第9話

 昨日寝るのが遅かったせいで、頭がすっきりしない。寝ぼけ眼を擦りながら校門をくぐり、サッカー部のプレハブ小屋に行く。中にはカウチで漫画を読んでる浜田先輩と、ダンベルで筋トレしてる古賀先輩がいた。

 この時間には、大抵そんなに人がいない。給食が終わったあとから段々集まってくる。そもそも滅多に登校しない人もいるしな。明石さんって三年の先輩は、古賀先輩とため張るぐらいに強いんだけど、他校との喧嘩の時とゲーセンでしか見かけないらしい。

「っはざす」

 軽く頭を下げて、薄い鞄を床におろす。浜田先輩はゆるく片手を上げて、「はよ~」と言った。

 そのまま近くでスマホをいじりながら待っていると、五分ぐらいして、漫画を読み終えた浜田先輩が立ち上がって俺の方を向き、ん、と古賀先輩の方に顎をしゃくってみせる。

「なんですか?」

「昨日の封筒」

「あ、はい。古賀先輩、ここに置いときますね」

 鞄から取り出した封筒をベンチの上に置く。古賀先輩は封筒から札を出して数え、無言で頷いた。

 金稼ぎが上手い人はほかにいるけど、保管は基本的に古賀先輩が担当する。古賀先輩は、なんていうか、融通が利かない人なのだ。ユーヒさんが命令するまで絶対に金を出さない。例外は部員が捕まったり怪我したりしたときだけで、あとはどんな事情があろうが岩のように動かない。

 サッカー部のナンバー2で筋肉質な180センチの長身、しかも柔道経験者の古賀先輩を脅そうとする奴なんかいないし、ユーヒさんに忠誠を誓ってるから金額を誤魔化すようなこともしない。部員の中では鉄壁の金庫番と呼ばれている。

 浜田先輩は地図のスクショと写真をアプリで送ってきて、説明した。

「山内は八時から十時までここの塾行ってる。どっちも親が車で送り迎えしてっけど、帰りはどんぴしゃで来ないことが多い。十分から三十分ぐらいその辺で待ってるらしい。その隙を叩く」

 写真に写っていたのは、赤い鉢巻を巻いてにっこり笑っている男子高校生だった。体育祭で撮ったのかな。これが山内か。どこにでもいそうな普通の奴だけど、明るい印象だ。少なくとも三谷より友達多そう。

「つーことで、今晩九時に塾前のマック集合ね。山内はヒョロガリだから、よっちーでもなんとかなんだろ。まぁ火事場の馬鹿力ってやつもあっから、ナメすぎねぇで気合入れてけよ」

「はい!」

 大きな声で返事する。覚悟なんか一つもできてなかったけど、こういうのは勢いだ。例え内心ブルってても、弱気を見せたら本当に『弱い奴』になる。

 まぁ古賀先輩と屋島がいるなら、俺の出番なんてほとんどないだろ。不良って言ってもみんなが喧嘩強いわけじゃなくて、伏見先輩や浜田先輩なんかはほどほどで手を引いたり武器使ったりしてるけど、古賀先輩と屋島は素手でも相手を圧倒できる。立ってるだけでなんかヤバそうなオーラ漂わせてるもんな。同じ部員じゃなかったら絶対近づかなかった。

 そのあとは伏見先輩を探しに来た三年の女子の愚痴に付き合わされたり、西山先輩にプロレス技かけられたりしてるうちに時間が経って、給食食べに一回教室行ったほかはずっと部室にいた。

 放課後になったらお母さんに電話をかけて、今日は部活で一日合宿がある、と伝える。

「一日合宿? 聞いてないよ、そんなの」

「ごめん、言うの忘れてて。大会近いから気合入れたいって先生が」

「ご飯とかパジャマとか大丈夫なの? どこに泊まるの?」

「部室広いから平気。必要な物は先生と先輩が用意してくれるって」

 戸惑ってるお母さんにそれらしいことを言って誤魔化すのにも、もう慣れた。軽い口調で楽しげに答えて、当たり前のことを言ってる感を醸し出す。

「そうなの? ……中学って、いろいろ小学校と違うんだね」

 微妙に納得いってなさそうな声だ。詳しく突っ込まれる前にさっさと切ろう。

「うん、ほんとごめん、急になっちゃって。先生呼んでるから切るね。じゃ」

 電話を切って、ついでに電源も切る。山内襲撃までずっと先輩たちと一緒だから、特に使うこともないはず。

「ママ優しーんだ」

 近くにいた浜田先輩が声をかけてきた。口角は上がってるけど、目が笑ってない。

「いや、うざいっすよ」

 咄嗟に悪く言って、苦笑してみせる。浜田先輩は平坦な声で「手出せ」と言った。

 マジか。襲撃前なのにやんのかよ。この人やっぱ、親地雷っぽいよな。特に母親。

 痛みに備えながら両手をお椀の形にして差し出すと、燃えてる煙草の先をぎゅっと押し付けられる。いっっってぇ! 皮膚の焼ける嫌な臭いと神経に触る痛みに涙目になる。これは何度やられても慣れない。

 浜田先輩は、哀れむように目を細めて俺を見た。

「心配してくれるママの悪口言うなよ、な?」

「はい……」

 言わなかったらそれはそれで機嫌悪くするくせに、と思いながら頭を下げる。

「すんませんでした」

「ん。それ、まだ全然残ってっから吸っていいぞ」

「あざす」

 煙草なんて一度もうまいと思ったことはない。

 先輩にジッポを借りて、もう一度煙草に火をつけた。ヤニ臭い部室にまた煙が立ち込めていく。人の顔も見えづらくなるこの煙は、少しだけ好きだった。

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