第2話「人好きの魔王と放置子」
人は泣く。
悲しみで、怒りで――傷つけられれば涙が零れる。
感動で泣く事も、歓喜の涙もあるからこそーー、
悪魔は泣く必要がない。
傷つけられれば相手を死ぬまで殴りつければいいのだから。
それでも悪魔が泣く時は、その涙は石となり、それを飲んだ悪魔は喜怒哀楽と引き換えに力を得ていく。
ひとつの感情が完全に消え、巻く事すらできなくなってしまった悪魔を、魔王という。
その魔王の称号を得た一人であるベクターフィールドは、亜紀に呼び出される少し前……、
「とりあえず、唐揚げ一皿、頼むぜ」
町中華で唐揚げを頼んでいた。
「メニュー見てる間につまむから」
メニューをくれと手を伸ばすと、人の良さそうな中年女の店員がメニューを二つ、持ってくる。
「はい、ありがとうね」
伝票を書き込んだ店員が手渡してきたメニューが手作りというのは、。チェーン店ではない町中華ならでは。しかしラミネートされた程度のものではなく、卓上製本機で合皮の表紙を使って作ったメニューは高級感がある。
ベクターフィールドが受け取ったメニューは二つ。
「何でも頼め」
その一つを向かい合わせに座っている子供に手渡した。
「これからの事もあるから覚えとけ。唐揚げは洋食っぽいが、英語でいうとチャイニーズ・フライドチキン。つまり洋食じゃなく中華だぜ。そして中華料理で唐揚げは重要なオードブル。唐揚げが旨い店は、何食っても旨いぜ」
メニューを手渡された子供は、ベクターフィールドの熱弁など訊いているのか訊いていないのかわからない程、メニューの内容に目を走らせていた。
――穴が空くくらい見てるらぜ。
ベクターフィールドは、フッと軽く笑った。
眼前の子供が、どういった素性のかは、推測するに易い。饐えた臭いがするのは、着替えや入浴が等閑という事。何日も風呂に入っておらず、洗濯はもっとしていない風に感じせられる。洗濯をしていないにせよ、服そのものも酷い。襟元は酷く、でろでろという言葉が浮かんでしまうくらい伸びている。
――ネグレクト……最近は、スラングで放置子って呼ぶんだったか?
それくらいの知識はベクターフィールドにもある。ベクターフィールドは契約を司る魔王であり、悪魔の中では比較的人間と接するポジションなのだから。
ベクターフィードは、殊更、髪や服に気を遣っているつもりもないのだが、この子供に比べれば、2万円もあれば揃えられるジャケット、ボトム、シャツという格好ですら高価といえるくらいだ。
「はい、唐揚げ。お待ち遠様」
そんな奇妙な二人の間に、女店員が唐揚げの皿を乗せた。
「ありがとう。
ベクターフィールドはそういいながら箸を――自分で取ろうとしなかった子供の方へ、先に押し
「腹、減ってるだろ? メニュー見ながら食えよ」
「あ、うん」
ベクターフィールドから手渡された箸を唐揚げへ伸ばすのだが、その手付きはぎこちなかった。
その子供の食べる様子を見て、ベクターフィールドは口を開く。
「パンより――」
それは、この眷属など持たず、豪奢な衣装も、ねじ曲がった禍々しい角もない、ファストファッションで町中華や洋食を好む魔王と、子供との出会いの事。
「万引きしようとしたパンより、旨いだろ?」
罪悪感で味などわからなくなるだろ――という気持ちは、ベクターフィールドとて分かる。
万引きしようとした手を掴んだ事も、その後、パンを自分の会計に潜り込ませたのも気まぐれだった。
そのパンを店外で子供に手渡したのも同様の気まぐれだったが、子供がそのままベクターフィールドの愛車に乗り込んだのは、計算外と呼べばいいだろうか。
――おいおい、乗ってけとは一言もいってないぜ?
苦笑いしてみせるベクターフィールドだったのだが、次に襲ってきたのは子供の放つ悪臭だった。
――よし、まずはメシ。次は風呂だな。
それは、一体、魔王のどこから出て来た言葉だろうか?
――まぁ、いいぜ。
ベクターフィールドに思考を中断させたのは、掌ダイほどもある大きな唐揚げを、子供が一気に食べてしまおうとしていたからだ。
「おいおい、一つは残してくれよ? 俺の分だぜ」
唐揚げは6個セットで、ベクターフィールドは3つずつのつもりだったのだが、子供はあっと言う間に3つ平らげ、4つ目に手をつけているところ。
「……」
しかし驚いた顔をされると、ベクターフィールドも取り上げるような真似はできなかった。
「旨いのは分かるぜ」
またしても出て来てしまう苦笑いに、ベクターフィールドも思わず顔を背けた。
「これは、コツがある」
丁度、厨房がある方向に目が向いた事もあり、ベクターフィールドはまた気まぐれを発揮する。
「温度の高い油と、低い油を二種類、用意するんだぜ。まず温度の高い油を潜らせた後に、温度の低い油でじっくり揚げる。だから表面はカリッと揚がった後、じっくり仲間で火が通る」
そういいながら皿に視線を戻したベクターフィールドは、そこに一つ、自分の分だといった唐揚げが残されていた。
「自分で作ろうとしたら、鍋を二つも用意するのは場所を取るし、油も倍使うから、こればっかりは店で食うのが旨んだぜ」
その一つに箸を延ばすベクターフィールドは、子供に向かって、今度は苦笑いではない笑みを見せ、
「唐揚げが惜しいなら、唐揚げでいいか? 定食にして、メシとサラダと小鉢がつく」
ベクターフィールドへ子供はコクコクと何度か小さく頷いた。
「おばちゃん、唐揚げのセットと、
子供からメニューを回収したベクターフィールドの前に来た店員は、伝票だけを手にしていない。
湯気の上がるコーンスープが入った丸ボウルがあり、それは子供の前に置かれた。
「サービスだよ。お腹減ってるんでしょ?」
「ありがとう」
子供からの礼は、おずおずといった風。何日も風呂に入らず、着替えてもいない自分がどう思われているのかを考えてしまっているからだろうか。
嫌われる存在だと分かっているからだろうが、店員の態度は真逆だ。
事情を察せられる分、その一杯をサービスする。
ベクターフィールドは気まぐれであるが。
――朝の7時から人ン家のチャイムを鳴らせるタイプじゃないぜ。
万引きしようとしたのも、あっさりとベクターフィールドに手を掴まれたのだか慣れていない。魔が差した事と、また空腹に耐えかねた事とが重なった結果だ。
店員はどういたしましてと軽く頭を下げながら、ベクターフィールドに目配せする。
「唐揚げは6個、油淋鶏は8切れあるから、分けて食べなよ。分けて食べると美味しいんだから」
「あァ、そうするぜ。ありがとう」
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