第6話「火の国」

 翌朝、愛車のアクセルを踏んでいるベクターフィールドは車好きだ。亜紀あきも同様に。興津おきつ少年がどうかは、二人には分からないが。


「まぁ、今日中には着くぜ」


 二日続けての車中泊は、ベクターフィールドとしても避けたいところ。ベクターフィールド自身は睡眠を必要としない悪魔だが、車中泊が続くと奥津少年の体力が心配になる。


「悪いが、休憩はなしだぜ」


 それは助手席の亜紀へと向けた声だが、開け放たれた窓の外へ目を向けている亜紀は一瞬、返答が遅れた。


「え? あぁ、大丈夫」


 少し慌てて顔を向ける亜紀。


御輿来おこしき海岸の方なんでしょ? 急いだ方がいいし」


 有明海に臨む、渚百選にも選ばれている海岸の近くに興津少年の祖父は住んでいるという。


 遠い。


「九州は、ドライブに最高の土地ですね」


 だが疲れない、と亜紀は後部座席の興津少年へと声をかけた。


「うん」


 興津少年も笑みを見せ、同じくベクターフィールドも白い歯を見せる。


「日本がちっぽけだっていう連中に、一度、来てみろっていいたくなる場所なのは同感だぜ」


 運転しながらであるから、ベクターフィールドは窓の外に視線を向ける訳にはいかないが。


「御輿来海岸、阿蘇、水前寺公園と、いいスポットがいっぱいあるし、何より気候だぜ。にわか雨なんかが降ったら、途中のドライブインなんかで休憩するってのも風情があっていい」


 特段、名の知れたところへ行かずとも、ただ車を走らせるだけで全てがドライブコースになるというベクターフィールドに、亜紀も「うんうん」と頷く。


「阿蘇の草千里は、思い出の場所なのよ」


 窓から入ってくる風に目を細める亜紀には、思い出す景色がある。


「中学校の修学旅行で来た事があった。あの見渡す限りの緑の中に一人でいると、この日本って、いう程、狭くもちっぽけでもないって思った、私も」


 ベクターフィールドと同じく、日本とて広大さ、雄大さを誇りに思える場所はあるんだという亜紀であったが、ベクターフィールドは「ちょっと待て」と口を挟む。


「修学旅行で来てるのに、何で一人なんだよ。班行動は? ダチは?」


「……」


 亜紀が向けたのは視線だけだった。


「ああ、わかったぜ。お前、ぼっちだ。何故なら、お前は喪女だから、彼氏とかいねェんだ」


酷いいわれようであるし、後部座席にいる奥津少年にはベクターフィールドが口にした言葉の意味もよくわかっていないのだが、二人が冗談を飛ばし合っているのに笑ってしまう。


 その笑いの中では、二人もケンカを始める訳にはいかなかった。



 ***



 海岸線を走る先に、臙脂えんじ色の屋根が見えてくる。


 納屋を備えた平屋一戸建ては、築年数を感じさせる佇まいであるが、興津少年が住んでいたアパートと違い、古ぼけた印象はない。


 住んでいる興津少年の祖父が手入れしているからであり、今、納屋の前で作業している老人こそが、興津少年の祖父だ。


「ん?」


 見慣れない県外ナンバーの車が近づいてくるのを見て、興津翁の顔には訝しさが浮かぶ。


 運転席から降りてきた長身の男にも、助手席から降りてきた小柄な女にも見覚えはないのだが、


「ちょっと待って下さい。2ドアだから、シートを倒さないと出れません」


 女が倒した助手席のシートを避けて出て来た子供の顔は忘れない。


哲矢てつやか?」


 祖父の声に、興津少年は倒れそうになるくらい慌てて駆け寄る。


「お祖父ちゃん」


 転びそうになったところを受け止められた興津少年は、祖父の腕の中に身体を沈めた。


「随分、嬉しいものが飛び込んできたの」


 興津翁もぎゅっと心持ち、強く孫を抱きしめる。


「あなたがたが?」


 孫を抱きしめたまま顔を向けてくる興津翁に、亜紀が一歩、足を進めて警察手帳を示す。


「他県の県警ですが、私は甘粕亜紀と申します。こっちはベクターフィールドです」


 通常、こういう場合は熊本県警に引き継ぐものであるが、これはベクターフィールドの能力を使った例外だ。


「それは、それは……」


 興津翁が言葉を詰まらせるのは、興津少年が来た事に加え、何故、ここに警察官と共に来たのか理由の想像がつくからかも知れない。


「じゃあね。後始末はしておきますから」


 同様の事が察せられる亜紀は、興津少年の頭を撫でて別れようとする。


「あ、あの!」


 慌てて興津少年が祖父から身体を離し、車に戻ろうとする亜紀の手を掴んだ。


「あの……」


 それ以上の言葉は、なかなか興津少年から出てこず、祖父が助け船を出す。


「遠いところから来られていますし、これから戻られるのでは、すぐに夜になってしまうでしょう? 宿を取っていないのであれば、今夜は我が家に、どうですか?」


 陽はまだ十分に高いが、確かに戻るまでにもう一度、車中泊するか夜通し、走る必要があるのも確かだ。


「いえ、そういう事は――」


 ただ、そういった事は断るように指示されていると亜紀が固辞しようとすると、ベクターフィールドが横から手を伸ばして遮る。


「ありがたいです。一晩、お邪魔させていただきますよ」


「こちらこそ、孫をありがとうございます」


 快諾したベクターフィールドに、興津翁は深々と頭を下げた。


「ベクターフィールド」


 亜紀は呆れた顔をするのだが、ベクターフィールドも気まぐれや甘えを興した訳ではなく、しっかりと目的がある。


「二回も撃退されたんだ。ゴールな訳がないぜ。しかも、俺がいることくらい、あっちも分かったはずだ」


 日が暮れれば、ここにもう一度、襲撃が来る、とベクターフィールドは確信している。

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