十五
吉を縛っていた荒縄で坊主を縛ると、光里は人気の無い場所まで引っ立てていった。
さて、処遇をどうしようかと悩んだが、満漸が引き受けてくれることになった。
「この坊主、儂にお預け願いたい。ひとつ心当たりがあるのでな」
それなら是非もない。その道の玄人である満漸なら安心と、光里は縄の端を陰陽師に渡した。
「にゃっはっは! あたいらに喧嘩を売るからでござんすよ!」
鰯丸は調子に乗って笑ったが、「鰯丸よ、術を唱えている時に攻撃をしてはいかん」と満漸に
坊主は満漸に任せ、光里は吉と鰯丸と共に、ひとまず家に帰ることにした。
吉は、事がすべて終わってから恐怖が襲い掛かってきたらしく、光里にしがみついて離れなかった。なにか剣呑な事に巻き込まれた者は、往々にしてあることである。
家に着いてからも、片腕で鰯丸を抱き締め、もう片手で光里の袴を握って離さない。光里も、鰯丸ごと吉の身体を抱き締め、背中を優しくさすってやった。
心底怯え切った様子の幼子の姿に、おめいは急いで湯冷ましを用意すると、「飴湯を買ってきます」と慌ただしく出て行った。
甘い物を飲んだことで吉にほんの少し落ち着きが見えると、世話を鰯丸に任せ、光里は今日あったことをおめいに話した。すると瞬く間に、おめいの顔に青筋が浮かぶ。
「けしからん坊主ですね! 仏様が泣いてますよ、まったく!」
おめいは子どもを無体な目に遭わせる輩が大嫌いである。
その日の夜は、光里と吉と鰯丸と、三人一緒の布団で寝た。
吉は光里の腕の中にいて、背中には鰯丸がピタリとくっついている。時折、吉は身体をビクリと震わせて飛び起きたが、光里に優しく撫でられるとまどろみだし、また飛び起きるということを繰り返した。
やっと帰ってきた影はというと、日を跨いでも変わらず吉の足元にくっついていた。確かに吉の言う通り、意思があり、本体とは違った動きをする。
吉と影は意思疎通ができるらしい。
それによると、やはり影は鞠を探していた御仁の力で、吉から離れることができたのだという。吉に黙って行動した理由を問うてみれば、「ひとりきりで行動してみたかった」と返ってきた。
最初はすぐ帰るつもりだったが、「あとちょっと、あとちょっと」と先延ばしにしていたら、帰る機会を逸してしまったのだという。【日ノ元市】は遊べる場所が多いから、その誘惑に負けてしまったと、影は吉に謝った。
……なんとまあ、写本師の推測は当たっていたのである。
だが、影が帰ってきてからも、鞠の御仁がかけてくれた術は消えることなく、影は吉から離れて自由に行動できるようになった。吉も喜んだが、それでも断りなく吉の元から離れるようなことは今後一切しないと、影は吉と約束したという。
満漸から呼び出されたのは、吉の心が落ち着いて、外に出かけられるようになった頃であった。
光里は吉の手を引き、待ち合わせの場所に向かった。もちろん鰯丸も一緒である。
満漸が案内したのは、寺だった。随分と大きな寺である。通された一室には、僧がひとり待っていた。
四十を過ぎた歳の頃の僧である。着ている僧衣と袈裟からは、なんとも言えぬ威厳を感じ、それなりの地位にいる者と見て間違いがなかった。
「私は
光里は僧の名に聞き覚えがあった。哲愁は、
光里は座敷に入ってから平伏し続ける哲愁に、どう言葉をかけていいやら分からなかった。このように僧侶と対するのは初めてであったし、役人として振舞えば良いのか、はたまた吉を預かる者としてこの場にいれば良いのか、判じかねたからである。
それを察したのか、満漸が口火を切った。
「哲愁殿は、行く道こそ違うものの、儂と同じく長年妖しの者に関わってきた御仁である。今度の一件、この【日ノ元市】で謂れなく妖しの者らを退治ようとしていたのは、哲愁殿が預かっていた者らしい」
哲愁は顔を上げた。
「左様でございます。彼は私の知人の元で修行を積んでいたのですが、二ヶ月ほど前にこの寺で預かることになり、その事が騒動のきっかけとなりました」
名を、
その師匠は哲愁の知り合いというだけあって、法術に長けた者であり、数多の妖しの者を
「退治るといっても、人を害し、どうしようもなく暴走してしまった者だけでございます。妖しの者らをみだりに害することは致しません」
旬衛は師匠の元で、日夜法術の修行に励んだ。それは真面目というには切羽詰まっており、常に表情は重たかった。
旬衛にはある事情があった。
「家族を妖しの者に殺されたといいます」
彼が出かけている、寸の間のことであった。
帰ってみれば、親兄弟もろとも、血塗れになって事切れていたという。彼は一瞬にして天涯孤独となってしまった。
「そのまま彼は、妖退治で名を馳せていた師匠に弟子入りを志願しました。その時こう言ったそうです」
――私は力が欲しいのです。私からすべてを奪い去った化け物どもを、これから人に仇成す者どもを、滅することのできる力を。
――私の人生を賭けて、人の世を少しでも安らかにできるよう、精進したいと思います。
師匠はその言葉を聞き、危ういものを感じた。
ここで弟子入りを断れば、この若者はどうなってしまうのか。むやみやたらに妖しの者に喧嘩を吹っかけ、返り討ちに遭うか。それとも、妖しの者よりある意味剣呑な人に利用され、どうしようもないくらい堕とされてしまうか。
師匠は若者を弟子に迎えることにした。最初は憎しみから始めたことでも、術を学び、仏の道を行くことで、変わるものをあるだろうと考えたのである。
その日から、若者は旬衛と名を与えられ、仏門に入ることになった。
「旬衛の目的は法術を学ぶことにあります。それでも師匠の言う通り、僧としての修行も熱心に励んでいたようです」
数年の
だが、どれだけ術や妖しの者のことを学び、仏道の修行をしても、旬衛の憎しみは増すばかりであった。またまた危ういものを感じた師匠は、一計を案じた。
「私どもに声をかけたのです。【日ノ元市】を見せてやってほしいと」
ここはひとつ、【日ノ元市】のように妖しの者が密かに混じっている場所を見せることで、旬衛を諭そうと思ったのである。
すべての妖しの者が、悪ではないのだと。善と悪は、人も妖しの者もなんら変わりないのだと。
まだ分からなくとも、考えるきっかけになれば良いと思った。
師匠は弟子を呼びつけ、「己が道を見定めてこい」と一言かけて【日ノ元市】へと送った。
「初めは私どもともよく親しんでいましたが、やがて、ひとりで市中へ出かけることが増えました」
師匠の想いなどいざ知らず、旬衛は【日ノ元市】で暮らす妖しの者たちを退治ようと行動を起こした。
そしてそれが変な形で噂になり、吉や鰯丸、満漸の耳に入ったのである。
「もちろん、私どもの耳にも入りました。旬衛の仕業かもしれないと疑いはありましたが、確信は持てませんでした。問い詰めようにも、旬衛は寺に寄り付かなくなっておりました」
哲愁は立場があるゆえに動けず、かといってこの寺で妖しの者に関わっている僧は少なく、日々持ち込まれる相談事に追われている。早い話、人手が足りなかった。
「私どもの身内がしたことです。本当は私どもが始末をつけなければならないところ、満漸殿や秦野殿の手を煩わせることになり、誠に申し訳ありません」
哲愁は頭を下げた。じき身を起こすと、更に深く重々しい表情を浮かべる。
「旬衛は、妖しの者を憎んでおります。すべての妖しの者たちが人に仇成す存在だと、信じ切っているのです。ですから、この世に生きるすべての妖しの者を退治ようとしているのです。……そんなこと、どだい無理な話ですのに」
【日ノ元市】は、その最初の標的になってしまった。
鰯丸は腕を組んだ。
「にしては、やったことが随分こすっからいでござんすね。結局、誰も退治できてないでやんすし」
鎌鼬も河童も、その他襲われた者たちも、傷は負ったがみなピンピンしている。
「旬衛の師匠が得意とするのは、〝返しの術〟でございます」
受けた術を、相手に返すという技である。師匠ほどの腕になれば、受けた術を倍以上の威力にして返すことができるが、旬衛は受けた術をそのまま返すことしかできない。
つまり、自分がどれだけ相手を殺そうとしても、相手に自分を殺す気がなければ、退治ることなど端からできないのである。
旬衛に襲撃された者たちが少し傷を負っただけですんだのは、彼らに旬衛を殺すつもりがなかったからだ。
〝こちらから仕掛ければ、化け物どもは自分を殺しにくるだろう。そこを返り討ちにしてやる〟という彼の策は、ものの見事に外れたのであった。
策士、策に溺れる。
鰯丸は苦笑した。
「あたいら妖しの者を
光里は心の中でため息をついた。なんかもう、呆れるというかなんというか。疲れる話だ、まったく。
――あれ?
ひとつ違和感を覚えた光里は、そっと問いかけてみた。
「あの、満漸殿と対した時は、旬衛さんの方が先になにかを唱えていたような気がするのですが……。返しの技ならば、相手の手を待たねば成立しないのではありませんか?」
光里の疑問に、哲愁が頷く。
「法術も万能ではございません。術者の力を超える術が放たれた場合、返すことができず、そのまま食らってしまうのです」
ははあ。それで満漸が登場した時、あれほど怯えていたのだ。光里は納得した。
「今回、旬衛がしでかした事は、妖しの者を傷つけただけではありません」
旬衛は呪いを撒いてしまったのである。
「呪い?」
「はい」
哲愁は悼むような表情を浮かべた。
「此度の旬衛の行動は、彼の言う〝人の世のため〟には到底なりません。いたずらに妖しの者らを騒がせ、人を害するきっかけとなってしまいました」
鎌鼬である。かの妖しの者は人に傷つけられたことに大層怒り、一軒家を訪れた吉に向かって刃を振るった。
旬衛が鎌鼬を襲わなければ、そんなことにはならなかっただろう。
「よりにもよって、仏の道を行こうとする者が、呪いを生んでしまいました……」
光里は尋ねた。
「旬衛さんのご家族を殺めたという妖しの者は、誰だか分かっているのですか?」
憂う表情のまま、哲愁は首を横に振る。
「未だ判明していません。なぜ旬衛の家族が狙われたのか、そこに如何様な理由があったのか、すべてが謎です」
実際の仇が分からないから、旬衛はそのように荒れているわけか。
哲愁は吉に向かうと、深く深く頭を下げた。
「吉さん。旬衛の身勝手な行動により、あなたの心を傷つけてしまったこと、彼に代わってお詫び申し上げます」
旬衛が妖しの者を憎むきっかけになった一件に、【日ノ元市】の者たちは関係が無い。
ましてや幼子を狙うなど、度を越している。
「誠に申し訳ございませんでした」
吉は自分に向かって頭を下げる僧侶を前に、目をパチパチと瞬かせた。こんなに偉そうな着物を着た人が頭を下げるなんて、驚きである。
光里は吉の頭を撫でると、哲愁に向かい合った。
「で、旬衛さんは、今は?」
「満漸殿にお連れ頂いた後、彼の師匠に急ぎ連絡を致しました」
数日前、その師匠自らが引き取りにきたという。
寺の一間で旬衛に長々と説教をすると、哲愁に向かって無理やり頭を下げさせ、元の修行場へと連れて帰った。
「〝修行は一からやり直し。監視の目も厳しくする〟と言っておりました」
「ははあ」
「師匠の方からも、〝巻き込んで申し訳なかった〟と言葉を預かっております」
またまた頭を下げる哲愁に、光里は恐縮した。今日だけでどれだけ頭を下げなければならないのだろう、この僧は。
すると、これまで黙していた満漸が静かに言葉を放った。
「復讐とは、己のためだけに行うものである。かの坊主はそこを分かっとらん」
世のため人のためと、自分の復讐心に大義名分をつけてしまっている。自分の考えは正しいのだと思い込んでいる。それではいけない。
「己に酔っているだけだ。夢を見ているだけに過ぎん。あんなもの、復讐でもなんでもない。己の怒りと哀しみを周囲にぶつけ、駄々をこねているだけだ」
「ああ、なるほど」
光里はポンと手を打った。
廃寺で旬衛と対した時、彼の言葉がどうにも宙に浮いているように感じたが、そう表現されると納得である。〝駄々をこねている〟とは、言い得て妙だ。
「厳しいですね、満漸殿」
「甘やかしても良いことはあるまい」
満漸は
「復讐とは、修羅の道である。己の行動によって生まれるすべてのものを背負う覚悟を決めやり遂げるか、また己の手には負えぬと諦めるか。踏ん切りをつけなければ、一生そこから抜け出すことはできぬだろう」
まずは、己の抱く感情が、ただの身勝手な復讐心でしかないと得心することからである。まだまだ先は長い。
「満漸殿、復讐に関して随分理解がおありなようで。なんぞありましたか?」
場を軽やかにしようと、からかうような響きを持った光里の言葉に、満漸は乗ってきてくれた。片眉の端を引き上げ、涼しい顔でのたまう。
「儂も、後ろ暗いところがあるからの。人に言えぬような事など、ひとつふたつに限らず腹の内に収めておる。光里殿のように、ひたすら真っ直ぐ芯の通った御仁は稀よ」
「左様で」
満漸はふと光里を見下ろした。
「光里殿は如何様にお考えか?」
「私ですか?」
光里は腕を組んで少し考えた。
「事情があるのは分かりました。彼が受けた苦しみや、妖しの者を憎む心に対して、私があれこれ言うことはありません」
それはその人だけのものであるからだ。関係の無い光里がとやかく言うことではない。そしてそれは、他人にとってはそれだけのものでしかないとも言い換えられる。
「けれども、家族を滅ぼした仇を討ち果たさんとするなら理解できますが、それで関係の無いお吉さんや妖しの方々を害そうとするのは、お門違いです。いくら不幸な過去があったからといって、なにをしても良いというわけではありません」
光里は腕を解き、軽く拳を握って膝の上に置いた。
「これから先を決めるのは、旬衛さんです。師匠の元で一からやり直すか、そこから飛び出して心身を持ち崩すか」
己の復讐心に呑まれるか、折り合いをつけるか。
「責任はすべて旬衛さんにあります」
また【日ノ元市】にやってきて、誰かを傷つけようとするのなら、光里は容赦なく槍を振るう。光里ができることといえば、それだけだ。
満漸は顎に手を遣った。
「手厳しいな」
「私の役目は槍を振るうこと。暴れる者を、話が聞ける状態まで押さえることです。想いを汲み取り、裁きを下すことではありません」
妖しの者らは傷を負ったが、命に別状はなかった。吉は怖い思いをしたが、無事だった。それがすべてだ。
「下手人ひとりひとりに同情していては、この身が持ちません。だから私が旬衛さんについて考えるのは、これでおしまいです。……まあ、師匠の想いに気づくことができれば、少しは楽になるかもしれませんね」
あとはご勝手に。
光里は静かに述べた。満漸は口元に笑みを浮かべた。
「いやはや、【日ノ元市】の役人殿は腹が据わっておる。この町の行く先は安泰だ」
「持ち上げ過ぎですよ、満漸殿。私はただ食いしん坊な槍狂いに過ぎません。腹が据わっているというより、空いているのです」
場は硬さが少し解け、光里にも笑みが浮かび始めたが、そこで吉の放った一言が再び場を凍りつかせた。
「おらは、人じゃねえんでしょうか」
座敷に座る四人は、一斉に吉を見た。
「おらを捕まえた人、おらを〝人じゃねえ〟って言いました。おら、人じゃねえのかな?」
あどけない幼子の言葉に、光里は堪らなくなった。
「なにを言うのさ、お吉さん。お吉さんはちゃんと、」
「うむ。そなたは人ではあるまい」
「なっ⁉」
突然の満漸の一言に、光里は目を剥いた。一体なにを言い出すのだ、この陰陽師は。
「吉よ、そなたは人ではない」
「ちょっと、なにを言うんですか!」
「かといって、妖しの者でもない」
満漸は慌てる光里を無視し、吉をしっかりと見据えた。
「しかし、そなたは人でもあり、妖しの者でもある」
「?」
吉は首を傾げた。光里もそうしたい気分である。言っていることがよく分からない。
満漸は続けた。
「そもそも、人と妖しの者の違いはどこにある?」
「へ?」
光里は思わず声を出した。どこってそりゃあ……、人と妖しの者は根本から違うではないか。
光里の心中を知ってか知らずか、満漸はつと視線を動かした。
「たとえば、そこの鰯丸」
「にゃっ⁉」
いきなり話題に引き出され、鰯丸は跳び上がった。
「猫又は、猫が長じて成る妖しの者である。だが、長く生きたとて、いきなり猫又になるわけではあるまい」
「まあ……、そうでござんすね」
その身に妖力が集まってくると、少しずつ人語を解すようになり、徐々に尻尾が二又に分かれてくるのである。
「ならば、どこまで人の言葉を解し、どこまで尻尾が分かれれば、猫又なのだ? 猫でなくなる瞬間は、どこにある?」
「それは……」
鰯丸は言葉を詰まらせた。腕を組んで考え込むが、やがて諦めた。
「どこなんでござんすかね?」
満漸は再び吉を見据えた。
「人と妖しの者は違う。それは確かな事である。しかしながら、はっきりとした境界線は無いのだ」
日が暮れてくると、空の様子も変わってくる。
しかし、青かった空が次の瞬間に真っ暗になることなどない。少しずつ、少しずつ陽が傾き、空が橙色になり、薄暗くなると、やがて真っ暗になるのである。
「人と妖しの者も、それと同じである。すべては地続きなのだ」
吉は目をパチパチと瞬かせた。満漸は幼子の影を見る。
「吉よ、そなたは特別な影を持って生まれた。そなたの相棒である、唯一無二の意思ある影だ」
吉の影はえへんと胸を張っている。本体である吉は身動きひとつしていないというのに。
ふと、吉はお山の友からかけられた言葉を思い出した。
――オメはオデらに近えが、人の方がより近え。
「人と妖しの者との狭間にある存在は、そなただけではない。かくいう、儂もそうだ。……それに、かの坊主が放った術を一瞬にして燃やし尽くした御仁もそうだろう」
鰻屋から出てきた男だ。
あれには吉も驚いた。あんな恐ろしげな術を、瞬きする間に滅してしまったのだから。
「この世にはとある力が流れておる。それを法力や妖力、霊力と様々な呼び方をするが、根本的には同じものだ」
力の根源となるのが、【
これらはこの世にある万物に宿るが、その強さはそれぞれだ。人にももちろん宿っているが、ほとんどが微々たるものである。
がしかし、稀に強い【氣】を持った者もいる。
「強い【氣】は、儂らのような目を持つ者には見える。かの男が宿していたのは【火の氣】だな。炎が見えたであろう?」
吉は頷いた。
そこで吉は、姉さと
「そなたの姉を
「でも、薬師さんに見えたのは、ほんのちょっとでした」
「うむ。いくら【氣】を宿していたとしても、普通はそのくらいである。かの男が特別だったのだ。……儂も様々なものを見てきたが、あれほどまでに凄まじい【氣】は初めてだ」
なかなかにおもしろきものを見せてもらった。
満漸は呟くと、吉に向き直った。
「では、異常なほど【氣】を宿した男は、人であるか否か。その判別は誰にもできまい。
そなたにしても同じことである。特別な影を持ち、尋常ならざるものを見る目を持って生まれたそなたは、果たして人であるか。はたまた妖しの者であるか。
そのようなこと、いくら論じても意味は無い」
満漸は確固たる強さを宿した目で、それでいてどこか優しげな表情で吉を見下ろした。
「そなたは、そなたであらねばならぬ」
人ではなく、妖しの者でもなく。ただひたすらに己であらねばならん。
吉は目をパチパチと瞬かせた。
「今は分からずとも良い。いつか、分かる日が来よう」
満漸は打って変わってさっぱりとした口調になると、場をほぐすように言った。
「さて。影が戻ってきたからには、そなたの今後の事を決めねばならん。奉公先の旅籠に戻るのは無理であろうし、故郷の村にも居場所は無かろう」
「……」
吉は下を向いた。やはり自分は、故郷に帰ることはできないのだ。
光里は、「それでは私が引き取ります」と言おうとしたが、満漸に先を越されてしまった。
「吉よ、儂の弟子にならんか?」
「へっ」
「そなたは気づいておらなんだが、そなたは格別に妖しの者に好かれやすい」
人にもいるだろう。なにもしていないのに、なぜか人が寄り集まってくる人が。どうしてか
「そなたは妖しの者を惹きつける。好むと好まざるとに関わらずな。ゆえに、このまま町場で人に紛れて暮らすのは難儀だろう。事実、そなたは村にも旅籠にも居着くことができなんだ。
ならばいっそのこと、〝妖しの者に対する玄人〟として大成すれば良い。妖しの者と人との間を執り持ち、繋ぐのだ。そなたにこれほど向いている事もあるまい」
だからこそ、満漸は自らの弟子になれと誘った。
吉は呆然と大男を見上げる。
「おら……、まんぜんさんみたいになるんですか?」
「うむ。そなたには才がある。行く道さえ間違えなければ、儂をも越える陰陽師となろう」
吉は考え込んでいたが、もじもじと指を絡ませた。
「おら、お山のみんなも、みつりさんも、おめいさんも、いわしさんも、まんぜんさんも好きです。まんぜんさんみたいに、みんなを守れるようになるなら、おら、そうなりてえなぁ」
「うむ。そうなるよう、儂が鍛えよう」
だがなによりまずは、吉は己の魂が
「陰陽道とは、己を知り、人を知り、妖しの者を知る、果て無き探求の道である。共に精進していこうぞ」
「あい!」
吉は、満漸の弟子になることに決まった。
光里は完全に置いていかれた形になったが、本人が同意しているのだから、どうしようもない。
光里の心中など知らず、満漸は続けた。
「今、そなたと影はひとつの名を使っている。それではなにかと支障が出よう。……そなたは影を〝吉〟と呼んでおるが、その名は影にやっても構わんか?」
吉は頷いた。影もコクコクと頷いている。
「ならば、そなた自身の名を新しく考えねばな」
満漸は顎に手を遣るとしばし考え込んだが、じき顔を上げた。
「そなたは鞠を見つけたことをきっかけにして、ここまで導かれた。それを由来とし、これからは〝
こうして陰陽師の弟子、鞠子が生まれた。
事ここに至って、影を無くした子どもの一件は、幕引きとなったのである。
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