十二

 同居人が増えた。いや、人ではないのだが。

 再会して以来、猫又の鰯丸は吉の傍にはべるようになった。

 しかし、意図せずおめいを驚かせてしまったことを気にしているのか、普段はただの猫のフリをしている。吉と会話している時も、光里の耳には猫がにゃあにゃあ鳴いているようにしか聞こえない。

 光里に話がある時は、おめいのいない隙を狙って話しかけてくるか、吉が伝えてくれる。

 おめいも初めは気味悪がっていたが、猫は至って猫のままなので(そのフリをしているので)、次第に慣れてしまった。

「やれ、猫が居着くようになってから、鰹節と煮干しの減りが早くなりましたよ」とぶつくさ呟いているが、吉の傍から引っぺがすような事はしない。

 鰯丸は頻繁に外に出かける。どうやら、満漸の手伝いをしているらしい。

 妖しの者の端くれとして、自分たちに仇成す者を放っておけないのだろうし、一軒家で満漸に助けられたことを忘れていないのだろう。つまり、恩人が増えたわけか。鰯丸も大変である。

 鰯丸は満漸の指示で市中を歩き回り、妖しの者に聞き込みをしていた。もちろん、謎の襲撃者についてである。

 ついでに吉の影についても尋ねているようで、一石二鳥といえばそうであるが。

 地道な努力の甲斐あってか、徐々に被害が明らかになってきた。どうやら、鎌鼬と河童以外にも、人にいきなり喧嘩を売られた者が多くいるらしい。

 傷を負わされたり、逃げ延びたりと様々だが、誰もかれもが「成敗致す!」の掛け声と共に突然、攻撃を仕掛けられたという。


「どんな人物なのか、分からないのかい?」


 一度は相対あいたいしているのだから、相手の背恰好など、覚えていそうなものだが。

 光里の素朴な問いに、鰯丸はこう答えた。


「妖しの者と人の見方は違うでやんす。たとえば……、光里殿は初めて会う御仁のどこを見やすか?」

「私なら……、まずは着ている物かな」


 その者の立場や役職により、恰好は異なる。前掛けをしていればどこぞのおたなで働く人であるし、袈裟を掛けていれば僧侶、袖のすっきりした筒袖を着ていれば医者、といった具合だ。


「【日ノ元市】じゃあ、刈安色の羽織を着ていれば役人だし、それと同じ布を頭に巻いていれば岡っ引き、とまあこんな感じかな」

「ありゃでも、光里殿は役人でござんすよね? 羽織姿なんて見たことないでやんす」

「それは、まあ」


 単純に、槍を振るうのに邪魔なのである。代わりに、岡っ引きがするように頭に布を巻くことにしている。


「例外もあるけど、その人の恰好で、どのような暮らしをしているのか、おおよその検討はつく」

「ふむふむ」


 鰯丸は前足で顔を撫でた。


「妖しの者は、そんな所にはこだわりやせん。それに、どこが記憶に残りやすいかは、それぞれ違うのでござんす」


 人の顔が記憶に残りやすい者、足の形、手の形、匂いや輪郭、声など様々だ。

 つまり、ひとりに聞けば耳の形しか覚えていなかったり、またひとりに聞けば肌の色しか記憶になかったりする。


「なので、同一人物であるかどうかは、一概には言えないのでござんす」

「ははあ」

「けど、満漸殿は、ひとりの犯行だと考えているみたいでやんす。外見の記憶を細かく聞き出して、組み合わせることで、どんな人物なのかあぶり出そうとしているところでござんす」


 それは気が遠くなるような話だ。鰯丸の手が必要なわけである。

 吉の世話は光里と鰯丸に任せているようで、満漸が光里の家を訪れることはほとんどなかったが、その日は珍しくかの陰陽師が訪ねてきた。

 吉に会いにきたようだったが、あいにくおめいと出かけている。

 それでも光里は満漸を家に招き、共に縁側に座った。陰陽師と話せるなんて滅多に無いのだから、いろいろと訊いてみたいじゃないか。


「茶菓子まで、すまなんだ」

「いえいえ。いろいろお話ししてみたいと思っていたところです。捜索の休憩がてら、ゆっくりしていって下さい」

「ふむ。お言葉に甘えようかの」


 満漸は茶を飲んだ。大きな手に包まれた湯呑みは、いつもより幾分小さく見える。


「吉の様子はどうだろうか?」

「はい。鰯丸さんが共にいますし、日々心穏やかに過ごしているようです」

「それはなによりだ。本体が落ち着いていなければ、影にも悪影響が出よう」


 光里は早速問いかけた。


「満漸殿は、影がいなくなったなんて事、他に見聞きしたことはありますか?」

「儂にも初めてのことである。だが、妖しの者と対するのは、毎度初めてだと思っておった方が良い。儂の想像を超えるのはしょっちゅうだ」

「なるほど」


 光里は、出入りの貸本屋である綴葉が仲介してくれた、写本師の考えを話してみることにした。その道の玄人が聞けば、どんな反応をするのだろう。気になる。

 話を聞き終えると、満漸はなんとも気持ち良さそうに笑った。


「がっはっはっ! 〝影が遊ぶ〟とはなんとも粋な考えである! なるほどなるほど、たしかにそうとも言えるかもしれん。

 策もまたおもしろい。〝美味い物を食わせて影を羨ましがらせろ〟とは考えつかなんだ!」


 満漸はまた「がっはっはっ!」と笑うと、打って変わって真面目な表情を浮かべた。


「その写本師の考え、一見して荒唐無稽のようでいて、理に適っておる。先程も申した通り、本体である吉が心安らかでなければ、影にどんな影響が出るか分からん。美味い物を食わせ、心身共に余裕を持たせるのは一番の方策よ。

 その者、なかなかの大人たいじんとみた」

「おお!」


 これは綴葉に頼んで、件の写本師に伝えてもらわねば。

 満漸は煎餅に手を伸ばした。大きな口でバリンと割る。


「だが、影は早いところ見つけねばな。こんなに長く本体と影が離れているのは、どうにも危うい」

「なんぞ障りが生じるかもしれないと?」

「その可能性もある」


 そこで、ひとり影の捜索を頼んでいる者がいるという。妖しの者が集まる一軒家に住む占い師だ。


「吉の行方が分かったのも、その占い師のおかげである」


 満漸と、解放された鰯丸は吉を探すべく、占い師に占いを頼んだ。

 そしてその言う通りに行動した結果、日向と出会い、巡り巡って吉の元まで辿り着いたのである。占いは見事的中したのだ。


「凄腕だ。ほどなく影の行方も知れよう」

「えっ」

「そこから影を説得するのは、吉の役目だ。だがまあ、ずっと遊んでいるわけにはいかぬことは、影も分かっていよう」

「はあ……」


 光里は呆けたように息を吐いた。これまでどうにもならなかった案件が、占いひとつで解決してしまうのか。

 やはり玄人は違う。


 満漸は光里を見下ろした。


「光里殿、ひとつお尋ねしたい」

「あっ、はい」

「そなたは、影の無い吉や、猫又の鰯丸とも、極々自然に接しておる。なんとも腹の据わったことだが、普通はこうはいかん。ここのお女中のような反応をするのが多いだろう。なんぞ理由でもあるのか?」

「あー……」


 光里は手にした湯呑みに視線を落とした。


「私は、町方役人になってまだ三年の若輩者です。それでも、それなりに浮世を見てきました。ですから、なんていうのか……」


 少し言葉に詰まるが、思い切って言ってみた。


「私は、人が怖いのです」


 三年の内、殺しや揉め事の現場に何度も足を運んだが、辻斬りや通り者の下手人は珍しく、ほとんどが顔見知りの犯行であった。

 一緒に住んでいる家族、仲の良い友人、常日頃顔を合わせている仕事仲間や隣人。穏やかで、安らかな暮らしを営んでいる身近な人が、どんな想いを抱いているのか、その本当のところは分からない。

 そして時折、そんな腹の底に秘めた暗い想いが爆発する。

 光里は、かつて縁談が破談になったことを語った。別に、その事が原因で人を怖く思うようになったとか、そういうことではない。

 ただ光里は納得したのだ。

 あんなに仲が良いと思っていた友の本当の気持ちを、抱えていた想いを、自分が分からなかったこと。察することすらできなかったこと。

 それは、この人の世では日常茶飯事なのだと。

 だからこそ、姿かたちが違う者よりも、同じような姿で腹の底になにを抱えているか分からない人の方が、よっぽど恐ろしい。


 ――だから、お吉さんを気に入ったのか。


 吉には、腹の底に押し込んだ暗い想いなどない。

 どこまでも純粋で、純真で、嘘の無いまことの心だけが、その身の内にある。

 光里はそれを感じて安心したいのだ。この世には、腹になにも抱えず、どこまでも真っ直ぐな人の子が存在するのだと。

 光里の言葉を受け、満漸は静かに言った。


「そなたは単純だが、一方で酷く複雑でもある。しかし一周回って、やはり単純なのだな」

「はあ」


 光里は首を傾げた。


「……それは、どういう意味で?」

「ふむ、褒めたつもりだが、伝わらなんだか」


 満漸は柔らかくんだ。


「そなたもなかなかの大人たいじんであるということよ」

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