結婚指輪1

オミトたちと出会った日のことは、今でも鮮明に思い出せる。

梅雨のある日、とても視界が悪かった。

傘を差していても、肩や足は濡れていた。

道路を歩いていると黒いバンに水を思いっきりかけられて、為す術もなく服がびしょ濡れになった。

飴色のボタンがついたチェック柄のワンピースは泥水の色となった。

顔にまでかかっており、もはや傘を差す意味もない。

「わ、汚れてる!」

私は自分の手足を見て思わず呟いた。

「1番いい服だったのに……最悪。」

本来なら、慰謝料を請求できるらしいがここまで視界が悪いとどうしようもない。

落ち込んでいると、黒いバンが5m先で止まった。

「すみません。大丈夫ですか。」

大雨にも関わらず男が降りてきた。190cm近くの高身長だが、あまり威圧感はなかった。

彼は優しく物腰丁寧に話す。

「泥水が顔まで跳ねてますね……。」

「普段着ですので、問題ありません。」

私は、そう断ったが男は食い下がってきた。

「申し訳ないです。どうかお詫びをさせてください。」

「気にしないでください、本当に大丈夫ですから。」 

「いえ!そんな!」

しつこさに違和感を感じたが、特に警戒しなかった。

そして、このやり取りと雨音のせいで、背後に気がつかなかった。

「んっ?」

口を手で抑えられていた。

どう反応すればいいのかわからず、固まってしまう。

「助かる、久遠。」

「周りに人、いない。行こう。オミト。」

私はハッとして、助けを呼ぼう叫ぶ。

「んっー!んっ!」

全く声にならない。

「ああ。」

私の口を抑えた男ーー久遠は、うなずきバンの後部座席に無理矢理押し込めた。そして、両手と両足に結束バンドを巻き付け身動きがこれないようにする。

話しかけて来た男ーーオミトは運転席へ乗り込む。

「何しようとしてるの?!」

私は叫ぶが、2人は答えないままだった。

強引に持っていた鞄を奪うと、ひっくり返す。

そして、落ちたスマホを叩き壊した。

「やめてっ!」

抵抗する私を抑えて、面倒くさそうに話す。

「静かに。」

刃渡りが私の肘の長さくらいありそうな刃物を首に当てられる。

少しでも動くと、刺されてしまいそうだった。

「……。」

大人しくする以外の選択肢はすでになかった。

景色はどんどん変わっていき、知らない街や森を越えて海の近くに来た。

どうやら工業地域のようで、たくさん工場が並んでいた。

その中の1つに降ろされた。

「立って。」

私は刃物を当てられたまま、歩かされた。スキを見て逃げだそうと思ったが、オミトが常に死角を作らないように監視しているようだった。

工場の中に入り、製造レーンの間を通る。ホースや山積みにされたダンボールがたくさん置かれていた。

ダンボールは『フリフリツナ!』と書かれており、どうやらここはツナ缶の製造工場のようだ。

雨はやんだようで夕日が差し込む。

「そこ、座って。」

オミトに不自然に置かれた椅子に誘導され、座った。

そして、いきなり殴られた。

「痛っ!」

何回も殴られた。顔も腹も足も、すべて。

叫んだり、泣いたり、怒鳴ったりしたが、オミトの表情は変わらなかった。ずっと笑顔、手を止めることはなかった。

これがいつまで続くのかわからずに、ひたすらされるがままだった。

久遠はそれを黙って見ているだけだった。

ああ、そういえばとオミトの手が止まった。

「いつもの、持ってきて。」

「あれ、するの?片付け、面倒。家戻ってからのほうが、楽。」

「バラすし、ヤるし、一緒だろ?」 

「するのも。駄目。ここ、借りてるだけ。今日は仕事、違う。」

「えー、じゃあじゃんけんしようぜ?」

久遠は面倒くさそうにうなずき、握り拳を出す。

「じゃーん。けーん。ぽい。」

「あーいこでしょ!」

「やった!勝ったから、持ってきてね。」

「仕方ない、掃除。手伝え。」

久遠は、オミトから車の鍵をもらうと工場の外に出ていった。

「顔腫れてるね。」

煽るように言う、そして私のワンピースのボタンを一つ一つ丁寧に外す。嫌味みたいに。

次に何をされるのかは考えるまでもない。

殴られた箇所が痛くて、怖くて声が出ない。

下着姿にされ、腕をしつこいくらい触ってきた。

「持ってきた。」

戻ってきた久遠がいた。木箱から道具を取り出した。

のこぎりに斧に釘にかんな、一見ただの大工道具のはずなのに不穏な気配がする。

「勿体ぶるの、珍しい。」

「今日は時間があるからな。」

「殺さないの?」

「ああ。でも、左手は切り落とす。とりあえず、片手だけね。」 

オミトは、のこぎりを持って私の左腕に当てた。

のこぎりの刃先を見たくなくて、自分の左手の指を見た。

そして、ある事実に気がついた。

「待って!私まだ指輪してない!」 

「……?」

一瞬止まったが、気にせずにのこぎりを引こうとするので慌てて、叫ぶ。

「指輪!」

2人とも目を丸くし、顔を見合わせる。

「意味がわからないんだけど?」

オミトが質問する、私は震えを抑えながら答えた。

「結婚指輪してみたかったの、ずっと。でも、このまま左腕切り落とされたら、たら。」

「たら?」

「指輪できないじゃない!夢だったのに!」

「え、どうしたい?」

「あ、あなたさえ良ければ結婚するわ。指輪はツナ缶のプルタブで十分だから!」

私は必死だった。人は窮地に立たされると、走馬灯が見えることがあるというが、私の場合は願望が見えた。

「ツナ缶、プフフッ。」

久遠が吹き出す。

オミトは少し考えてから、

「変わった命乞いだね。俺に惚れる要素あった?」

「顔も悪くないし、高身長も嫌じゃない。何より、真っ直ぐな瞳が好き。」

「ふーん?媚びるねー。」

私の一挙一動を見落とさないようにしていた。

「ご飯も作るし、体力にも自信ある。結婚生活に飽きたら、好きにしてくれていいから。」

「……。」

「1回くらい、人生で家庭を築いてみたい。」

「そ。」

オミトは、どこかへ立ち去りすぐに戻ってきた。

私の左手の薬指にツナ缶のプルタブをはめた。

「返事は?」



















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