第17話 episode.6 雨の午後(3)



 それまでエドが交わしてきたキスは、適当な誰かと交渉の前に取り交わす、単なる器官と器官の接触にすぎなかった。だから、そんなキスをするとき、彼は必ず目を固く閉じていた。


 相手を見たくなかった。いろいろなものから目をつぶらないと、相手のことを好きでもない自分を欺くことができなかった。


 恋をしている相手とキスしたのは、昨日が初めてだった。


 今までのキスは、行為が終わったら、さっさと忘れてしまいたいものだったのに、ルカとのキスは――昨日から、あのキスのことばかり思い出している。


 二度目の口づけをしたとき、エドは目をつぶらなかった。キスしているときの、ルカの顔を見ていたい、と思ったからだ。


 ルカは瞳を閉じていた。舌で口の中を探ったら、ルカの睫がせつなく震えた。

愛しい相手と交わす口づけは、こんな感じがするんだと、キスしながらエドは大人びた子供のように考えていた。


 こんなふうに甘くて、こんなふうに相手の思惑が気になって、こんなふうに――どうしようもなく、頭で考えるより先に、体が強く反応してしまうものだと。


 もっとルカが欲しくなって、首の後ろにまわした手に力をこめて引き寄せた。ルカはキスがそんなに上手ではなくて、エドの舌の動きにたどたどしく応えるのが精一杯のようだった。


 複雑な動きで舌を絡めていくと、ルカは戸惑ったように、いっさいの動きをやめてしまった。そのかわりに、ひどくあからさまな吐息を洩らして、彼は、閉じた睫を震わせた。


 ルカのキスは、ぎこちないのに――キスしているだけで、エドの体も、強く反応してしまっていた。自分自身で当惑するくらい、体が露骨に反応したのだ。


 だから無理やりに唇を離した。戦争の起こっている街の、こんな路地裏で、二人ともが無防備な状態になってしまうことを恐れて、ぎりぎりの場所で踏みとどまった。


 唇を離したら、ルカはぼんやり自分を見つめていた。深い夢を見ている人のように、焦点の定まらない淡い色の瞳で、エドだけを見ていた。


 そんなルカが愛しくなって、思わずエドは微笑する。……立っているのがやっと、って顔をしているよ、きみは。


 両手で彼の頬を包みこみながら、大丈夫?と尋ねると、ルカはちょっと怒ったように唇をとがらせた。……


     *


 あくる日は日曜日で、朝から雨が降り続いていた。


 八月の最初だったけれど、高緯度にあるブコバルは、雨が降ると寒いくらいだったから、エドは長袖のシャツを選んだ。


 口づけていたとき。


 僕たちは二人とも、同じものを望んでいた。


 だとしたら、遅かれ早かれ、ルカは自分の部屋を訪ねてくる。


 あのキスのあと、ルカも我慢できなくなるはずだから。二人きりになりたくてたまらなくなって、必ずルカは、ここへやってくるはずだから。


 だから、雨の降る午後、ホテルの部屋がためらいがちにノックされたとき、エドは驚かなかった。

 ――ほら、やっぱり、と思っただけだった。

やっぱり、きみは来てくれたね。


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