第2話

 中学校に上がる前から噂は知っていた。俺らの学区にヤバい奴がいるって。親たちは声を潜めて子供に聞かせないようにしていたけどそういうのって自然と耳に入るもので、情報通の女子が友達ときゃーきゃー言いあって騒いでいる内容は、後ろの席の俺にもばっちり届いていた。

 「参堂の悪魔」「誰も逆らえない」「めっちゃかっこいいって」「喧嘩最強」「なんか近づくと妊娠するらしいよ」「親がヤクザだとか」「大人も顎で使ってる」「人殺したみたい」……

 どこまで本当なのかさっぱりわからない噂話を、俺は話し半分に受け取っていた。あまりに現実離れしていたものだから、完全に尾ひれついてるだろそれ、と聞き流していたのだ。まぁ怖い人がいるみたいだから関わらないようにしとこう。不良っぽい先輩には近づかないでおこう。なんて、ゆるゆるの認識で中学に入って、その先輩がどこに生息しているのかすら調べなかった。

 そんな馬鹿な新入生は俺だけじゃなかった。同じ小学校出身でたまたま中学でも同じクラスになった木場は、何も知らず俺をサッカー部の体験入部に誘った。何故かサッカー部は入学式の部活勧誘の場で出てこなかったけど、でも部活一覧には確かに載っていた。俺たちはサッカーが大好きだったので、わざわざ先生にサッカー部の部室を聞いて、うきうきでそこに行ったのだ。プロを目指すレベルの真剣なサッカー好きなら、入学前に中学のサッカー部の評判をちゃんと調べてたんだろうけど、俺たちは毎日昼休みには校庭でサッカーするという程度の普通のサッカー好きだった。だから、もしガチで大会優勝を目指すようなスパルタ系だったらやめよう、ぐらいの軽いノリだった。

 俺の担任である三十代黒ぶち眼鏡の地味な先生はちょっと顔をしかめて部室の場所を教えてくれた。俺たちがそういう ・・・・奴らだと思ったのか、あるいは何も知らないことを察してはいたけど止めるのも面倒だったのか。

 ともあれ俺と木場は先生の表情なんか気にもせず、グラウンドの隅に建てられたプレハブ小屋のドアを「失礼しまーす」と能天気に開けて、目の前に広がる光景に固まってしまった。

 暗い室内に立ちこめる白い煙。転がる酒瓶。血を流して倒れ伏している男子生徒。散らばる漫画雑誌。そして一斉にこちらに向けられた柄の悪い男たちの鋭い眼光。学ランを着ているからには生徒なんだろうけど、ちらほら見えるカラーシャツに金髪に腰ばきのズボンに尖ったアクセサリー。触れたことのない人種だった。

 あまりに想定外の惨状に頭が真っ白になった俺たちに、男たちの中心でベンチに座って胡坐をかいていた男が、どうでもよさそうに言う。

「あぁ、新入りか」

 その途端ほかの男たちは俺と木場を室内に引きずり込み、後ろのドアをバタンと閉めた。

 木場は泣きそうな顔で震え、俺は真っ青になって一番権力がありそうな中心の男を伺い見た。この人が全ての鍵を握る。この人に許されれば無事に帰れるが、少しでも機嫌を損ねたらきっと酷い目にあうだろう。本能的にそのことを悟っていた。

 髪は少し長めで、無造作ヘアなんて言い訳もできないほどのぼさぼさ頭。着崩した学ランから首元に下がった銀の鎖がのぞく。適度に日に焼けた肌は健康的に見えるが、冷めた空虚な瞳は淀んでいて人間味が感じられない。大柄な体をだらしなく投げ出し、煙草を咥えてつまらなそうにスマホを操作している。凄んだり構えたりしてないのに、異様に威圧感があった。その人の周りだけ取り巻く空気が違っていた。

「……こいつらどうします、ユーヒさん」

 坊主頭のいかつい男が遠慮がちに尋ねると、ぼさぼさ頭の人は、んー、とこちらを見もせずに低い掠れた声で言う。

「ま、人手はあった方がいいから。使えや」

 その一言で俺達の扱いは決まった。


 そして俺の――俺の人生の結末も、おそらくこの時に、全てが。

 全てがこの瞬間に定められたのだろう。

 過去は変えられない。未来は既にない。

 俺は悪魔と出会ってしまった。目の前に顕現した最悪の悪魔、そして自分の中の悪魔と。


 そう、まさにこの時、俺は地獄へと続く道に足を踏み入れたのだ。



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