第16話 episode.6 雨の午後(2)


 なのに、久しぶりに飲んだラキヤが、ルカをしたたかに酔わせたらしかった。


 エドを招いた食卓で、ずっと喋り続けていたのは自分だったのに、まだ話したりないような気がして、エドを送って一緒に歩くと言い張った。そのくせ並んで歩き始めたら、話すことが見つからなくなってしまった。


 目抜き通りまでやってくると、午前中に砲弾を浴びた店舗の跡が見えた。瓦礫を取り片付けている人たちを見ながらそこを通り過ぎるとき、エドも自分も無言のままだった。


 もうすぐ、別れの挨拶をしなくちゃならない。――そう思ったときだった。

 

 ルカは閃光を見た。


 それはあまりにもいきなりだったので、本当に爆弾が炸裂したのだと一瞬うろたえて、思わず隣を歩くエドの名前を呼んだ。


 ――エドの光だ。


 爆弾なんかじゃない、それはエドの体が放つ、金の光だった。


 今まで記憶にある、どんな光よりも強く、美しい光。


 視界全体に満ちるほどまぶしい光を、稲妻のようにエドが発していたのだ。

 

 光の中で、ルカは自分を見失った。


 驚きとまぶしさのあまり、呼吸が止まりそうだったから、何とかそれをどうにかしたくて、エドの腕をつかんだ。他人の視線から遮蔽された空間へ。誰からも見えない場所へ。二人きりになれるところへ――そこへエドを連れていこうとしたのは、恋をしているルカの本能だったろう。


 路地裏にひっぱりこんで、無我夢中で肩をつかんだら、エドはまぶしい光の中で目を見ひらいていた。


 唇を押し当てる前に、彼の顔を見つめた。


 やめるなら今だ。

 やめろ、と俺を拒否するなら今だ。


 激しい自分の心臓の音を聞きながらそんなふうに思ったけれど、エドは、黙ったまま目蓋を閉じた。


 まるでキスを待つかのように。


 体の中で、何かが弾けとんだ。


 歯止めがきかなくなった。夢中で、エドの唇に自分の唇を重ねた。

 キスを深めながら、思わずルカも目をつぶった。


 目を閉じても、金の光は消えない。消えるかわりに、自分の体も同じ光に包まれたのを感じた。


 熱のない炎のような、美しい金色の光。


 閉じた目の奥で、幾度も閃光が弾けていく。


 ――なんて綺麗なんだろう?

 本当にそう思った。


 息が苦しくて唇を離したら、急速に理性が戻ってきた。光も消えていく。

エドの肩を強くつかんでしまっていたことに気づいて、手を緩めた。


 現実の中に意識が立ち戻ってきて、ルカはひどく狼狽した。――ラキヤに酔っていたから、なんていう言い訳なんか通用しそうにない種類のキスだった。

 こんなことをしでかしてしまったら、自分がエドにどんな感情を抱いているのか、あまりにも明白で――


 けれど、そのとき、エドの腕が動いた。


 想像の中では、ルカからの愛撫に樹木のように静かに応えているだけだった彼が、自分の首の後ろに腕を回して抱きよせると、ほとんど乱暴なくらいの強さで口づけてきたのだ。


 ほっそりしたエドの体の、どこにそんな力があったのだろうか。背と肩に回された腕には確かな力が込められていて、それはやはり若い男の持つ筋肉の強さだった。


 健康な味のする舌が動いて、自分を巧みに吸った。

 

 その甘さも、官能も、それまでに経験したことのない種類のもので、今、初めて同性とキスを交わしたルカを、甘やかなおののきで満たした。


 きみも、俺のことが好きなんだね? 俺がきみを好きなように、きみも俺を好きでいてくれるんだね?


 恋がかなった瞬間の歓喜を、その目眩がするほどの激しい歓びを、それまでルカは、味わったことがなかったから、彼はほとんど動けなくなる。強い陶酔で胸が震えて、心臓が止まりそうになる。


 ときおりルカが洩らす吐息もすべて吸い尽くそうとするように、エドからのキスは、激しく長く続いた。


 だから、唇がふいに離されたときにも、ルカはまだ夢の中にいるような、せつない陶酔の中にいた。頭の芯がぼんやりするくらいキスに夢中になっていたから、現実に意識が戻ってくるのに時間がかかった。


「もう、きみは帰らなくちゃ。――帰りが遅いと、マリヤとダニエラが心配するよ」


 あんなに激しいキスをしていたくせに、エドはごく普通の声でそんなことを言った。それがちょっと口惜しいような気がした。


 エドは微笑むと、ルカの頬を両手で包んでくれた。

「大丈夫? ルカ、一人で帰れる?」

「――か……帰れるさ。当たり前だろう」


 自分も普通の声で答えようとしたのに、その声は、みっともないくらいうわずっていた。


「だって、ぼんやりした顔しているからさ、ルカ……」

エドは少し笑った。


 笑った顔は、いつものエドだった。――ルカの胸をせつなくする、大好きな笑顔だった。


 彼は笑ったまま、ルカの手を引くようにしてもと来た道を歩いて、目抜き通りに戻った。


「じゃあね。また月曜日に。マリヤに、食事をありがとうって、くれぐれも言っておいて」


 エドはそんなふうに言って、友達同士がするように、ぱっとルカの肩を軽く抱いて別れの挨拶をした。


 そしてそのまま、体を離すと、彼は歩き出した。……


 ――きみは、世界が変わらなかったのか? 


 あのキスで、俺の世界は変わったのに。


 自分も家のほうへ歩き出しながら、ルカはなんだか涙が出そうな気持ちがした。


 馬鹿みたいに、エドが好きだ、と思った。

 

 好きでたまらなかった。

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