなという気もしてくる。




 魔力濃度が上昇してから50日目。

 ついに、状況は大きく変わる。悪い方にだけれど。


「先輩、聞きましたか?」

「うん。食料が消えた話でしょ?」


 その日はどこもかしこもその話題で持ちきりだった。

 備蓄されていた食料は、機械の管理がなくなって、人の手による管理がされていた。上級生が私たちを仕切って、食料を配布したり、管理したりしていた。

 その食料が消えたらしい。もちろん見張りがいなかったわけじゃない。でも見張りは、消えたところを見ていない。誰も気づかぬうちにひっそりと消えてしまったらしい。


「盗み、ですかね」

「多分そうだろうね」


 多分、盗んだ人は恐ろしくなってしまったんだろう。

 このままじゃあと40日で私たちは全滅する。

 それより長く生きるには、もっとたくさんの食糧を保有するしかない。


「困りましたね」

「でもまぁ、上級生が何とかしてくれることを祈るしかないよ」


 もしも上級生が犯人だったら。

 その可能性がふと頭によぎったけれど、考えるのはやめた。


 それからすぐに上級生によって、私たちは集められた。


「食料さえ返してくれれば罰には問いませんから……返してください……! みんな死んでしまうんですよ……?」


 気弱そうな上級生が私たちに必死に訴えかける。

 そう言われても犯人が素直に出てくるわけもなく、上級生たちはすべての部屋を見て回ることになった、私たちの部屋にも来たけれど、もちろん何も見つけることはない。


 その後、普通に犯人は捕まった。現場に解析系の魔法をかけると、魔力の残滓から犯人が分かったらしい。

 でも、食料は帰ってこなかった。

 食料は、犯人の空間魔法の中にあって、彼女の意思で外に出さない限り出てこない。


「ほんの数日、あなたたちの生きる時間は短くなるだけじゃない! それで……そう、私みたいな戦術的価値の高い人が何年も生きれるなら、良いでしょ? ねぇ、ちょっとだけじゃない。だから……お願いよ!」


 犯人を捕まえたという報告の場で、犯人はそのようなことを言っていた。

 でも、そんな理論が通るわけはなくて。

 5日間、牢獄のような場所に閉じ込められている。


「そろそろ返してくれる気になりましたか……?」


 また上級生の招集で集まった私たちは、少しやつれた犯人を見る。


「そ、そうね。返してもいいわ。でも、私、まだまだ生きたいの。それで考えたんだけれど、役に立たない子には食料を渡さなくていいんじゃないかしら? それで、どう? 価値の高い子が生きている方が良いでしょう?」


 そんなとんでもない理論を、彼女は言い出した。

 その時、気づく。上級生の魔力が高まり始めたことに。


「そうですね……そうしましょうか」

「わ、わかってくれるのね! それなら」


 それ以上は言葉にならない。

 気弱そうな上級生の魔力が解放されたかと思えば、犯人の子は破裂し、絶命していた。何か悲鳴を上げる暇もない。


「ぇ、そんな……」


 その行動の受け取り方は人それぞれだった。

 でも、私はまさか殺してしまうとは思わなかった。食料を盗んだことは大罪だし、あの人の思想は怖かったけれど、殺してしまうなんて。

 多分、犯人のあの子が私と同じ年だったことも関係している。一度も話したことはないけれど。

 

「でも、良かったですね。食料が戻ってきて」

「そうだけど……」


 食料自体は戻ってきた。

 彼女が死んだとたん、魔法の効力が切れ、彼女が隠した食料は戻ってきた。その他のいろいろなものと一緒に。ぬいぐるみや飾り物、ほかにもいろいろなものがあった。遠目ではあまりわからなかったけれど。


「……嫌、ですよね。あんなのは」

「うん。魔法使いが、魔法使いを殺すなんて……」


 魔法使い同士でぐらい仲間でいたいのに。

 そんな私の思いとは裏腹に、それからは魔法使い同士での争いが激化することになる。


 犯人の子が最後に残した、強者が優先して生き残るべきという思想に共感した魔法使い達が結託し、私たちのような戦術的価値の低いものを殺して回り始めた。最初は、多少食料を減らして欲しいと願い出るような小さな運動だったけれど、気づいたときには、どんな過激な手段も辞さない集団に変わっていた。


 もちろん、上級生たちは止めようとしたけれど、元々この施設に残った上級生はそこまで多くない。個人の力では勝っていようと数人がかりではなすすべがない人も多い。 


 結局、私たちのいた施設がどうなったのか私は知らない。

 一部だけが生き残ったのか、私たちのような弱いものも生き延びれたのか。

 その決着がつくよりも先に私とネイリは施設を出た。


 それは最初の殺人事件が起きた夜。


「先輩、私……」

「大丈夫、大丈夫だよ」


 同じ布団の中で、震えるネイリの手を握る。

 あの殺人事件が起きてから彼女は怯えている。私も、正直、怖くて仕方がない。


 もう、この場所にいるのは無理かもしれない。

 消えてしまった子の腕輪のある場所には複数の魔力の残滓があったらしい。

 そんな集団の犯行であれば、きっと簡単には止めれない。

 それに私たちが巻き込まれる可能性は決して低くない。


 私は、特別が何のかまだわからない。

 でも、ネイリのことは大切だと思っている。死んでほしくない。傷ついてほしくない。その気持ちだけは、本当だから。


「ネイリ、ここを出よう。今ならだれにもばれずに逃げ出せる」

「え、で、でも……」

「大丈夫。食料はまだ前回配布された分が残ってるし、それまでにどこかの町まで行けばいい」


 大分希望的な観測だなと、自分でも思った。

 でも、ここにいるよりはましな気がする。

 多分きっとここは、戦場になる。それも魔法使い同士の戦う。

 そんな場所で、ネイリとともに生き延びれる自信はない。それならまだ、外に出た方が良い。


「ネイリは、嫌?」

「嫌じゃないです! 嫌じゃないですけど……先輩は、良いんですか? その、ここにあるものは、先輩の大切な人の……」


 そう言って、ネイリはラヒーナの縫い狂いに目を寄せる。

 確かにこれらはラヒーナが帰ってきた時のために私が持っているもの。

 

「いいよ。本当は、持っておきたいけれど、死ぬよりはましだから」


 ラヒーナも、私とネイリが死ぬことは望んでいたいだろうし。

 それに、私もそろそろわかってきた。

 指しよは怖くて認めることなんてできなかったけれど……ラヒーナはもう、帰ってこない。


 それから私たちは、施設の領域を超えた。

 森を抜け、出てはいけないと言われた領域を超え、さらに外へと。

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