第8話「心中の矜恃」

「お祖父ちゃん、ご飯」


 日が暮れ、遊び終えた興津おきつ少年がベクターフィールド共に帰ってきた。


「コンビニは?」


 それが興津少年の日常。食事はコンビニのパンか弁当だった。


「いやいや、作るよ」


 台所へ行こうとする興津翁にとっては、食事は自炊が当たり前。


「どれ、ちょっと待って――」


 そこで、突然の来訪者と娘とのケンカで吹き出した疲れが出たのか、興津翁の足がふらつく。


「大丈夫?」


 慌てて祖父の身体を支えた興津少年に、祖父は少し驚いた顔をする。


 そして驚くといえば……、


「お祖父ちゃん、教えてよ。僕がするから。今度から、僕ができる事は、僕が何でも」


 もっと驚かされる言葉だった――喜びで。


「うん、うん」


 頷き、しかし興津少年に全てを押し付ける事もない。


「ちくわサラダを、一緒に作ろうか」


 お前が一番だといってやれる存在だからこそ、一緒に作る。


「ちくわにポテトサラダを詰め込んでな、それを油で揚げる」


「あ、知ってる」


 興津少年は鍋を持ってきて、


「あ、でもお鍋が二つある方がいいって、お兄ちゃんが教えてくれた。温度の違う油を二つ用意して、温度の高い方で揚げた後、低い方で揚げるとおいしいんだって」


 それはベクターフィールドと食べた唐揚げの記憶だ。


「ほう、刑事さん、何でも知ってるんじゃな」


 あごに手をやる興津翁は、座敷に座っているベクターフィールドへ軽く頭を下げ、


「でも、実は鍋は一つあったらできるんじゃ」


 そしてベクターフィールドが知らなかったい事を孫に教える。


「え?」


「火を途中で止めるといい。油の温度が変わって、同じ事ができるんじゃ」



 ***



 ――本当に同じ事ができるんだな。


 祖父と孫が揚げたちくわサラダを囓ったベクターフィールドは、二度揚げした揚げ物特有の食感に目を丸くした。


 ――衣も薄くしてあるから、サクサクして本当にうまいぜ。ちくわとポテサラ、どっちもうまいからな。間違いない組み合わせだぜ。


 殊更、高級なものを食べる事に拘らないベクターフィールドであるから、言葉に嘘はない。


 素朴な夕食が終わると、ベクターフィールドは自らの仕事に立つ。


「ご本人さんが来るしかねェよな」


 ベクターフィールドの目が薄暗い道を歩いてくる女を捉える。


 日が暮れているというのに大きなサングラスかけ、白いワンピースを着た女だ。


 ――白。


 服の色まで深い意味などなさそうなものであるが、悪魔にとっては若干、違う。



 白は死を意味する色であり、白い服は相手にをもたらす時である事を表す。



「随分、あおってくれたようだから」


 女もベクターフィールドの眼前で立ち止まり、鍔の広い帽子で隠している視線を向けた。


「煽るぜ。普通」


 悪びれもせずいうベクターフィールドは、何も自分の格を考えて霊を寄こせといいたい訳ではない。


 契約を司る魔王として、この女悪魔とは相容れない感情を持っているからだ。


だ」


 隠す気のない敵意を視線に込め、ベクターフィールドはいう。


「多分、興津くんを殺すって契約と、怪我させろって契約を結んでるな? で、殺すのも怪我をさせるのも同じだって扱ってるぜ」


 悪魔や魔王に契約関連の法律がある訳ではないが、それでもマナーやエチケット、そして何よりプライドといったものがある、というのがベクターフィールドの矜恃きょうじである。


「はぁ?」


 しかし、それはベクターフィールドだけだろうというのが、大多数の悪魔が思う事。


「どこかに書いてるんですか? 勝手にルール作らないでくれますか?」


 ベクターフィールドに度々、ぶつけられてきたものと、ほぼ同じ内容だった。


「そんな自分ルールを押し付けたいなら、もっと眷属を増やしていけばいいのに」


「悪魔ってのは――」


 ベクターフィールドも、いつも通りに返すだけ。


「ほとほと嫌になる。時間にはルーズだし、おまけに平気で嘘を吐く。そんな奴らに仕事を増やされるくらいなら、自分で動いた方が早いぜ」


 浮かべる嘲笑も、いつもと同じ。


「クソ食らえだぜ。いや。実際にはいわないぜ。何せ――」


 何もかも同じ。


「あんた、本当に食いそうだ」


「!」


 今、眼前にいる女悪魔のような存在は、極端に嘗められることを嫌う。


 ベクターフィールドの嘲笑は、それを最大限、刺激する言葉だ。


「足りない足りないっていうから、連れてきたわ」


 怒りに顔を赤くしながら、女悪魔が片手を振れば、その背後から立ち上る霊の姿がある。


「今度は足りないなんて事がないように、100倍はね」


 女悪魔が期待したのは、狼狽うろたえるベクターフィールドの姿だったのだろうが、


「足りないぜ」


 ベクターフィールドは剣を抜き、その切っ先を女悪魔へと向けた。


「それ以外にいう言葉があると思ってんのか。ねェだろ。もしも立場が逆なら、おもらししながら狼狽えるタイプだってんなら、素直にごめんなさいっていってやるがな」


「そうしてやるわよ!」


 女悪魔の怒声と共に、霊が動き始める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る