第2話

 寝台の軋みと、悲鳴と嬌声の入り混じった声、そして肉と肉がぶつかる音を、吸血鬼の青年は牙を噛み締めながら聞いた。銀の鞭で痛めつけられた彼の皮膚は、人ならざる者の不思議の力によって一秒ごとにもとのまったき状態に戻っていっている。ただしそれは、耐え難い飢餓感と引き換えに、だった。

 彫刻の姿に貶められて以来、彼のはたまに家畜の血が与えられるだけ、傷を癒すたびに彼の気力も体力も削られている。石でできた彫刻が、雨風に晒されて崩れていくように、不死を誇るはずの彼もいずれ朽ち果てるのか。それまで、どれほどの苦痛と屈辱を味わわねばならぬのか。──答えを知らない彼の脳裏に、やはり答えのない問いが繰り返される。


 いったいどうして、こんなことに。


 人に後れを取った不覚は認めよう。銀を塗った刃で四肢を地に縫い留められた時、彼も確かに死を覚悟したのだ。だが、人の血を啜る、いわば害獣を生かして繋いで飼い続けるのはいったい如何いかなる了見なのか。しかも、豪奢な部屋の調度のひとつとして飾り立てられ、夜ごとに飢えと屈辱に苛まれなければならないとは。


 寝台からは、甘い血の香りも仄かに漂い始めている。化物かれに鞭を振るったことで燃え上がった客の嗜虐心は、今は男娼の少年に向けられているのだ。白い肌に刻まれていく赤い傷痕が、彼の飢餓をいっそう駆り立てる。反らされた喉笛に食らいつこうと、銀鎖の戒めを忘れて四肢に力を込めてしまうほど。そうして、銀に肌をかれて呻く彼に流し目をくれて、少年は嗤うのだ。紅い唇で美しく笑み、客に睦言を囁きながら、碧い目が捉えるのは彼だけだ。


 少年は身を持って挑発しているのだ、と彼は理解している。


 目の前で極上の血が流されるのを見ることしかできないもどかしさ。届かないのを知っていながら足掻いてしまう愚かしさ。それを眺めて愉しんでいる。不死の怪物を屈服させて嬲ること──あるいは、彼の受難の理由はそれなのだろうか。


 客を見送った後、少年は決まったように繋がれる彼のもとへ歩み寄る。裸足のままで、ぺたぺたと軽い足音を立てさせて。怒りと憎悪に燃える彼の目を涼しい顔で見下ろして──そして、舞のような優雅な動作で足を持ち上げる。


「腹が減っただろう。──舐めてみれば?」


 少年の白い爪先からひと雫、滴ったのは汚れた血だった。少年の脚の間から伝い、客のおぞましい体液も混ざっているであろう、濁った赤い色をした。舌を伸ばしてぎりぎり届くかどうかの、絶妙な位置に垂れた一点の染み。なのに今の彼にはこよなく芳しく魅惑的に見える。

 思い通りになるものか、と。理性では思う。けれど飢えは矜持を容易く食い荒らす。銀の鎖をしゃらりと鳴らせて、彼は床に這いつくばった。頬を床につけ、みっともなく舌を伸ばして、薄汚い一滴の甘露を求めて喘ぐ。


「そんなに腹が減ってるんだ。大変だねえ」


 頭上から降る嘲笑を浴びながらでも、口中に広がる血の味は美味だった。性根は歪んでいる癖に、美しい少年はその身に流れる血までも美しいのだ。

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