第5話「ごきげんなドライブ」

 熊本までの移動手段は、自然と車に決まった。腹がいっぱいになり、風呂に入ってはしゃぐと、車に乗った途端、眠ってしまった興津おきつ少年を運ぶのに最も手っ取り早かったからであるし――、



 興津少年は、悪魔に狙われているからだ。



 公共交通機関は他者を巻き込んでしまうため、亜紀が許可しない。飛行機ならば落とされる。船ならば沈められる。ベクターフィールドは魔王らしく、一瞬で別の場所に移動する魔法も身に着けているが、その魔法の効果中に戦いを仕掛けられれば、ベクターフィールドですら「厄介な事になるぜ?」という危機に陥ってしまう。


 ならば車で下道したみち――高速道路を上道うわみちと呼ぶ事の反対で一般道の事――を走るのが、最も安全だ。


「で、どのくらい分かった?」


 助手席に乗る亜紀は、調査結果を訊ねる。


 亜紀がベクターフィールドに依頼したのは、興津親子――母親だけでなく、父親も――の状況だ。


「割とヤバイのが出て来たぜ。まず、こいつの親権は裁判中だ」


 つまり今、警察に出されている捜索願の根本が揺れてしまう。


「どうも、誘拐に等しい手段で連れてきたらしいぜ。こいつが通っていた保育園に、今日は祖父が来れないからといって、母親が連れ出した。そのまま車を走らせて引っ越し」


「一体、どこから?」


「まぁ、どこからっていうより、かかった時間をいった方が、甘粕あまかすには分かり易いだろ」


 ベクターフィールドが「笑うに笑えないぜ」という時間は――、


「ここから10時間くらいかかるとこ」


「ちょっと、ちょっと!」


 後部座席で興津少年が寝ているのを忘れてしまうくらい、亜紀の声は荒らげられてしまった。


「この子、小学校に上がるか上がらないかくらいよ? そんな小さな子を、10時間も車で移動させるのは、立派な虐待よ」


「まぁな。でも虐待というのなら、その後、警察と行政に申告してる」


「何の?」


 疑問を口にした亜紀だったが、想像はついてしまう。


 意外とよく出くわしてしまう話だ。


「DVだってな。証明のしようがないが、役所は調査を理由に書類の受理を拒否する事はできない。そうだろ? DVだといわれれば、住基ロックがかかる。もう父親に突き止める手段はない」


 手際よくやったもんだ、とベクターフィールドですら思ってしまう。


「……確かに、親権は現状維持の法則があるから、子供とより長く一緒にいる方が認められやすいけど……」


 だから連れ去り案件が多い事を、防犯課少年班の亜紀は誰より知っている。後部座席で寝ている興津少年の寝顔に目が行く亜紀だったが――、


「母親の収入は?」


 話を進めようと、顔を前へ戻した。不憫ふびんには思う。それを何とかしなければならないと思ったから、亜紀はベクターフィールドを呼び出している。


「生活保護受給者だぜ。まともに争ったら、ひょっとしたら親権が取れないかもって思っての連れ去りかもな」


 ハイリスクハイリターンかも知れないが、といったベクターフィールドに対し、亜紀は首を左右に振る。


「いいえ。一概にはいえないの。生活保護は、親権を取る上で武器にもなるから」


「不利じゃねェのか?」


「最低限度の生活は保障されるっていう事だから」


 父親に借金があったり、定職に就いていないというのであれば、話が変わってくるのだ。


 それらが亜紀の背に重くのし掛かり、大きな溜息ためいきかせられる。


「……でも、親権っていっても、本当は義務負担の方が大きいのに……」


「ん?」


 ハンドルを握るベクターフィールドが横目で見遣ると、亜紀は興津少年を振り向き、


「例えば、親権には監督義務や、未成年者の不法行為損害賠償権がある。これは、興津くんがやった万引きの賠償なんかの事。他にも、将来、奨学金を受け取って進学しようとしたら、その保証人は親権者がなるの」


「できんのか? こんな母親に」


 ベクターフィールドは嘲笑しているのだから、できるなどと思っていない。


「そして極めつけだが、誰か悪魔に狙わせてるって事だな」


 そこまでいうと、ベクターフィールドは無人になっている道の駅へと車を入れた。


「夜は距離が稼げるんだが、これは夜は走らない方が良い。広いところに泊まって、夜が明けるのを待つぜ」


 一度、襲撃を受けている。深夜の走行は、何があるか分からない。


「俺は外にいる。興津をかばっていてくれ」


 シートベルトを外して車外へと出るベクターフィールドは、降りた途端に溜息を吐かされる。


「ついてきてるのがいたのかよッ」


 周囲を立ち上ってくる霊の数は……二桁に達したところで、ベクターフィールドは数えるのを止めた。


「少ないぜ」


 魔王の剣を手に取る。


「足りないぜ、絶対な」


 そういうが早いか、ベクターフィールドは剣を真一文字の横薙ぎを放った。「場」を両断されれば空気にすら溶けてしまう霊である。一振りで三体から五体は切り捨てた。


「飛び掛かってくればいいんだぜ? 何を遠慮してる?」


 力任せの横薙ぎでベクターフィールドは身体が開いてしまっている。


 明らかな隙だ。


 にも関わらず、霊は動かない。


 動かず、再びの横薙ぎで五体が消し飛ぶ。


 ベクターフィールドが放った二度の攻撃で、やっと霊たちも自分の目的を果たす順番を思いついたらしい。


 動き始める。


 それでもベクターフィールドは涼しい顔をして、


「地獄から抜け出して、楽なところにいると思ってるなら、それでもいいぜ。ただ酔う前に覚えとけよ」


 剣を構え直すベクターフィールドの、その顔からあらゆる表情が消えた。力と引き換えに、感情を欠落させた存在が魔王である。今、何の感情も感じられない顔こそが、ベクターフィールドの素顔。



「お前たち以上の殺人者が、この世にはいるという事を!」



 剣を構えた手から力を抜き、剣の重さは手ではなく腕で支える。


 迫ってくる二人と、その背後からもう一人、そうして時間差を付けて走ってくる霊へと視線を向け、剣を振るった。


 全方位から迫り来る霊を数回の攻撃で全滅させる事はできないが、ベクターフィールドへ殺到しようといる攻撃は、寸前の所で回避する。ベクターフィールドが修めているのは、正式な剣術とはいい難く、故に防御などという行動はない。


「はん」


 軽口と共に回避するが、しかし刃は振るわない。タイミングがズレているからだ。


 僅かに遅かった敵の一人を見つけ、その胸へと肩口から体当たりを敢行し、まるでビリヤードのショットのように違う相手へ向けて弾き飛ばす。。


 時間差を付けて飛びかかってきた相手にも、刃ではなく見舞うのは蹴りだ。


 そして改めて、刃を手に向かってきた者に対して、魔王の剣を振るった。



 一方的である。



 霊と魔王という格の差かも知れないが……、


 ――いや、こいつら……。


 それ以外のものをベクターフィールドは感じていた。



 ――二種類、いるな。



 殺気の種類が違う。


 約半数から感じる殺気は、「怪我をさせよう」というくらいに過ぎない。


 残り半数から感じる殺気は、文字通りどす黒い「殺せ」というもの。


 その噛み合っていない二種類の霊が存在している事こそが、一方的な狩りともいえない戦いにしてしまっている。


「嫌な相手と戦わされる事になるぜ」


 最後の一体を、天から股下まで一刀両断にしたベクターフィードは、この霊を操っている悪魔が、自分とは完全に相容れない存在だと確信していた。

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