十一
吉も町での暮らしに慣れてきたようなので、光里はちょっと遠くの方まで連れて行ってみることにした。
影もいろんな所を巡って楽しんでいるのかもしれないのだし、本体である吉も心楽しく過ごせば、影も羨ましがって帰ってくるかもしれない。
さすがに芝居見物など金が多く要りような事はできないが、寺社巡りや盛り場などで遊べよう。非番の日には、光里は吉を誘って繁華な場所へと出かけて行った。
影の無いことがバレぬよう、吉は建物の影の上を歩いた。
時々【三こま】の人たちから「おや光里さん、子連れかい?」などと声をかけられることもあったが、「親戚の子なんです」と返すことにした。ただ【卍屋】の小菜だけは吉の顔を見ているので、「差配人さんに悪いから、親戚の子だと誤魔化してるんです」と伝えておいた。
非番の日になったので、今度は神社を詣でることにした。ついでに影が早く帰ってくるよう、祈願しようと思ったのである。
この日の吉は髪結いにきちんと髪を整えてもらい、頭の上でお団子をひとつ結っている。そこに【
吉曰く、美しいとんぼ玉が付いているらしいのだが、光里にはただ真っ黒い玉が付いているようにしか見えなかった。特別な目を持った者にしか、美しさが分からない玉なのだろうか。
参道には茶店や食い物屋が多く軒を連ねており、光里は吉の手を引いて店を覗き込んだ。
「お吉さん、食べたい物があれば遠慮なく言ってね」
「あい」
けれど、吉は控えめなのか、なかなか己の意思を言ってくれない。それでも、こと食い物に関しては目鼻の効く光里なので、吉の好みを早々に見抜いた。
吉は甘い物が好きで、蕎麦やうどんといった汁物が好みである。
一方、こってりとした揚げ物は苦手なようで、丼ものを食べるにしても出汁のきいた親子丼を好んで食べる。
これまでの暮らしで、光里は吉のことがすっかり気に入っていた。
影が帰ってきて、もし吉が承知したら、このまま光里がこの子を引き取っても良いとまで考えていた。
幼子をひとり引き取るとなればいろいろと大変だろうが、子ども四人を育て上げたおめいもいるし、なんとかなるだろう。
飯屋で定食を食べ、社の前で柏手を打つと、ぷらぷらと境内を見て回った。
しかし、人の多さに吉が酔ってしまい、光里は吉を背負って近くの小さな寺へ避難した。
軒下を借り、身体を休めていると、僧がひとり通りかかった。
擦り切れた袈裟と草履を身に纏い、一歩進むごとに手にした
そのまま通り過ぎるかと思われたが、なんと光里に話しかけてきた。
「こんにちは。どうされました?」
「ああ、こんにちは。いやなに、少し休んでいるだけですので」
光里はそっと隣の吉を見遣った。大丈夫、ちゃんと影の中にいる。
「この世もなにかと剣呑な事が多い、お気をつけて」
「お気遣いどうも。御坊殿も、道中お気をつけて」
若い僧は笠に手をやり会釈をすると、しゃりんしゃりんと錫杖を鳴らしながら去って行った。
「ふう。いきなりなにかと思った」
光里は胸を撫で下ろすと、吉を見下ろした。
「お吉さん、気分はどうだい?」
「あい、良くなりました」
「それは良かった。今日はもう帰ろうか。お参りはできたし、きっと影も近々帰ってくるさ」
「あい」
神頼みの甲斐は無く、影はなかなか帰ってこなかった。
しかし、また別のところでご利益があったらしい、ついに吉の守りである猫又の鰯丸が見つかったのである。
捜索をしてもらっていた下っぴきの日向が連れてきたが、探し当てたとは言い難く、なんとあちらの方から声をかけてきたらしい。日向は大いに戸惑った顔であったが、彼を困惑させているのは猫の姿をした妖しの者だけではなかった。雲衝くような大男が一緒だったのである。
一行を座敷へ通すと、光里はまず茶を振舞った。
こんな時に諸々用意してくれるおめいはというと、吉の姿を見るやその身体に飛びついた猫が「お嬢、ご無事で!」と叫ぶのを聞いた途端、卒倒してしまったため、隣の座敷に寝かせてある。
鰯丸は吉に撫でられ、嬉しそうにゴロゴロ言っていたが、座敷にぴょんと跳び下りると、人のように膝を揃えて両手をついた。
「あたいは猫又の鰯丸でござんす。お嬢を
「あ、まあ、はあ」
猫に改まって礼を言われ、光里はさすがに戸惑った。吉の話で理解していたつもりだが、実際に目の前にするとなんとも奇妙である。
鰯丸の話も聞きたいが、とりあえず正体不明の大男が気にかかる。一体何者なのか。
光里の視線を受け、男が口火を切った。
「
四十半ばといった歳の頃の大男はそう名乗った。
縮れた総髪をひとつにまとめ、くたびれた旅装と無精髭が少々汚らしい。腰には懐剣を帯びているが、他に刀剣の類いも見当たらず、武道の心得があるようには思えない。
それでも背筋が真っ直ぐに伸び、こうして正面で向かい合っていると妙な威圧感があった。
「陰陽師というと……、星を読んだり、暦を作ったり、吉凶を占ったりする役職ですよね?」
光里の言葉に満漸は頷くが、一方で言葉は否定した。
「陰陽師とて様々だ。儂はそのような
「はあ」
「満漸さんは、鰯丸さんと一緒にいらしたんですよ」
すかさず日向が言う。どうやら、鰯丸を見つけたのは満漸らしい。
旅の陰陽師、満漸が【日ノ元市】を訪れたのは、妙な噂を小耳に挟んだからであった。吉と鰯丸が【
〝河童が川で溺れた、鎌鼬が自分の鎌で腕を切った〟と。
「毒蛇が自らの毒で腹を壊した」と言わんばかりの話に、疑問を持った満漸は、事の真偽を確かめるべく噂の元である【日ノ元市】を目指した。
道中、【
「満漸殿、【日ノ元市】に行かれるんですか。なら、ひとつ頼まれちゃくれませんかね。それが今、この【加児宿】の猫又が、人の子と共に【日ノ元市】にいるんですよ」
「ふむ。なぜそのような事に?」
親分は、影がいなくなった吉のことを語った。
「あたしも、初めはおつかいみたいに思ってたんですよ。ですが、どうにも読み違ったようだ。影がなかなか見つからないみたいなんです」
それに今、【日ノ元市】からは妙な噂が流れてくる。半猫前の猫又と人の子だけでは、どうにも剣呑だ。
「どうか気にかけてやってくださいまし」
「相、分かった」
満漸は【加児宿】を出ると足早に歩みを進め、一路【日ノ元市】へとやってきた。
まずは妖しの者に事情を尋ねようと
鰯丸は吉を逃がした後、鎌鼬との攻防を続けていたが、ついに競り負け、荒縄でぐるぐる巻きにされて押し入れに放り込まれてしまっていた。
一軒家にいる妖しの者たちも鰯丸を助けようとしたが、怒れる鎌鼬に歯向かうことができなかった。ただその分、頻繁に飯と水を差し入れてくれ、そのおかげで鰯丸は干上がることはなかった。
満漸が一軒家を訪れた際も、吉の時と同じように鎌鼬が襲い掛かってきたが、拳固ひとつで黙らせた。そこで鰯丸への所業が露見し、満漸は猫又を解放してやった
「助けを求めてやってきた
そこで鎌鼬が語った話は、満漸の表情を曇らせた。
「人に襲われたぁ?」
光里の素っ頓狂な声に、満漸は重々しく頷く。
「ここ【日ノ元市】は、人と妖しの者が、ほど良い距離で暮らす地である。中には人をからかうことを好む妖しの者、妖しの者を利用しようとする人もおるが、その間に入って双方を諫め、執り持つのが、儂の役目である」
ゆえに、噂を確かめるべくこの地へ来たが、待っていたのはなんとも剣呑な話であった。
「待ってください。たしか、お吉さんと鰯丸さんが聞いた噂は、〝河童が川で溺れた、鎌鼬が自分の鎌で腕を切った〟と記憶していますが」
「うむ。儂の聞いた噂もそうであった」
その〝自分の鎌で腕を切った鎌鼬〟というのが、吉と鰯丸を襲った鎌鼬だったのである。本人が言うのだから、間違いはない。
その後、川で溺れたという河童にも話を聞くことができたが、やはり同じことを言ったという。突然、人に襲われた。
「人が妖しの者を傷つけるなど、できるものなんですか?」
光里の問いに、満漸は頷く。
「できるといえば、できる」
たとえば、猫又の鰯丸は、鼠取り入りの団子を食おうとして、危うく命を落としかけた。危害を加えようと思えば、できてしまうこともある。
「しかし、妖しの者らは人より頑強で、できることも多い。妖しの術など使えば、人は太刀打ちできぬだろう」
もちろん、満漸のような
怒り狂った鎌鼬を、拳ひとつで
「【日ノ元市】にも、儂のような玄人はおる。だが、誰もかれもが妖しの者らと見知った仲であり、そやつらが害したとなれば、その名も噂に乗るであろう」
しかし、鎌鼬と河童は〝知らない奴だった〟と言った。
そこで静かに話を聞いていた日向が声を上げた。
「なら、人相手になんぞして、その逆襲を食らったとか?」
さっき、ただの人でもできることはあると言った。日向の推理に、満漸は首を横に振った。
「鎌鼬も河童も、特になにもしていないと言った。周りの妖しの者に聞き込んでみたが、それらしい話は無かった」
人相手になにかしでかしたなら、すぐ噂になる。しかし彼らがここ最近、人になにかをした形跡は無い。
にも関わらず、襲ってきた者は「成敗致す!」と叫んだという。
「全く謂れのない事で喧嘩を売られ、あげくに傷を負わされたのだ。鎌鼬が怒るのは道理である」
それでも、関係の無い吉と鰯丸に危害を加えたのは、まったくのお門違いだ。
光里はふと尋ねた。
「ひとつ疑問なんですが。人に襲われたという鎌鼬の話が、どうして〝自分の鎌で切った〟なんて事になったのでしょう?」
「うむ。それは鎌鼬の気位の高さに
つまり、〝人に負けた〟などと恥ずかしくて誰にも言えず、「自分で切った」と嘘をついたのだ。
河童にしても同じことで、実際に川で溺れたらしいが、それが人によるものだと言えなかったのである。
「妖しの者にも、恥ずかしいと思う心があるんですねえ……」
感心したような日向の言葉に、鰯丸が牙を剥いた。
「あたいらをなんだと思ってるんでやんすか!」
「ああ、えっと、すまない……」
もどもどと謝る日向である。満漸は話を続けた。
「だが、それだけが理由とも限らん。件の鎌鼬に傷を見せてもらったが、まるで風で切り裂いたかのような切り傷であった。それこそ、鎌鼬の振るう鎌でつけたような傷だ」
人に襲撃された際、鎌鼬はその自慢の鎌で反撃した。
がしかし、ぶんと鎌を一振りした後、斬撃がそっくりそのまま自分に返ってきたという。
河童にも同じことが起きた。川に引きずり込み、溺れさせようとしたが、なぜか自分が溺れてしまった。
「儂のような陰陽師か、はたまた他の流派の者か……。術や
「はあ……」
光里はなんとも言えぬ返事をした。
事ここに至って、草双紙や読本でみるような
そこを見透かしたかのように、満漸が言う。
「安心されよ。そなたらに、事の収束に当たってくれと頼むつもりはない。これは儂の役目である」
まあ、妖しの者相手の所業ならば、町方役人の出る幕は無いか。
「ここ【日ノ元市】に、ゆえなく妖しの者らに害を成そうとする者がいる。間に立つ者として、見過ごすわけにはいかん」
満漸はつと吉を見た。幼子は目をパチパチと瞬かせ、大人しく話を聞いている。
「光里殿が預かっておられる吉だが、本来は儂が引き受けねばならぬところ、そのような事情ゆえにもう少しお預かり願いたい。構わぬだろうか?」
「それはもちろん」
なんなら、いつまでだって居ていいくらいだ。
「助かる。儂もこの子の影を見つけるべく尽力いたそう」
満漸は大きな身体を折り、頭を下げた。
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