第6話 episode.2 アメリカドルの仕事(3)
「エドです。今、少し、いいですか?」
ホテルの部屋をノックすると、眼鏡をかけたポールがエドのためにドアをあけてくれた。
長いファックスを読んでいたところだったらしい。白いペーパーが、テーブルの上では足りずに、うねるようにして床の上にまで落ちている。
ポールは、眼鏡をはずして目蓋の上を片手でもみながら、もう一度デスクの椅子にどっかりと腰を下ろした。
「ああ、クソ、やっぱり疲れたよ、エド。俺もついに年かな、長旅がこたえるなんてさ」
ポールがそんなふうに言うので、エドは微笑を浮かべた。
「とりあえず、通訳の候補者を決めました。今、ロビーに待たせてあります。彼に会って、最終的な判断を下してくれませんか?」
エドがそう言うと、ポールは椅子から立ち上がって、一緒に階下へ行こうと言った。
「何人の志願者と会ったわけ?」
ポールが尋ねた。
「履歴書は七通あったんですが、実際に会えたのは四人です。今、階下のロビーで待たせている彼は、僕が会ったなかでは、もっとも適任だと思います」
「それで、お前がそいつにしようと決めたポイントは何?」
「まずは英語力ですね。大学のときにイギリスに二年間留学していたとかで、とてもフルーエントで正確な英語を話す。それと、真面目そうな男です。前職は、セルビアのノビサドで教師をしていて、戦局がこんなふうになってからクロアチアに逃げのびてきたようです」
そんなふうに答えながら、本当に彼を選んでよかったのだろうか、ともう一度考える。
ルカの英語は、あまりにもなめらかなのだ。都合のいい言葉を、エドに悟らせずに語ってしまえるくらい、彼はとても流暢に英語をあやつる。
それが、逆に不安でもある。──「汚い真似をするやつだと困る」という、オカザキの言葉が脳裏をよぎる。
「体格は? ブコバルがこんな状況では、そういうのも必要条件だからさ。俺たちの中には、女性のクレアもいるわけだし」
「彼なら、逃げ足も腕っぷしも、どっちもいけそうですよ。試してみたわけじゃないですけど。……ええと、名前は、ルカ・ミリッチ。年は二十五歳」
「ふーん、お前と同じぐらいだな?」
そんなことを言いながら階段を下り、ポールとエドはロビーに足を踏み入れた。
「あのソファに座ってます。彼ですよ」
エドが指し示すと、ポールと連れ立ったエドの姿を認めたルカが、ソファから立ち上がった。
「ポール、彼がルカ・ミリッチです。──ルカ、僕の上司で、ポール・エヴァンスだよ」
エドがそう言うと、ルカは握手のために手を差し出し、初めましてと挨拶をした。ポールが同じ言葉を返して、その手を握り返した。
「あ、まずはソファに掛けなさいよ。うーんと、あんたが、ルカね……。なるほどね……」
ポールはそうとだけ言うと、そのまま何も言わずに、ルカを見ながら、二、三度、うなずいていた。
「今日の午後から、さっそく取材に同行して欲しいんだけど、それでOK? エドからそのことを聞いてる?」
すこしの沈黙ののち、ポールは、ルカの顔を見つめてそんなふうに切り出した。
「あ、はい、もちろん大丈夫です。……ということは、僕は採用ですか?」
ルカが尋ねた。
「うん、あんたが適任だね。一目見てわかった。ま、頑張ってくれよ」
その上司の台詞を聞いて、今度はエドが驚く番だった。
言葉もほとんど交わさずに、一目見ただけで――それでOKって、どういうことだろう?
僕の審査眼を、ポールはそれだけ信用しているということだろうか。
それにしても、もう少し質問するとか、英語を話させてみるとか、そういうことを何もしないで決定して、本当に大丈夫なのだろうか?
だが、心のどこかで、ポールの言葉に納得している自分もいた。
僕だって、最初に声をかけられたときから、この彼なら信用してもいい、という気がしていたのかもしれない。その直感に、客観的な理由づけが欲しくて、さまざまな質問を彼に答えさせただけかもしれない。
他の志願者には感じなかったものを、ルカは確かに持っている。最初に声をかけられた瞬間に、僕はもう、それを感じ取っていた。
「じゃあ、そういうことで。近づきのしるしに、ランチを一緒にどう? クレアとロバートも誘って、顔合わせで」
ポールがそんなふうに笑いながら、ソファから立ち上がった。
まだ緊張が残るのか、ルカは固い表情をしている。そしてその瞳は、何色とも言い切れない、不思議な淡い色をしている。
ブルーがかった灰色? ――いや、ごく薄い、グリーンのようにも見える。
この瞳は、何色なんだろう?
背の高いクロアチアの青年を見上げて、エドはそんなことを考えていた。
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