1-4-2 解体作業はもうタイヘン!
どこに行くのかと思ったら、左側の職員専用のドアから入った左手の奥。ゲームでは入れなかったところだ。
常駐してる職員の人数が少ないのか、ほとんど物音がしない。
「ここって台所…?」
「みたいですね……」
サイモンさんについて入ったのは、十畳ぐらいの石造りの部屋だった。
ベルトリアの世界じゃステンレスはないから、濡れてもいい作業場所は大体石造りだ。
かまどや調理台、氷冷庫と作業台、どれもが大きいし広い。お鍋はあるけど食器が数人分ぐらいしかないのが不思議だな。
それに、壁際に一体何を切るんだ? ってぐらいの巨大なものから梅干しのヘタ取りに重宝しそうな小さなものまで、いろんなサイズの刃物がずらっと並んでる。
ほかにはハンマーとかのこぎり? みたいなのとか、ここに窓がなくて地下だったら中二病的に拷問施設に見えたかも知れない。
真ん中には巨大な熊型の魔物を置いても余裕がありそうな石の作業台があって、サイモンさんはそこにどさっとグラスボアを下ろした。
「ここは解体作業場だ。俺たちの飯を作ることもあるがな」
そう言いながら、慣れた手つきで顎や四肢を確認して行く。なんだか獣医さんみたいだ。
「ん? 硬直がねえな。まだ熱も残ってる。いつ倒したんだ?」
「えっと…時計を持ってなかったんで詳しい時間はちょっと……」
「エリアの境界でした。そこでこの鞄に
「少なく見積もってもそこからここまで二時間はかかるぞ。……その鞄はただのマジックアイテムじゃねえな」
え、どういうこと?
なんでエルフィーネまで怖いものを見るみたいに俺の鞄を見るの!?
ここで俺のビビリ根性炸裂だよ!
どう言い訳したらいいかわかんなくなって涙目でぎゅっと鞄を掴んだら、エルフィーネが慌てて俺の手を握って言ってくれた。
「ごめんなさい、あなたのおばあさまを悪く言うとか、そんなつもりじゃないんです! ただ、思った以上にすごい鞄だったから、危ないって思って」
「危ない? なんで? 便利なだけで、べつに爆発したりしないよ」
「そうじゃないんです、サトル」
オウルばあちゃんはそんな、誰かに怖がられるような人じゃなかった!
なんとか言い訳したくて言ったら、サイモンさんがわしっと俺の頭を大きな手で掴んで教えてくれたんだ。
「いいか坊主。その鞄にゃ、『
そ、そういうことか!
いや、その危険性はもちろんちょっと考えたけど、これ鞄じゃなくて俺専用のソロモン・コアがあるから使えるんだよな。
でもそんなこと言えないし、ここは素直に頷いておくことにした。
「わ、わかりました。俺しか使えないようになってるそうだから、盗んだらたぶん普通の鞄になると思いますけど…」
「サトル、ほかの人はそのことを知りません。たとえそう言ったところで、信じる人はいないでしょう。だから気を付けないとだめなんです。なにより、大事なおばあさまの形見なんですから」
「うん。気をつける」
「そうしろ。じゃあ、
「お願いします!」
そこからサイモンさんの授業が始まった。
「まず基本だ。どんな魔物にも
「心臓…」
「こいつなら刃先からこの角度だな。四つ足の獣型なら前脚の付け根から胴体の幅が多少あっても、大体このあたりの位置だ」
このグラスボアだと、前脚の付け根から俺の手のひら分上って感じか…。ふむふむ。
「肋骨の隙間にねじ込むんですね」
「そうなるな。心臓の中から出すんだ。やってみるか」
「うっ、は…い」
うわ、いきなり短剣を渡された。短剣でも結構重いんだな…。まあこれ、だいぶ刃が厚いからそのせいもありそうだけど。
「この角度でまず刃を差し込んでみろ」
「はい…っ」
「そんな恐る恐るするやつがあるか。こうだ」
「ひぃっ」
石の作業台に寝かされたグラスボアを前に、いざ刺そうと思ったら情けないことにカタカタと手が震えちゃって、サイモンさんが俺を背中から抱くような形で右手を上から掴んで、肋骨の隙間に刃を差し込みながら教えてくれる。
ひいい、思ったより簡単にずぶずぶ入っていく!
とどめを刺したのは俺なのに、なんで今さらびびってるんだ、我ながら! でもお肉の形じゃなくてまだ動物の形だからどうしても抵抗感ががが…!!
「! なんか当たった」
「心臓の中にある
恐々探ってたけど、見つけた!
ガチンって刃先に伝わって、今度はそれをスプーンでするみたいに絡め取って引き出しにかかる。
「わ…うわわ…」
「
「はい…っ」
手を離されたから、あとは自分でやるしかない。
サイモンさんが離れたら急に背中が寒くなったのは、心細さじゃなくてきっと物理的な熱量だ。
へえ、これが
「取れました!」
「よし、次は解体だ」
言うが早いか、サイモンさんが鉄製のハンガーで脚を開いた状態に固定したグラスボアを逆さにして、天井から垂らしたリールに吊るす。
首の傷をさらに大きく開くと、またぼたぼたと血が滴った。
血抜きが不十分だったらお肉に血が残って不味くなるから、売るならこれは絶対やらなきゃダメなんだって。
売るかどうかはともかく、どうせなら美味しく食べたいから気をつけなきゃね。
「川のそばで狩れたら、縄で脚を縛って頭を川下に向けて漬けてもいいぜ」
「あ、それは見たことがあるかも!」
おっと、口から出ちゃった。
普通のイノシシの血抜きだったと思う。いつか忘れたけど、生前にテレビで見たと思う。
ほかにも、今回はこの鞄に入れてたからこれで大丈夫だけど、本当は食べられる魔物を仕留めて持ち帰る場合、最低限でも現場で血と内臓…特に腸を取り出すこと。
鮮度の見分け方として、獣型の魔物は大体顎から硬直が始まって四肢と身体に広がり、解けるときは逆になるとか。時間は個体の状態と環境次第だから、これは大雑把な見分け方らしい。
森でも肉は食べたけど、大体は鳥類とウサギ、あとは魚だったんだ。鹿肉はたまに食べたけど、あれは町に行ったオウルばあちゃんが持ち帰って来たものだったから知らなかった。
小食なばあちゃんと子どもの俺じゃ、大きすぎる獲物は腐らせてもったいないしね。
「皮を剥ぐなら冷やした方がやりやすい。
札ってなんだろうと思ったら、サイモンさんがポケットから水色の栞みたいなのを取り出して、ぶちっと水色と白の組み糸を千切った。
ぶわっと冷気が広がってグラスボアを包む。
すごい、一気に冷えた!
ほかにも弓を使うときはなるべく一撃で心臓か目から脳を狙うこと。これは毛皮を傷めたらその分買取価格が下がるからだそうだけど、そんな一撃必殺の腕はないから精進あるのみだ。
そしていよいよさばき方なんだけど、情けないことに俺は直視できずに「うっ」と来てエルフィーネに背中をさすられてしまった……。
大型の獣をさばくのは、慣れないと無理だ!!
「こら、しっかり見ねえか」
「は…はい…うう」
「サトル、無理しないで」
「そこは根性入れて無理しろ。冒険者になるなら、仕留めた獲物を自分でさばけねえでどうする」
そ、そのとおりです!
「ざっくり言うが、四つ足の獣は大体どれも同じさばき方でいい。腹からまず縦、それから四肢に向かって切る。深さは季節によって脂肪のつき方で変わるが、そこも慣れだ」
逃げ腰になってたら、吊るしたグラスボアの前に近くにあった木箱を足で寄せられて、猫の子みたいにひょいとその上に立たされた。
これ、俺の身長がサイモンさんの胸まで届くかどうかで、教えにくいからだろうな…うっぷ。
「最初に腸と膀胱は肛門周りをくり抜いて引き出す。膀胱と腸は絶対に破るなよ。破って中身が肉にかかったら、かかった部分を全部切って捨てることになるぞ。内臓と血も新鮮なうちはソーセージにできるから、もし使う場合は一つずつ丁寧に、必要なけりゃこうやって掴んで引きずり出して下に落としゃいい」
「う゛…ッ」
そう言いながら、生温かいぐにゃっとしたのを掴まされて、また後ろから俺の手を使うようにして実践された!!
む、…むりぃ…!!
ごついナイフ? 短剣?? で、腹から四肢にかけて切り開いて、グラスボアの下に置いたでかいタライにいろんなものがぼたぼたと落ちたあたりで、俺は流し場に縋り付いて悪酔いしたダメサラリーマンみたいになった!
「ったく、しょうがねえな。嬢ちゃん、続きはできるか?」
「はい。教会に食料として持ってきてくださる方も多いので、慣れています。穴の開いていないところは使えると思いますから、皮も剥ぎますね」
「よし、任せたぜ。必要な道具があったらそこから勝手に使え」
「はい、わかりました」
えええ、シスターなのに、エルフィーネ、マジか!? 生まれ育った環境の違いだろうけど、逞し過ぎない!?
かわいそうでお魚さばくなんてできない☆ なんて言う子より、将来はよっぽどいい奥さんになると思うけども!
出るものがなくなってから恐る恐る見たら、エルフィーネは細腕に見合わぬ慣れた手つきでさっさと中身を抜いて、皮も器用にするすると剥ぎ…あ。
ここまで来たら、吊るした牛肉とか豚肉っぽいかも……? それにグラスボアって、脂が多くて外側は真っ白なんだな。
貧血でも起こしたのか、ぐらぐらする視界の中息を整えてたら、サイモンさんが義足の重い音を立ててのっしのっしと俺のそばに来た。
「そら、口開けろ」
「…?」
なにかわかんないけど、自分より強い相手に従うのって俺みたいなモブの習性かも知れん。
素直にぱかっと開いた口になにか突っ込まれた。なんだこれ、ミントの葉?
「それを噛んで飲め」
次は重くて頑丈そうなマグカップを口元に押し付けられて、のろのろと持ち上げて飲み込む。
「!」
おお、口の中が一気にさわやかに! それに頭もしゃんとした!!
「あ、ありがとうございます」
「ったく情けねえな。ほら、あともう少しでしまいだ」
「はいっ」
よし、復活!
慌てて立ち上がって吊るされたお肉状態になったグラスボアの前に戻ったら、シスターが握るとホラーでしかない血と脂まみれの刃物を片手に、エルフィーネが思わず祈りたくなるような清らかで慈悲にあふれた笑顔で迎えてくれた。
「サトル、よかった。もう大丈夫ですか?」
「う、うん。ごめんね。こんなことさせちゃって」
「わたしは慣れてるから平気ですよ」
な…慣れてる方が怖い!
これは生活環境の違いだ…! 当たり前のことなんだ。
俺が生きてた世界でも、誰かがやってくれてたことだからな!
それとはべつに恐怖を感じたのは、美少女シスターと刃物の絵面がエグ過ぎたせいだから、しょうがないと思う!
「そら、中を見ろ。ここまで空にしたらあとは台に戻して解体だ」
「は、はい」
「まず手足を落として割るんだが、ここから先はもういい。俺がしてやる。おまえはまず小さい獲物をさばけるようになれ」
「はい…」
やっと終わったあぁ……。
項垂れながら肉屋さんに吊るされてる姿になったグラスボアに「ありがとう」って気持ちで触ると、こんなに冷え冷えなのにそこだけすぐ脂が溶けてびっくりした。
こんなに溶けやすい脂なら、食べる以外にも使い道がありそうだ。
「もう戻って構わんぞ」
「ありがとうございます。あの、この
「血と脂を拭いてカウンターに持って来い。魔物の討伐報酬が出る」
「そうなんですね。もしかしてホーンラビットにもあったのかな。取ればよかった」
「次からはそうしな。ホーンラビットの報酬は安いが、足しにはなる」
たとえ安くても、今の俺が無理なく狩れる貴重な魔物だし、次からしっかりもらっちゃおう。
「あとは肉と牙と毛皮だな。ただしこいつの毛皮は下がるぞ。だいぶ穴を開けたからな」
「はい。自分で加工できるものじゃないし、買い取っていただけたら有り難いです」
「肉はどれぐらい買取にするんだ? めったにない出産経験のない若い雌だ。高く買い取るぜ」
あれ、分量を決められるのか。迷ってエルフィーネを見たら、「サトルが決めてください」って言われちゃった。
「美味しいって聞いたんで、食べてみたいんですけど……」
「おう。じゃあその分は引き取りゃいい」
「じゃあ…エルフィーネ。教会に子どもたちがいるって聞いたけど、何人なの?」
「え…今は九人です」
結構な人数だな! それがみんな食べ盛りだったら、食べさせるだけでも大変じゃないか。
「ねえ、もしかしてエルフィーネは、その子たちのために冒険者をやろうと思ったの?」
シスターの女の子なのに、自分がどんな扱いを受けるか知っていて、
なんだか悲しい気持ちになって聞いたら、エルフィーネは素直に頷くことも首を横に振ることもできなかったみたいで、困ったみたいに笑った。
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