第42話 大暴れ!綾瀬教

 ロビーは異様な雰囲気に包まれ、それ自体で押しつぶされそうだった。中央で誰かと誰かが激しく言い争っている。いや、罵倒しあっていると言うべきか。

「なんなんだお前は!!狂ってる!!もうほっといてくれよ!!」

「ほっとけません!!あなたは神の救いを真っ先に受けるべき選ばれし存在なのです!!どうか入信のサインをしてください!!」

 そこへ二人の若い男が急行してきた。言わずもがな、タカルとビークだ。

「ちょっとちょっと、何をやってるんですか。みんな心配してますよ。『ナバマーン』に戻りましょう」

 ビークは優しく教祖に声をかける。だが加熱した押し問答は収まらない。

「黙っていてくれ!!いいですか、神は我々を、そしてあなた方を守るのです!!今こそ綾瀬はるか様を頼る時!!さもなくば人類は滅び…」

「何をやってんだ馬鹿野郎!!」

 押し問答より数倍大きな声が聞こえた。振り向くと、そこには灰色の髭を生やした初老の男性が立っていた。叱声を飛ばしたのも彼のようだ。

「あっ、あなたは」

「やあやあまた会ったな、若いの。いったいどうしたんだ?もうナオコ達は出発したと思ってたが」

「すいません、こいつも『ナバマーン』の乗組員なんですが…出発しようとしたら集まっていなかったので」

「聞いてください!!ここで一人でも入信者を得られたら!!私はなんでも要請を受け入れます!!」

 教祖は声を張り上げ続けている。もう手がつけられない。と思われた矢先に思いがけない展開があった。

「はぁ、わかったわかった。俺が入信してやるよ、だからもう黙れ」

 アンクルおじさんは、教祖のひきつった顔を見る見る間に歓喜の表情へと変えてしまった。

「あ、あ、ありがとうございます。どうかここにサインを…」

 教祖からペンを取り、ささっとおじさんはサインを入れた。あまりに達筆で何を書いたかはわからなかった。

「これでいいんだろ。…おい。宗教の布教は止めないが、人様に迷惑をかけるな。俺は別に何の権限も無いが、迷惑な行動を全力で止める義務があるんだ。あと、もうイトカワに来るな。布教したいなら月ででもやっとけ」

「は、はい…」

 剣幕に押され、さっきまでの狂乱たる行動は教祖から完全に浄化されていたのだった。タカルは何も言えないままだった。

「ありがとうございます。すぐにここから立ち去らせますんで…」

「何、いいって事よ。そういや名前聞いてなかったな」

「私はビークです。こいつは友人のタカルです」

「そうかそうか、ほんじゃ、またな」

 おじさんは去っていった。

「やれやれだ。…急がないとキャプテンが心配しますよ。ちょっと、聞いてますか?」

「やった…やったぞ!!信徒だ!!仲間だ!!神を共に信ずる同胞…!!」

 教祖はサインがされた紙を握りしめて、同時に喜びを噛み締めている。だがイカれているのは隠せなかった。

「全く…行きますよ、もう」

 ビークは無理矢理に教祖を引っ張っていった。周囲には『神の教え』などと書かれた紙切れが散らばっている。タカルも少々気後れしたような気分にありつつ、その場を立ち去った。そしてそのあとにはポカーンとしている野次馬だけが残されたのだった。

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