第8話 episode.3 ジャーナリストたち(2)
エドワード・パーカーをこのクルーに抜擢したのはポールだった。
彼は今年で二十六歳になるが、GBNに入ってからまだ半年ほどしか経たない。大学を出た後、彼は、生まれ育ったカリフォルニア州のサンノゼで、しばらく別の仕事をしていたからだ。
新米の記者として、ポールの部下に配属されたエドは、何事も飲み込みの早い青年だった。遅れて入社したせいで未経験な部分もあったが、彼は、一度言われたことをきちんと記憶し、次に何かが起こったときには過去の経験をすばやくアレンジして対応する。エドの仕事ぶりは、単純なようでいて、なかなか真似できるものではない。
ジャーナリズムの世界では、とかく競争が激しいために、抜きん出るような才能や、主張する言葉の豊富な人間がまずチャンスをつかんでいくのだが、ポールは、エドが持っている、吸収力の高さや、素直でひたむきな性質を評価していた。
そして、GBNの国際部のデスクから、ブコバル取材のチームを編成するよう指示された頃、かつての同期であるロバート・オカザキから、久しぶりに国際電話をもらったのだ。
無沙汰の詫びを口にした後、この高名なカメラマンは用件をすぐに口にした。
クロアチアの独立紛争を取材しに、ブコバルに行きたいと思っている。が、戦局からして、単独で動くのはあまりにも厳しいことがわかってきた。無理を言ってすまないが、GBNのほうで何らかの便宜をはかってくれないだろうか?
GBNの上層部も、オカザキほどの報道写真家がクルーに参加することを、すぐに快諾した。オカザキと自分、それにクレアにも、このクルーに加わってもらえるか、打診してみよう、とポールは考えた。
クレアは一年前、同じクロアチアのザグレブで取材活動をしている。一度同じ場所を経験している人間に参加してもらったほうが、何かと機動力が上がるし、彼女とは長いつきあいだから、気心が知れていて自分も仕事がしやすい。
それともう一人、GBNからライターが必要だ。誰に頼むべきだろうか?
戦局の予測できないブコバルへの派遣であることを考えると、百戦錬磨のベテランをこそ、連れて行くべきなのかもしれなかった。
だが、ポールはあえて、エドワード・パーカーを抜擢した。紛争地域での取材経験のまったくない、アメリカ人の青年を。
エド本人の意向を打診するために、ポールは彼をコーヒーショップに誘った。
お前と二人で話があるんだが、というポールの言葉に、普段とは違う雰囲気を察したらしいエドは、やや硬い面持ちでその場に現れた。今から三週間ほど前のことだ。
「お前、ロバート・オカザキって知ってるだろう?」
タバコを深々と吸いながら、そんなふうに切り出すと、エドの眉が怪訝そうに寄せられた。ポールがこれから話そうとしている内容がさっぱり予測できない、という顔つきだった。
「ええ、もちろん知っています。あ、名前と作品を、という意味ですけれど」
エドは、生真面目にそんなふうに答えた。
「お話ししたことがなかったかもしれませんが、僕が報道という仕事に興味を持ったきっかけがオカザキなんです。まだ大学生だった頃、彼の個展を見て、これはすごい、と思った。アメリカという豊かな国にいると、世界で起こっている戦争について、別段、考えなくとも生活していけるけれど、ロバート・オカザキの写真は、そういう人間の関心さえも、確実に被写体である戦争に向けさせる。……こういうものを報道する仕事に就きたいって思ったのが、GBNに入った大きな動機なんです」
そんなふうに、エドは意外な熱っぽさで言葉を続けた。
「じゃあ、奴が若い頃、フォトグラファーとして独立する前、三年ほどGBNに在籍していたのも、もしかして知ってるよな?」
「ええ、知っています。……というよりむしろ、GBNの存在を知ったのが、彼のプロフィールからなんですよ」
「なーるほど……アメリカ人のお前が、いったいなんでまた、ロンドンに来てGBNに入ろうとしたのか、いま一つわからなかったけど、そういう経緯だったのか。それはいい」
ポールはテーブルの上の手を組んで、身を前に乗り出した。
「実は、俺はあいつの同期でさ。今も、ロバートとはやりとりしてるんだ」
ポールがそう言うと、エドの茶色の目に、ぱっと光が差した。
「オカザキは、クロアチアのブコバルでの取材を望んでいるんだが、なにせあの一帯の状況は厳しくて、単独行動は難しいらしい。GBNでもブコバル取材のクルーを出すことになってたんだけど、そこに奴も同行することになった。取材期間は二ヶ月。GBNからは、三人行くことになっていて、俺の名前が上がっている。残り二人の人選は、実質的に俺がやるんだけどさ。──それで、お前に話があるって言ったのは……」
そこで言葉を切って、ポールはエドの顔を見た。
察しのいいこの青年は、ポールが言おうとしていることがわかったらしい。怪訝そうだった彼の表情が、徐々に変わっていく。
「俺はな、GBNから行くのは、クレア・アボットと、それからお前がいいんじゃないかと思っているんだけど」
ポールがその言葉を言い終えるか、言い終えないかのうちに、エドは、勢い込んで口をひらいた。
「もちろん行きます! すごく嬉しいです、僕にそんなチャンスをいただけて……」
思っていたとおり、エドは興奮してすぐに承諾した。その頬が上気している。
ブコバル行きは、確かに、この若い青年が喜びに頬を上気させるような機会ではある。現地取材に加わること、しかもロバート・オカザキと一緒の仕事とあっては、エドワード・パーカーにしてみれば、最上級のチャンスであることは間違いない。
だが、ブコバルへ行くということは、戦争の街へ行くということでもあるのだ。
アメリカ育ちの──清潔で豊かで、秩序だった場所しか知らないこの青年が、その意味を本当に理解しているだろうか。
いや、「本当には」決して理解できない。戦争というものが、死者や犠牲者の数を増やしていくゲームではなく、人間同士の殺し合いであるという事実は、その場所に体を運び、その目で見て、その耳で聞かないと、理解できないたぐいのものだ。
だからこそ、ポールは、若いエドワード・パーカーをブコバル行きのクルーに抜擢したのだ。
興奮で頬を上気させている、この青年は、これから行く戦争の街で、きっとたくさんのものを見るだろう。そして衝撃を受け、傷つき、苦しむだろう。
だが、エドなら、そこから何かを生み出すだろうと思った。彼のやわらかな魂は、苦悩をくぐりぬけた後に、受け止めた事実を、新しい何かに変容させることができるはずだ。
彼は、そういうしなやかな強靭さを持っている。そこを見込んだ。
けどなあ、とポールは心の中でつぶやく。
なんていうか、あいつの心のやわらかさみたいなもの――あれは、どうやって培われたんだろうか?
なんとなく、彼の成育史のどこかに、その秘密が隠れていそうな気がする。小さい頃から何か、痛みのようなものを感じていて……それを乗り越えようとして、エドワード・パーカーは、あの精神のしなやかさを身につけたような気がする。
それが何であるか、よくわからないけれど。
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