十四
なんにしても、事が動くのは急である。影がいなくなった子どもの一件にしても、その幕引きは突然だった。
風雲急を告げたのは、くたびれた手拭いを巻いた一匹の猫であった。
そろそろ日も暮れだす
「にゃああっ!」
「うわっ!」
なんとか両腕で受け止めたが、暴れる暴れる。
そのあまりの狼狽ぶりに、光里は慌てて人のいない路地へ鰯丸を連れて行った。
「落ち着いてくれ、鰯丸さん。一体どうしたのさ?」
「お、お嬢が! お嬢が!」
そうだ。今日は、吉と鰯丸は連れ立って出かけている筈だ。
なのに幼子の姿は見えず、猫がにゃあにゃあ鳴くばかり。吉はどうしたのだろうか。
鰯丸は泣きそうな声で叫んだ。
「お嬢が、攫われちまいましたぁ!」
「はあっ⁉」
光里の驚愕した声に、鰯丸はしくしくと泣きべそをかいた。
「い、いきなり後ろから襲ってきたんでやんす」
それはあれか、例の「成敗致す!」の奴か。
「わ、分からないでやんす。そんな声すら、無かったでやんす。ひ、人であることは確かでやんすが……」
とにかく。いきなりの攻撃を鰯丸は避けたが、それを読んでいたのか、襲撃者はその隙を突いて吉を抱え、駆け出した。
当然、鰯丸は追いかけたが、なぜか追いつけず、やがて見失ってしまった。
半狂乱になりながら探し回っていたところ、光里を見かけ、事を知らせるためにその身体に飛びかかった、ということであった。
泣く猫又を前に、光里はしばし立ち尽くした。まさか吉が狙われるなど毛ほども思わず、突然の事態に頭が働かない。
だがそれでも、町方役人として三年やってきた経験が、彼女を奮い立たせる。
「鰯丸さん、満漸殿にこの事は?」
「まだでやんす」
「なら、早く伝えよう。居場所に心当たりは?」
「あるでやんす」
「ならまかせた。私はここいらを探してみる」
「合点でやんす!」
鰯丸は手拭いで涙を拭くと、ぱぱぱっと屋根を伝って走り去っていった。
光里も路地から飛び出し、通りを走った。
下手人が吉になにをしようとしているのかは分からないが、人様におおっぴらに言えないような事をしようとする輩が使いそうな場所は、二、三目星が付いている。
――とにかく、近い所から回ろう……!
光里はここから一番近い場所へ向かってひたすら駆けていたが、ふと正面から走ってくる女に目が留まった。
どれほどの距離を走ってきたのだろうか、着物の胸元や裾が乱れ、青白い肌が覗いている。
そして、よく見れば裸足であるが、女は気にする風もない。長い髪も乱れに乱れているが、こちらもよく見れば足首の長さにまで髪を伸ばしており、なんとも風変りな見た目である。
女は、光里の姿を捉えると、死に物狂いの様子でこちらへとやってきた。半ば転ぶようにして光里の腕を掴む。
「ど、どうしましたか?」
「はあ、はあ、」
女は両膝を着き、息を切らして肩が激しく上下する。
苦しそうな姿に、思わず光里はその背を撫でてやった。
「あ、あの、私になにか御用で?」
「あばばばばばば、」
大丈夫か、この人。
ゆっくり話を聞いてあげたいが、今は火急の用がある。
「すみません、私は急いでおりまして。ここから二つ先の角を曲がれば自身番があります。ひとまず、そこで待ってて下さい」
そう言っても、ぶんぶんと首を横に振って、なかなか腕を離してくれない。
女もこれではいけないと思ったのだろう、懸命に言葉を振り絞った。
「か、かげ……! きちのかげ……!」
「えっ」
「こっち……! はや、く……!」
「えっ、ちょっ、」
「いまなら、まだ、」
まにあう。
その言葉に、光里は鬼気迫るものを感じた。
女に手を引かれて、光里は走った。走りながら、考えた。
この女は、やはり妖しの者なのではないだろうか。
髪が異様に長いのも、裸足なのを気にしていないのも、人ではないからではなかろうか。
――いや、そんなこと今はどうでもいい。
女が導く先に待つものがなんであれ、光里は覚悟を決めねばならない。
女は石段の前で止まった。ぜえぜえはあはあ、座り込んで息を切らしている。
光里も息を整えつつ、石段の先を見上げた。廃寺が見える。吉の居そうな所として、光里が候補に挙げた三つ目の場所であった。
女は疲れ切ってもう言葉にもならないらしく、弱々しく腕を上げると、階段の先を指し示した。
「分かった、ありがとう」
光里は槍を背負い直すと、女にひとつ頼み事をした。
「下っぴきの日向さんにこの事を伝えてくれないかな? 休憩してからでいいからさ」
彼に伝われば、じき鰯丸や満漸にも話がいくだろう。
女は「まだ走らせるのか」とうんざりした表情を浮かべたが、しぶしぶ頷いた。
「でも、そ、そいつじゃ、だめ。ま、まんぜん、じゃないと」
おや、やはり知り合いだったか。
「とにかく、誰かに伝えてくれ。よろしく頼むよ」
光里は足早に石段を上った。
雑木林に囲まれた破れ寺は閑散としていた。まるでここだけ、時が止まったかのようだ。
建物をぐるりと回り、裏に出ると、吉が居た。
「お吉さん!」
吉は荒縄で縛られ、地面に正座させられていた。幸い、怪我はなさそうだ。
あまりに突然のことに、自分の身になにが起こっているのか分からないようで、泣きもせず愛らしい目をパチパチと瞬かせている。
吉の目が、光里の姿を捉えた。
「みつりさん」
吉は起き上がり、光里の方へ行こうとしたが、眼前に差し出された錫杖が押し留める。しゃりん、と音が鳴った。
「御坊殿、
光里は、吉の隣に立つ若い僧を睨んだ。擦り切れた袈裟と草履、笠で顔を隠した坊主は、爽やかに笑った。
「一体もなにも、拙僧は己が役目を全うしているまで。なにもおかしなことはしていませんが」
「ふざけるな!」
光里は一喝した。
「ここ最近、妖しの者らにちょっかいをかけているのは、お前だろう!
誰もかれも、人に悪事を働いたことなどなかった! なのに難癖つけて、むやみやたらに傷つけるとは、一体どういう了見だ!」
「……本当に?」
坊主は光里を真っ直ぐに見つめた。
「あの化け物たちは、本当に人を害したことなどないのですか?」
「そう聞いている」
「それはここ最近のことだけでしょう。化け物どもの時間は永いのです。その永き時の中で、一度も人を傷つけたことが無いなど、
いや、そこまで知るわけないじゃないか。
光里は別の方面から攻めてみることにした。
「ならば、今お前が無体を働いている幼子はなんとする! 人の子にまで手を出すつもりか!」
坊主は吉を見下ろした。その視線が酷く冷たいことを、離れた場所にいる光里でも分かった。
「これは、本当に人なのでしょうか?」
「はあ?」
光里は素っ頓狂な声を上げた。なんだか最近、こんな声ばかり出しているような気がする。
「だって、影が無いんですよ」
「それがどうした」
「無いんですよ、影が。あって然るべきものが、無いんです。おかしいでしょう」
光里は怪訝そうに眉をしかめた。
「なにが言いたい?」
「ある筈のものが無い。無い筈のものがある。どちらも人とは言えません。つまり、これは人の子の姿をとってはいるが、人に仇成す化け物である。よって、
あっ、駄目だ。こいつとは話が通じん。
光里は早々に見切りをつけると、迷いのない手つきで槍を抜いた。
会話と問答で誰か駆けつけてくるまで時間を稼ごうかと思ったが、ここまで考え方が違えば無理だ。諦めよう。
坊主は心外そうに光里の構える槍を見た。
「女よ、拙僧に槍を向けるか」
「なにか問題でも? お前も、妖しの者らをいきなり襲ったというではないか」
「……拙僧は世のため人のため、化け物どもを退治ようとしたまで」
「世のため人のため、などと言う輩に
己を悪だと言い切る方が、まだ信用できる。
光里の言葉に、坊主は顔をしかめた。
「拙僧を責め、邪魔だてしようとする理由はどこにある?」
「私が町方役人だからだ」
光里は胸を張って言い切った。だが、坊主は尚更心外そうに穂先を見つめる。
「なればこそ、そなたが拙僧を止める謂れなど無いではないか。これは人の子に見えるが、化け物である。そなたを騙し、一時の宿と飯を
光里は揺るがなかった。
「お前はひとつ考え違いをしている。確かに私は町で暮らす者を守る役目にあるが、それは人に限らん」
たとえ今、そこで捕まっているのが猫又の鰯丸だったとしても、鎌鼬だったとしても、河童だったとしても、光里は槍を抜いた。きっとそうした。
「〝この町に暮らす、すべてのモノを守る〟。それが私の役目だ!」
ここ最近、思いついたことだが。それでもこの場でそう決めた。
光里は眼光鋭く、坊主を見据えた。どこまでも引かない構えに、坊主もため息をつく。
光里はふと思いついた事を言ってみた。
「しかし御坊よ。先程の発言によれば、お前は〝妖しの者らはいつ人を傷つけるか、傷つけたか分からんから、退治るべきだ〟との考えで相違ないか?」
「まあ、大まかにはそのようなものです」
「ならば、人はなんとする」
「は?」
「人は人を傷つける。たとえそれがどれだけ近しい仲であってもだ」
良かれと思って言ったことが、やった行動が、誰を傷つけるか分からない。たとえそれが善意であっても、人によってはまったく違う受け取り方をするなど、ままあることだ。
頑是ない幼子でも、世間知のある老人でも、ふとしたことで人を傷つける。それこそ、〝いつ傷つけるか、傷つけたか分からん〟というやつだ。
妖しの者より人の方が、はるかに多く人を傷つけているだろう。
坊主の考えに則るなら、この世は罰せられるべき人しかいない。
「御坊よ。お前の考えだと、妖しの者よりも人の方が、よっぽど退治るべき存在ではないか?」
「ふ、ふざけるな!」
坊主は激昂した。
「人は、人である! 化け物どもとは違う! あやつらは人を害することしか考えておらん! 退治るべき存在なのだ!」
いや、お前の方がよっぽど剣呑だわ。
ふん、と光里は鼻を鳴らした。小馬鹿にした態度に、坊主の肩が怒りで震える。
――なにかに囚われているような気がするな。
酔っている、吞まれている、とも言い換えられよう。
しかし、今この場においては、坊主の事情などどうでもいい。吉の安全が最優先だ。
光里は槍を握る手に力を込めると、坊主と吉に向かって駆け出した。
しかし、坊主が錫杖をひと振りすると、どこからともなく煙が噴き出し、光里の視界を遮った。
「……!」
いきなりのことに面食らうが、ひとたび槍を抜けば、光里は武人以外の何者でもない。すぐさま槍を振って煙を払う。
がしかし、先程の場所に坊主と吉はいなかった。ぐるりと視線を巡らせれば、本堂の向こうに僧衣が翻ったのが見えた。
「待て!」
待てと言われて待つ者はいない。それでも光里は叫んで、後を追った。
光里は再び町を駆けていた。坊主を追いかけているのだが、どうしてか追いつかない。
光里は槍を握っているだけだが、あちらは錫杖と吉まで抱えているのだ。追いつけぬ方がおかしいのに、距離がまったく縮まらない。
――術というやつか……!
きっと、これで鰯丸は撒かれたのだ。
一応、光里は槍投げの技術も持ってはいるが、吉に当たることを考えれば、そんなことなど到底できない。
坊主は人の多い方を目指してひたすら駆けている。槍が思うように振れぬよう、人混みに紛れるつもりだろう。このままではまずい。
――どうすればいい?
光里は内心、焦り始めていた。
しかしどうにもしようがなく、ついに大通りにまで来てしまった。
光里が道行く人に「
なにせ坊主だ、仏の道に
それでもその時、光里に助けが現れた。それは天ではなく、地からやってきたが、これほどありがたいことはなかった。
「!」
突如、つんのめったように坊主が転んだ。
何事かと光里も目を剥いたが、わけはすぐに知れた。坊主の影が、何者かの影に掴まれているのである。その影は幼い人の子の姿で、どこを見ても本体が無かった。
――お吉さんの影!
本体の危機に、駆けつけてくれたのか。
しかしながら、「ついに見つかった」と喜ぶ場面ではない。坊主が転んだ拍子に吉は宙へと放り出され、尻もちを着いたが、まだぼんやりと呆けている。
「お吉さん、こっちへ来い!」
光里の声を聞き、はっと気がついた吉は急いで立ち上がり、駆け出そうとした。
「逃がすか……!」
坊主が、吉の足首を掴んだ。
吉の心の臓は大きく跳ねるが、そこでまた助けが現れた。吉の懐から葉っぱと蔓が飛び出したかと思うと、坊主の目を塞ぎ、首に巻きついたのである。吉の故郷の、お山のみんながくれた山の恵みだった。
「ぐうぅっ!」
坊主は吉から手を離し、首に絡みついた蔓を取ろうと必死になった。
吉はその隙にがむしゃらに走ると、光里に向かって飛び込んだ。光里は吉を庇うように立つと、真っ直ぐに坊主を見つめ、槍を構えた。
「お吉さん、怖かったね。もう大丈夫だ」
吉は言葉もなく、光里にぴたりとくっついた。
――さて、これからどうしよう。
吉は取り返した。ならば次は、坊主を捕らえなければ。
坊主は葉っぱと蔓を術で燃やし、吉の影を振り払うと、立ち上がってこちらを見据えた。
光里が槍を抜いているのだ、周囲には人が集まってきていた。
だがそれでも【三こま】の人々は心得たもので、あまり近くには寄ってこない。槍を振るう邪魔になると分かっているのである。むしろ、前に出ようとする者を押さえてくれている。
人々の気遣いには感謝しかないが、この場をどう治めるべきか、光里は判じかねた。
いつもなら、槍をひと振りして済むのだが、なにせ相手は僧である。おかしな術を使うのも踏み込めない理由なのだが、なにより、
――担当が違うんだよな……。
寺や神社の問題は、寺社奉行が担っている。このまま「幼子を誘拐したから」の一点張りで取り押さえても良いが、後々揉めてしまうかもしれない。
――まあいいか。
担当違いで揉めることより、町の安全が最優先だ。光里の頭などいくらでも下げてやるから、さっさとこの場で捕らえてしまおう。
――後の始末は上役に任せよう。
手前勝手にそう決めて、光里は槍を握り直した。
坊主は坊主で逃げる気などないらしく、錫杖を構えた。
「あくまでもその化け物を庇うか。そなたの考えがどうにも分からん」
「奇遇だな。私もお前の考えが分からん」
分かろうとも思わん。
光里のあっけらかんとした答えに、坊主は苦笑したようだった。
「ただの槍使いであるそなたが、法術使いの拙僧に勝てるとでも?」
「さあ。やってみなければ分からんな」
どんな術を使ってくるのか、知識も経験も無い光里にとっては未知数でしかない。
相手の手の読み合いが必要になる武術において、今の状況は圧倒的に不利であり、不安が無いと言えば嘘になるが、まあひとまずやってみよう。
腹の底に力を込め覚悟を決めたが、今日の光里はついていた。事ここに至って、一番来て欲しい助けが現れたのである。
「儂がお相手いたそう」
旅の陰陽師、鬼一満漸がこの場に現れた。
満漸はそっと吉の頭を撫でると、光里の隣に立つ。雲衝くような大男の登場に、坊主は固まった。
「坊主よ、よくもまあ好き勝手やってくれたな。そなたにもいろいろ事情はあるのだろうが、それをこのような幼子にぶつけるのは、なんとも大人気ない。儂で良ければ、いくらでも相手になってしんぜよう」
「……っ!」
明らかに、坊主の腰が引けている。
光里には、満漸と坊主の術使いとしての差など分からないが、当事者である坊主がそれを痛感しているのは見て取れた。光里にしたって一端の武人として、目の前に立つ武芸者の力量は肌身で感じ取れる。
満漸が来てくれて、ほっと安心する部分もあったが、それでも気を引き締め直す。味方が増えたからといって、油断は禁物だ。
「さてどうする、坊主よ。そちらから来ぬのであれば、儂からゆかせてもらうが」
「っ!」
坊主は覚悟を決めたように錫杖を両手で握り、ぶつぶつとなにかを唱え始めた。
満漸はそれを受け、腰に差した懐刀を鞘ごと抜くと、ぶんと一振りした。
光里にはなにも見えなかったが、吉は、目の前に自分と光里を守るように透明な壁が現れたのが見えた。そっと満漸を見上げると、かの陰陽師は吉に向かって小さく頷いた。
正面から妙な気配を感じて、吉は坊主を振り返った。坊主は術を練り上げたらしく、「はっ!」という気勢と共に、錫杖で地面を着いた。
その瞬間である。
「にゃあああああーーーっ!」
あたりをつんざくような雄たけびと共に、屋根から鰯丸が躍り出た。そしてその勢いのまま、坊主の顔に強烈な一撃を浴びせたのである。
「ぐはぁっ!」
坊主の身体は大きくよろけたが、鰯丸はさすが猫である、四つ足を地面に着いて綺麗に着地した。
光里が見ていたのは、そのような光景だったのだが、吉と満漸は違った。
二人の視線は、坊主が一撃を食らう一瞬前に放った術の方に吸い寄せられていった。吉たちを狙った術は逸れに逸れ、あらぬ方へと飛んでいってしまったのである。
人垣を乗り越え、術は一軒の鰻屋の方へと飛んだ。
ちょうどその時、鰻屋の
身体から炎が噴き上がり、その熱で周囲の景色が歪んでいる。業火を身に纏ったような男は、吉が鰯丸とはぐれた際、初めに声をかけてくれた男の連れであった。
制御を失った術は、その男に向かって飛んでいく。
「いかん!」と満漸は懐刀を振りかぶり、「危ないっ」と吉は身体が縮こまったが、事は一瞬でケリがついた。
ジュッ。
そんな音がしたと思ったら、術は男の身体に届く前に、その纏う熱により一瞬で燃え尽きてしまったのだった。
「……」
「……」
何年にも及ぶ厳しい鍛錬の末、練り上げることが叶った術は、吉を驚かした猛烈な業火によって、儚く消え去ったのである。
これは吉しかり、熟練の陰陽師である満漸でさえも、言葉にならなかった。
急ぎ立ち上がり、錫杖を構え直した坊主も、己の術があっけなく消えたことに、開いた口が塞がらない。
「……」
「……」
「……」
三人はただ固まっていたが、件の男がふとこちらを見た。
男は人だかりの中心にいる者どもが己を見ていることに気がつくと、八の字に眉尻を下げ、唇の両端を吊り上げて、にいぃっと笑った。そのどこまでも凶悪な笑みに、ますます三人は固まる。
そこでまたひとり男が鰻屋から出てきた。
「うわっ、なんだこの人だかり」
「さあなァ。行こうぜ」
炎を身に纏った男は連れの肩を抱くと、からんころんと下駄を響かせて去って行った。
吉と満漸、坊主が術の行方を目で追っている間、光里はひたすら眼前の坊主から目を離さなかった。どうやら三人とも、自分には見えないなにかを見ているらしい。これは好機と、光里は素早く動いた。
ひと息で坊主の前まで来ると、槍を上から振るって錫杖を叩き落とす。そして流れるように後ろへ回り、しなりをつけて膝裏をぶっ叩く。
坊主はたまらず地面に倒れ伏し、光里はその首に槍の穂先を当てた。
「ぐっ……!」
坊主は術を唱えようとしたが、素早くやってきた満漸に人差し指で額をつつかれてしまった。
――なにをしたんだ?
光里は槍を突きつけたまま、視線だけで満漸に問う。陰陽師は立ち上がると、トントンと拳で腰を叩いた。
「なに、術を練られぬよう、
「な、なるほど」
満漸は吉の傍へいくと、その小さな身体を縛った荒縄を優しい手つきで解いてやった。
「怖い思いをしたな。下手人は光里殿が捕まえてくれた、安心されよ」
「あい」
その光景を見て、坊主はたまらず叫んだ。
「なぜ拙僧が捕まらなければならん! 本当に捕らえるべきは、そこの化け物だ! 影が、無いのだから! 人ではない!」
光里は至って落ち着きを払って言った。
「影だと? 影が無いなど、馬鹿なことを言う。御坊、あの子の足下をしかと見てみよ」
坊主は吉の足元に視線を遣った。そこには、吉と同じ形をした影がしっかりとくっついていた。
「……!」
「御坊よ、再度問う。どこに影の無い者がいるのだ?」
「光里殿、そう責めるものではない」
満漸は荒縄を手に立ち上がった。一点の曇りもない橙色に染まった空を仰ぎ見る。
「ほれ、今は妖しの者が
同意するかのように、手拭いを巻いた灰色の猫が「にゃう」と鳴いた。
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