十三

 光里は試験に合格し、晴れて町方役人になることになった。

 筆記ではなく、実技で合格を勝ち取ったため、望み通り外役に配属された。

 しめしめと喜ぶ光里の心中を知ってか知らずか、父は少し唸ったが、「光里の好きな槍が役に立つのだから」と娘の門出を祝福した。

 だがしかし、父は誰に断りなく、家を出ることになった娘に、おめいをお目付け役として付けることに決めた。

 気ままな一人暮らしができるやもと期待していた光里はこれに反対したが、母までも賛成してしまい、分が悪かった。


「なら、光里。あなた、掃除に洗濯、食事の用意まで、全部ひとりでできるの?」

「うっ」


 ぐうの音も出ないとはこのことである。今まで槍一筋、その他の事などてんでおざなりだったツケが回ってきたといえよう。

 そして今にして思うが、父と母は正しかったのである。日々の家事を一手に引き受けてくれるおめいがいなければ、光里は早々に実家へ帰っていただろう。

 そんなこんなで、光里の町方役人としての日々が始まった。

 光里に課せられたのは、主に市中の見廻りで、教育係の役人と共に槍を担いで町を歩き回った。

 初めて遺体を見たのは、定町廻りの役目を拝命して一週間後のことだった。

 川から引き上げられ、すっかり水膨れしてしまったご遺体で、いわゆる土左衛門というやつである。

 「初めて見るのにこれはきつい」と先輩は眉をひそめたが、逃げてはいられないのだから、光里はその遺体を見た。幸い、胃の腑は丈夫だったので、同じ新米役人のようにげーげー吐くことはなかったが、それから一週間はなかなか寝付けなかった。

 光里が初めて町中で槍を振るうことになったのは、それから半年後のことである。まだ陽の高い内から暴れている者がいると、知らせを受けたのだ。

 光里は現場に急行し、店の者に喧嘩を売っている男どもを宥めようとした。

 がしかし、定町廻りになって日が浅いからか、そもそも交渉の心得などてんで知らないためか、こじれにこじれた結果、男たちが匕首あいくち(鍔の無い短刀)を取り出す騒ぎとなってしまった。

 光里は仕方なく槍を抜き、男たちと向かい合った。相手は五人とはいえ、得物は匕首である。長さのある槍に勝てるわけがない。

 加えて、光里は槍の名人だ。

 まだまだ実戦経験には事欠くが、武道の心得の無い者を五人相手取るなど、わけもない。あっという間に勝負はつき、光里は男たちをあっさりしてしまった。

 その一件からのち、光里が町を見廻っていると、声をかけてくれる人が増えた。

 まるで舞うが如く、光里の優美で洗練された槍使いが瞬く間に噂となり、最初は様子見だった【三こま】の人々も、「いつもなにかしら食ってはいるが、いざとなったら頼りになる人」と光里を評価したのである。

 同じ役人仲間からも頼ってもらえる機会が増え、時には火付盗賊改方ひつけとうぞくあらためかたから助力を求められることもあった。

 光里は一度、上役うわやくに問うてみたことがある。火盗改めの手伝いを終え、報告をしている最中のことであった。


「私はどうして、定町廻りの任に就くことになったのでしょうか?」


 今日だって、「秦野が火盗改めにいてくれればなあ」と言われてきたところである。

 素朴な問いに、上役はこう答えた。


「秦野よ、確かにお前の槍の腕を考えれば、そちらの方が役に立つ機会も増えよう。しかしである。お前自身が、そちらに向いておらんのだ」


 光里の採用が決まり、どこに配属させるか重役たちが話し合った時のことである。

 当然、「火付盗賊改方が良いのではないか」と意見が上がった。あの腕ならば充分に務めが果たせようと。

 しかしながら、そこに異議を唱える者がいた。試験の際、光里と試合しあった剣術指南役である。

 長さの関係から、剣と槍では槍の方が有利なのにも関わらず、指南役の取った構えに思わず息を飲んだことを、光里は覚えている。まず間違いなく、剣術の達人であった。


「お待ちくだされ。それがしはそうは思いませぬ」

「ふむ、なにゆえにそう言われるか」

「確かに、秦野光里の槍術は、まごうことなき一品でござる。しかしながら、あれは〝守る槍〟であり、攻めるものではござらん」


 火付盗賊改方に必要なのは、〝攻める武術〟である。

 押し込み強盗など重犯罪人を追い詰める職務に、槍の技術がついていけようとも、その槍を振るう光里自身にいずれ無理がくるであろうと。


「火付盗賊改方が人手不足なのは重々承知。しかしながら、秦野光里では長く務まりますまい」


 達人の重々しい言葉に、その場にいた重役たちは唸った。


「ならば、如何様にお考えか」


 指南役は少し微笑んだ。


「某は、定町廻りが良いと存じます。〝守る槍〟は、そちらにこそふさわしい」


 光里は思わず唱えてしまった。


「ふさわしい……」

「うむ」


 上役は頷いた。


 ――秦野光里が自慢の槍を背負い、町を見廻れば、その鈍色の穂先を見る度に、人々は安心するであろう。

 ――あるいは、なんぞ悪事に手を染めようとしている者を、思い留めることにもなるであろう。


 この町には槍の名人、秦野光里がいるのだと、人々が思ってくれれば。


「お前の槍は振るわずとも、人々の心に安寧をもたらすことができる。そう指南役殿はおっしゃった」


 とんでもない話に、光里は冷や汗が流れた。


「私に、そのような事ができると……?」

「少なくとも、その見込みはあるようだ。現に、お前はその一歩を踏み出しておる」


 上役は続けた。


「指南役殿のおっしゃる通り、実際にそのような事ができたとしてだ。あまりの肩の荷の重さに、押し潰される者もいよう。がしかし、秦野はそんな事にはなるまい」

「と、言いますと?」

「お前は真面目ではあるが、馬鹿がつくほどではない。加えて、なにかと鈍い性質たちであろう。お役目とほどよく距離が置けよう」


 上役はにやりと笑った。


「それに、お前は息の抜き方を心得ておる。見廻りの最中、頻繁に買い食いしておるのを知らぬと思うてか」

「うぐっ」


 バレていたか。光里は恐縮して縮こまった。


「まあなに、上役として〝寄り道もほどほどに〟とは言っておくが、大袈裟に控えることもあるまい。お前がのほほんと町を歩み、〝なんぞ大事ないか〟と訊ねるだけで、人々は安心する。そうなるよう、心がけよ。

 それがお前の役目であり、お前が町を守る方法である」

「ははっ」


 光里は平伏した。

 思わぬところで、己の槍の腕をかってくれた御仁がいることに驚きつつも、嬉しく思った。

 もしあのまま槍道場の嫁になっていたなら、己の槍の価値に気づけなかっただろう。


 ――思い切って、町方役人になってよかった。


 そして光里は、今日も今日とて食い物のことを考えながら、槍を背負って町を見廻っているのである。

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