第3話「付け狙われる子供」
――さて、腹いっぱいになったら、風呂か。
会計を済ませて玄関を出たベクターフィールドは愛車に乗っている子供を見遣った。日本がバブル景気に沸いていた頃のクーペは、店の前にある、5台しか止められないような駐車場に停まっているのは珍しいくらい。
「ところで――」
自慢の愛車に長身を滑り込ませたベクターフィールドは、些か遅い質問をする事になる。
「ちょっと、そっちの事情を話してくれると有り難いぜ」
名前すら知らない相手なのだ。
「……
相変わらずの消え入りそうな声で、ベクターフィールドは「ほう」としかいえない。
が――、
「……」
「……」
続く言葉は無言。
「それだけかよ!」
思わず声を荒らげてしまったベクターフィールドに、子供――興津少年はビクッと身を震わせた。
「あーあー、悪かったぜ」
否定するベクターフィールドは、また苦笑いだ。
しかし、その苦笑いが意味する事は、興津少年が胃痛いであろう事を先回りしたからこそ、出て来てしまった。
「興津な。分かった。で、何だ? 熊本まで連れてけっていう気か?」
クククと苦笑いするベクターフィールドは「それは止めとけ」という。
「俺みたいな悪魔と契約すると。魂を持って行かれるぜ」
比喩ではなく、ベクターフィールドは魔王。契約を司る魔王は、望みを魂と引き換えに叶える。
「たましい……?」
奥津少年はピンと来ないようであったが、ベクターフィールドは今まで見せてきた薄笑いや苦笑いを消して、身体ごと向き直った。
ベクターフィールドにとって、魂の価値は、それだけ高い。
即ち――、
「次は人間に生まれて来れないって事だ」
魂とは、人間として生まれてくる権利。
この魂が死後、冥府によって改宗されない場合、もう一度、人として生まれてくる事はできない。ましてや悪魔に渡したとなれば、その後の使い道など
――場合によったら、地獄の拷問で磨り潰されて悪魔になるだけだぜ?
そこまではいわないが。
だが奥津少年にとって、魂の価値はベクターフィールドとは真逆。
「なら、別にいいや」
この身なりを見て分かる通り、人である事の良さなど微塵も感じていないのだから。
「……なら、連れて行ってやろう」
簡単な話だと運転席に座り直したベクターフィールドに、契約書は不要。保証人は兎も角として、借金も口約束で成立するのが契約という行為なのだから、ベクターフィールドには口約束でも取り立てる力がある。
しかしエンジンをかけようキーに伸ばした手は、そのまま止まってしまう。
「何か、やったか? 普通じゃない相手のサイフを盗んだとか」
二人の眼前に現れたのは、ユラユラと輪郭が曖昧な人物――ひと目でこの世のモノとは思えない存在が立ち上がり始めていた。
亡霊――事件、事故、自殺など死に際し、死神の迎えが間に合わなかった場合、悪魔に連れて行かれた者の成れの果てである。
そこら辺を漂っている霊もいるにはいるが、人を襲うのはレアケース。
だからこそベクターフィールドは、興津に「誰かの恨みを買ったか?」と訊ねた。
行動は興津少年の回答を得るよりも優先する事があったが。
「乗ってろよ。終わったら、まず服を揃えよう。で、スーパー銭湯にでも行って風呂。今の服はその時、洗濯する」
ベクターフィールドは車から降りると、ひらりと宙に右手を回すと一口の剣が現れる。
――霊……単体か?
一瞥したベクターフィールドは狗鷲が意匠された鍔を備えた赤い柄を握った。
原始的な武器であるが、剣は霊に対しては有効な武器である。
超常的な存在であるが、質量保存の法則やエネルギー不変の法則により、何もない場所にエネルギーは充填されないため、霊もこの世に存在するときは、ある種のフィールドを作っている。
その場を両断、
「まったく、店の真ん前で!」
ベクターフィールドが繰り出すのは、大上段から剣の重量と自身の
そして振り下ろした後、剣は消えた。真一文字にブレなく振り下ろされた剣は、角速度も相まって切っ先のスピードは音速を超える。ハイスピードカメラでも捉えきれないスピードで振ったのだから、店先での大立ち回りも何が起きたのかを知る者はいまい。
「さて、服や風呂より先に、アイス食いに行こうぜ。油モン食ったら、冷たいモン食べたくなった」
愛車に戻ったベクターフィールドは、こうして服もおやつも手に入るショッピングモールへと車を走らせ、亜紀に召喚される事になったのである。
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