第10話


 結局、地図を使うことはなかった。古賀先輩がタクシーを呼んだからだ。

 タクシーっていうか、パシリ? 見た目はタクシーそのものなんだけど、何故か誰もお金を払わないで降りる。

 代金いいんすか、と古賀先輩に聞いたら、あれはユーヒさんの駒だから、と返ってきてびっくりした。運転手の人、普通のおじさんに見えたのに。ユーヒさんってどこまで手広げてんだろ。

 マックで時間潰して、十時少し前に店を出る。横に広がって歩いてたからか、後ろからプアー!とクラクションが鳴らされた。

「ぁんだてめぇやんのかゴラ!」

 車に中指を立てる屋島を浜田先輩がまぁまぁと抑えて、みんなを道路脇に寄せさせる。

「あんなん関わってる暇ねぇだろ。それよりお前ら、これつけとけ」

 浜田先輩に渡されたのは、目出し帽だった。ドラマで銀行強盗とかがよくつけてるやつ。今からやることを考えると、まんますぎる。いかにも悪役って感じだ。

 被ってみると、暖かくて結構付け心地が良かった。まぁ元々防寒具だもんな。

 塾の入口を確認できる目立たない場所を探し、そこに隠れ潜む。もう秋だし夜は底冷えする。こんなかっこしてなにやってんだろ、とちょっと気持ちが萎えたが、ふと隣を見ると、眼球を押し出さんばかりにギラギラ目を光らせている屋島がいて、人種が違うなぁと思った。俺は暴力を心待ちにできない。嫌なことから逃げたくて、結局もっと嫌なことに巻き込まれてるだけだ。

 しばらくすると、塾のドアが開いてわらわらと中から人が出てきた。

「来た、あいつだ。青いジャケット着てる」

 浜田先輩が指さした男を目で追う。暗がりで見る私服の山内は写真とは感じが違ったけど、確かに同じ顔だ。ぽやーっとしてこれから自分になにが起こるかなんて全然わかってない顔。一緒に塾を出てきた奴らと手を振って別れ、近くの自販機によりかかってスマホを操作している。

「行くぞ。口、足、手の順だ」

 古賀先輩の言葉で、俺らは一斉に動き出す。

 まず背の高い古賀先輩がそっと山内の背後に忍び寄り、手を回してガムテを口に貼り付けると、すかさず浜田先輩が山内の足を揃えさせてロープでぐるぐる巻きにする。俺と屋島は、パニクってバタバタ動いている山内の腕を両方から掴んで抱え込む。

 暴れる人間相手にやってるから、そんなすんなりいったわけじゃなかったけど、四人がかりで抑えつければ男子高校生一人ぐらい余裕で拘束できる。あとは目立たない路地裏に引きずっていき、適当に痛めつけるだけだ。 

「屋島、もういいぞ」

 古賀先輩が言うと、屋島は山内の背中を蹴って地面に転がし、右手を勢いよく踏みつけた。ダンダンと何度も踏みつけるうち、指が変な方向に曲がっていく。くぐもったうめき声が聞こえるが、ガムテのおかげで誰かが駆けつけてくるような悲鳴にはならない。

 続けて山内にのしかかって拳を振り下ろしだした屋島を、浜田先輩がのんびり止める。

「あんまやりすぎんなよ。抗争じゃねんだから」

 屋島は不満そうだったが、おとなしく引き下がった。暗闇の中で、グスッと鼻を啜る音が聞こえる。固く目を瞑った山内が泣いていた。涙と鼻血がぬらりと口元のガムテを汚している。

 怖いよな。なにがなんだかわからず混乱しきって、とにかくこの恐ろしい奴らから離れたいって気持ちでいっぱいになってるはずだ。俺もそうだったからよくわかる。

「これで手は使えんくなったし、えーっと、風邪でも引かせとく?」

 浜田先輩はリュックからカッターを取り出し、山内の服をぎちぎち切っていった。厚手のジャケットには苦戦していたようだけど、古賀先輩が切れ目のところに手をかけてガッと両側に引っ張ると見事に破れた。

 浜田先輩はわざわざ一度表の道に戻り自販機でミネラルウォーターを買ってきてから、上半身裸になった山内に中身をぶっかけた。山内の上下する胸に手を当てて「こいつめっちゃ心臓バクバクしてる」と笑う。

「どうします、古賀さん」

「いいんじゃないか。左手は使えるんだし、スマホと一緒に転がしとけば自分で助け呼べんだろ」

「ですね。せっかくなんで、とりあえずみんな一発ずつ殴っときましょう」

 余計なことを、と思ったが、逆らえるわけもない。ずしんと重い古賀先輩の一発、鋭く切り裂くような屋島の一発、速度は普通だけど眼球ギリギリに当てた浜田先輩の一発のあと、いよいよ俺に視線が集まる。

 どうする? 既に山内はボコボコにされてる。今さら俺のヘロいパンチが当たったところでたいして変わらない。目出し帽があるから誰がやったかもバレないし、これでお終いにするみたいだし。

 ぎゅ、と拳を握り締めて山内に近づく。古賀先輩が、地面に倒れ伏している山内の脇の下を持ち上げて俺の正面に置いた。

 体が強張る。心臓が急速に跳ねる。多分さっき水をかけられてた山内と同じぐらいバクバクいってる。嫌だ。どうしようもなく嫌なのに逃げられない。くそ、なんで、なんでこんなことになってんだよ!? 馬鹿じゃん、俺、俺はさぁ、俺は……向いてないんだ、無抵抗の奴殴るなんて。

 自分の意思で来ることを選んだくせに、今になって怖気づいてる。無表情な古賀先輩の視線が怖い。早くやれって言われてるみたいだ。そうだ、先輩にいつまでも重い思いをさせるわけにはいかない。

 俺は追い立てられるように拳を振りかぶり、前に突き出した。

「ぅあっ!?」

 勢い余ってよろける。拳は直撃せず、山内の頬をかすめて空を切った。

「うっわ、マジかよ、クソダセぇ!」

 浜田先輩がけらけら笑う。屋島は馬鹿にしたように舌打ちしてそっぽを向いた。

「うわ~ハズ……今の忘れてください」

 俺は最大限に落ち込んだ顔をする。わざと空ぶった? それとも偶然? 自分でもわからなかった。でも俺が喧嘩慣れしてない雑魚なのは確かで、この場にいる人たちにも絶対そう思わせなきゃいけない。わざと仲間の儀式に水を差すなんて、ただ弱いだけよりも罪だ。

「いやお前、今のはぜってー擦ってくから」

 浜田先輩は俺の肩に腕を回し、乱暴に叩いた。

「筋肉足りねえんだよ、筋肉が。西山のジム紹介してもらえよ。お前に喧嘩の腕は期待してねぇけど、あんま弱すぎっとユーヒさんが舐められるかもしんねぇだろ?」

 ま、そんな奴いたら即殺しだけどな、と八重歯をむき出しにして笑う。うちのサッカー部の部員はみんな、ユーヒさんに心酔している。ユーヒさんを崇め、ユーヒさんに絶対服従し、ユーヒさんの手足となって働くことに喜びを感じている。

 俺はその様子を見ると少し引いてしまうけど、でもそうなれたら気持ちいいんだろうなとも思う。きっととても幸せで、安心できるだろう。ユーヒさんのために人を傷つけて利用しても、何の罪悪感も抱かないでいられるだろう。

 そこに行きたい。でも行きたくない。

 変わることが怖くて何も考えないふりをしてきた。いつまでも誤魔化し続けることなんてできないのに。

「ジム、いっすね。俺もほんとは強くなりたくて」

 無理に笑ったら口の端が引き攣った。浜田先輩は気づいた様子もなく、だよな、と嬉しそうにしている。辺りが暗くて助かった。

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