第5話 令嬢はメイドを楽しむ

 王子の観察を始めて今日で三十日だ。月の裏側はまだ見えてこない。それどころか、噂が真であることを思い知らされるばかりであった。人格の面はさておき、王子が能力的に優秀であることは最早認めざるを得ないだろう。


 父からは——何も知らない父は、私が王城で令嬢にふさわしい仕事を頂けたと思っている——王の計らいで家と領地の財政が改善しそうだという報があった。私が今こうしているのは父と家を思ったからであり、だから本当はもうこんなことにこだわる必要はない。それなのにまだここにいるのはどうしてだろう。案外私は、メイドが性に合っているのかもしれない。


 現在私は、初めて王子を起こしに行く役目を与えられ——とはいえ、いつもこの時間には既に起床しているらしいが——寝室に向かっているところだ。周囲に信頼されていくにつれて、任される仕事が増えていくのが何だか嬉しかった。自然と足取りも軽くなる。


「殿下、おはようございます。お目覚めですか?」


 外から扉をノックして呼びかけると、「入れ」という短い応答があった。王子は自分一人で支度をしたがるらしく、「起きている」という返事さえ聞いたら戻っていいことになっていたはずだが。いぶかりながらも、私は「失礼します」という声と同時にそっと扉を押し開けた。王族の命に気軽に背くほど命知らずではない。


「御用でしょうか」


 王子はもう身支度を終えていて、机の前に座ってこちらを見ていた。何か書きものをしていたようだ。傍に分厚い本があるのを見るに、学問でもしていたのだろうか。相変わらずの勤勉さだ。私室では流石に誰の目もないというのに。


「もう三十日ほど経つだろう。よく飽きないな」


 あれきり何も言って来なかったので、私のことなど視野に入れていなかったのかと思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る