1-2-2 ナーオットの街


「うわあ…これが映画のセットじゃないなんて信じられん」


 ゲーム画面で見た通りだ。中世のイタリア、ヴェローナっぽい!

 城壁の近くに兵士の屯所小屋があるし、城壁の上につながる階段ごとに一人ずつ兵士が立ってる。

 二人で立ち話できるくらいに平和なんだろうなあ。

 石畳の道と、オレンジやベージュがかった柔らかな色の壁と、小さな窓やバルコニー。

 大通りに向かう道の隙間に細い路地があって、そちらは家と家の間にロープを通して洗濯物を干してあるのがまるで旗みたいに見えた。

 道行く人の服装もレトロだし、当たり前だけどみんな顔が違う。腰や肩に武器を持った人も多い。ちらほらと他種族が混じってるのも気になって、失礼にならないようにと思いながらもついつい目で追ってしまった。

 石畳はところどころ傷みが見えるけど、端っこで職人さんが修復してる。こつこつ、のんびりって様子がいいな。中には飼ってるのか野良なのか、肩に欠伸をする猫を乗せてるおじさんもいて、微笑ましい気持ちになる。

 石畳職人が立てるコツーンコツーンって響きと、機械音のない優しいざわめき。

 改めて思った。俺は本当にこの世界に生まれて来たんだなあ……。

 それに、いろんな匂いがした。肉や魚が焼ける香ばしい匂い、様々なスパイス、ハーブやエッセンスオイルみたいな香り、狭い路地の方を覗くと簡単な目隠しだけのトイレがあって、木くずの混じったようなし尿の匂いが流れてくる。

 多種多様な匂いが混じった異国の空気をガツンと浴びた。

 このまま観光したい衝動に駆られたけど、まず冒険者ギルドに行かないとね。

 ほんの昨日までは、もう一回あの小屋に逃げ帰ってこのまま一人で生きていこうかって思ったりもしたんだ。せっかく拾った人生だけど、森を歩いた三日間でちょっと怖気づいてさ……。

 でも、この身体を育ててくれた人の遺言だからな。

 ちゃんと守らなきゃ、きっと後悔する。人生のおかわりをもらっといて、なにもしないで諦めるとかもったいないじゃないかの一心で泣きながらこの街を目指したけど、諦めなくて本当に良かった。

 大通りに差し掛かると左右にずらりと店が並んでいるのも圧巻だったし、なによりも通りそのものが広いことに感動した。

 車や自転車はなくて、代わりに馬車や荷車、馬や馬みたいに使える獣を連れた人がにぎやかな呼び込みの掛け合いの中を行き来してる。

 旅人や商人、もちろん町人の往来も多いし、人種も様々だ。

 人間ヒューマンが一番多くて、次によく目につくのは犬や猫っぽい耳と尻尾が特徴の獣人族ガルフ、あとは長身で筋骨隆々な巨人族タイタン、金属っぽい光沢のある髪と少しだけ尖った耳、成人でも子供みたいな体格が特徴で商売上手な小人族リルビスの順番によく見かけた。

 ここには姿が見えないけど、この世界にはほかにも長くて尖った耳と、色白ですらっとした容姿が美しい森の民のエルフ、人間ヒューマンよりやや小柄で頑健な重戦車みたいな体格、頑固な職人肌が多いドワーフもいるはずだ。

 種族はまちまちだけどちらほら見かける制服っぽい同じ服を着た若い子たちは、この街にある寄宿学校の生徒だろう。

 男子は三つ揃いのタキシード、女子は膝より長いシックなワンピースで、どちらもとても上品だ。

 ゲームでは学費が高く、奨学金でも受けないと貴族や裕福な商人の子たちしか通えないって設定だったし、現実もそうなんだろうな。

 俺はオウルばあちゃんに勉強を教わったから行ってないし、なんか新鮮だ。今の自分はあの子たちと同い年ぐらいなんだなあって不思議な気持ちになった。


「焼きたての森鹿の串だ! 美味くて安いよ! 坊やなら蜂蜜ドリンクといっしょにどうだい!?」

「歩きながら食べるならうちの焼きたてのパンに挟んでおくれ!」

「装備したら魔力が少し上がるアミュレットだよ! 今なら好きな色が選べるよー!」


 威勢のいい呼び込みを聞きながら歩いていたら、あの家ではなかなか食べられなかったいろんなものが目に飛び込んできて、思わず生唾を飲んだ。

 素朴なタンドールに似たかまどで焼いた薄いパンに、吊るして焼いた大きな肉を薄切りしたものを挟んでる屋台や、皮目がパリっと焦げた大きなマスに似た魚の塩焼き、シンプルだけどたっぷり香辛料がかかった鹿肉の串焼き。

 うまく獲物を捕れなくて味気ない干し肉とドライフルーツと木の実ばっかりだったから、お腹がぎゅうってしたよ。

 どれも食べたい!!

 やっぱりまずは肉! …と言いたいところだけど、倹約しないとだからね。

 まずパンを買って、なにか安いものをはさんで食べようかな!


「いらっしゃい、坊や。パンかい?」


 にこにこ顔のふくよかなおばちゃんに声をかけられて、俺もつられて笑顔で頷いた。


「はい。一つください!」

「はいよ、見ない顔だねえ。どこから?」

「森からです。育ての親の遺言で町に行けって言われたから」

「あらそう…」


 あれ、十ダルムを渡したら半分返ってきた。


「可愛い子に、おばさんからサービスだよ。がんばってね。またおいで」

「わ、ありがとうございます」


 値切るつもりなんてなかったからびっくりしたんだけど、おばさんはにこにこしながら隣を指した。


「そっちの串焼き屋のおじちゃんも呼んでるから行ってみな」

「え」


 ほんとだ、木箱を踏み台にした小人族リルビスのおじさんが手招いてくれてる。


「ほれ。引っ越し祝いだ」

「ええ!? ぜんぶはいただけません!!」


 景気よく鹿肉の串を一本渡されてびっくりして、俺は慌ててお金を払おうとした。


「こりゃあ素直な子だな。じゃあそっちの女将が返した分だけもらおう」

「でも…」


 五ダルムって五十円だよ。さすがにお肉はこれじゃ申し訳ない!

 おずおずと握ったままの手を開いたら、おじさんが俺の半分ぐらいの手でそのお金をひょいと取ってにいっと笑った。


「それは冷めちまったやつだし、これでいいさ。これっぽっちのことでガタガタ抜かすような客はうちにはおらん。働くようになったらぜひうちをひいきにしてくれよ」

「あ…はい! ごちそうさまです!!」


 がばっと二人に礼をして、俺はさっそくごちそうにありついた。立ち食いが普通みたいだけど、誰かにぶつかったら怖いし、端っこに避けてまずパンを一口。

 あ、これ知ってる。ナンだ! 丸くて平べったいパンに、まろやかでミルクっぽいバターがじゅわっと染みてて美味しい。

 鹿肉の串焼きも一口。冷めてると言ってたけど、まだほんのりあったかいから脂は固まってない。

 美食家みたいな立派な舌はもともと持ってないし、どこの部位かなんてわかんないけど、しっかり歯ごたえがあるさっぱりとした味わいの赤身だった。

 辛さのないいろんなスパイスがまぶしてあるんだけど、それが赤身肉の濃厚なうま味を絶妙に引き立てていて、これだけでも贅沢な気分になる。

 もちろんパンにはさんで食べたらいっそう幸せになれた。

 五臓六腑に染みわたるとはまさにこのこと…! 冷えたビールかチューハイを飲みたい! いくつから飲酒できるのか知らないけど!!


「っ、ごほ、ごほ!」

「おいおい、慌てん坊だな」


 勢いよく食べすぎて咳き込んでたら、通りすがりの獣人族ガルフの男の人が背中を叩いてくれて、なにか渡してくれた。

 飲み物だ。有り難くぐびぐび飲んだら甘酸っぱくて冷たい…なんだろう。蜂蜜レモン? いや、レモンより柚子っぽいかも。とにかく柑橘系と合わせたやつ。


「すみません、助かりました」


 っていうか、ぜんぶ飲んじゃった!

 慌てて顔を上げたら、獣人族ガルフの男の人は背中越しにひらっと手を振ってもう人ごみの中に消えて行った!


「ええ…お金……」


 ウソだろ? 俺、今までこんな親切にされまくったことないぞっ?

 いや、子どものころはまあ、多少こういうこともあった気がするけど、それにしても見た目が子どもだからってこんなに親切にしてもらってもいいのかな!?

 どうしよう。人生二周目に向かう俺への神様特典? でも三つのギフトでこんなことお願いしてないし、親切にされすぎるのも怖い!!

 飲み終わった素焼きのコップはほかの人と同じように木の桶に入れて、だんだん不安を覚えながらまた歩き出した。


「……あ」


 でも、すぐにその不安は解消された。

 ほかにも俺より小さな子が通りがかった人に抱っこしてもらって親御さんを探してもらってたり、屋台の人がお菓子をあげたりしてるのを見たからだ。

 そういえば始まりの町は豊かで親切な人々が暮らしているって説明にあったっけ……。

 現実にもその設定が生きてるのかと思ったけど、…うん。そうだよな。

 衣食住が満たされた暮らしを送れる人が多いから、誰かを助ける心の余裕があるってことだ。

 この町に…いや、この世界で生きるなら、俺もそんな大人になりたい。

 そのためにも、まずはギルドへ行かなきゃ!

 満たされたお腹と心が自信をくれて、顔を上げた俺は町の中心にある中央広場に向かった。

 ナーオットの象徴でもある石造りの立派な時計台と、丸いベンチにもなる大きな噴水が見事だ。広い堀といい、水が豊かだからできることだなあ。

 ビルみたいな高い建物も電線もない、ぽっかりと広がった空を見上げて思わずため息が漏れた。

 森から出たときももちろん空の広さと青さに感動したけど、街中だったらひとしおだ。

 だってこんなところ、俺のいた世界にはよっぽどの田舎にでも行かないとないだろう。

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