五芒星によく似た形の島がある。

 てっぺんのとんがりから右回りに、【もくくに】、【くに】、【くに】、【ごんくに】、【すいくに】といった、五つの国がその島を支配していた。

 五つの国は領土を広げようと幾度となく戦を繰り返していたが、中でも真ん中の土地の被害が酷かった。常に戦が絶えず、支配国がころころと変わる度、守る決まりがこれまたころころと変わる。

 国境がひどく複雑に入り組み、つい昨日までは気楽に行けた隣の村が、今日は検問を通らないと行き来できなくなるなど、不便も甚だしい。

 真ん中の地に住む人々は、そのような移り変わる世情に翻弄されて生きざるを得なかったが、とある一件が転機となった。

 はるか海の向こうの異国が、攻めてきたのである。

 これまでも度々そのような侵略行為はあったが、来る途中で嵐に巻き込まれて船が沈んだり、上陸できても長の船旅の疲れのせいか兵に体力が無かったりと、あっさり退けることができていた。

 しかし、その時のものは規模が違った。五つの国は初めて、海の向こうの異国に脅威を覚えた。

 ひとつの国の力だけでは到底対処できず、五つの国は結託して、これに立ち向かうことにした。

 敵の敵は味方。もしくは、「あいつを虐めていいのは俺だけだ」といったガキ大将のような意地がそうさせたのだろうが、そこには仲の悪い国々の長をひとつ屋根の下に集め、侃々諤々かんかんがくがく喧々囂々けんけんごうごうの話し合いを上手におさめたひとりの人物がいた。

 その者は島のまん真ん中に位置する小さな村の村長むらおさで、五つの国の争いをなんとかやめさせることはできないものかと、かねてより思案していた。

 そこへ降ってきたのが、異国からの侵略である。良いきっかけになると考えた村長は、どうにかこうにか手を尽くして、五つの国の手を取り合わせることに成功した。

 そうして一丸となって事に臨み、五つの国は見事、異国を打ち払ったのである。

 だかしかし、またこのような事が起こらないとは限らない。五つの国は武力での争いをやめ、会議によって物事を取り決めることにした。

 執り行う場所としては、村長の村を使うことにした。なにより島のまん真ん中なので、どこから来るにもちょうど良い。

 続けて、村長は会議の際、話し合いを執り持つ役目を担うことになった。村長は丁重に、その役目を承った。

 となれば、この村はどこの国の領地でもいけない、あくまで中立、不可侵の地として独立することとなった。

 初めはひなびた村だったが、国々の長が供を連れて定期的にやって来るのだ、自然と金が集まるようになった。それに伴い人が住むようになり、敷地も広がり、村は賑わい始めた。

 だが、やはり村長は賢かった。こうなることをすでに読んでいた村長は、調停人としての役目を拝命する際、あらかじめ五つの国の長たちにこう宣言していた。


「わたくし共は、これから村に活気があふれ、いくら敷地が広がろうとも、〝六つ目の国〟として名乗りを上げることは、未来永劫ございません。あくまでもここは中立、調停の場であります。この島の未来をつくる要として、その役割を全うする所存でございます」


 その宣言通り、今でもこの島に六つ目の国は無い。役目を放り出し、欲の赴くままに突っ走れば、またぞろ戦の絶えない時代がくる。

 村長の意思は、今のいままで受け継がれているのである。

 だが、小さな村が大きくなるにつれ、その呼び名が問題となった。

 その時すでに村としての規模を超えており、かといって国として名乗るわけにはいかない。それでもこの島でたったひとつ、唯一の役目を担っているのだから、それなりに特別な呼称が欲しい。

 そこで村長が目を付けたのが、島に伝わる神々の話であった。

 この島は八百万やおろずの神が住まうとされているが、中でも特に力を持つのは五柱の神である。

 【もくかみ】、【かみ】、【かみ】、【ごんかみ】、【すいかみ】。

 実を言えば、五つの国の名はこの神々から取られたのだが、なかなかどうして、その関係性すらも真似てしまったようだ。五柱の神は、大層仲が悪かったのである。

 そのあまりの喧嘩っぷりを見かね、仲裁に乗り出したのが【かみ】であった。かの神は己より遥かに格上の神々の間をおっかなびっくり執り持って、苦心の末についに争いをやめさせた。

 村長はそんな【日ノ神】にあやかって、村の名前を【元市もとし】と改めたのである。





 秦野光里は【日ノ元市】の役人の家に生まれた。

 とは言ってもそんな大層なものではない。【日ノ元市】の役人は世襲制ではなく、市が課す試験に合格しなければ、なることができない。町場の人々とはっきりとした身分の差もなかった。

 役人には市から給金と住居が支給され、役人たちが住まう地域は【役人街やくにんがい】と呼ばれている。

 家族を町場に残し、ひとり住む場合もあるが、やはり一家揃って暮らすことが多く、名前の印象の割には、賑々しい場所であった。

 役人は世襲制ではないにしても、【役人街】の手習所は市井のそれと比べて高度な教育を施すことから、一族揃って役人の職に就いていることは珍しくない。しかし門戸は広く、試験に受かりさえすれば誰でもなれるため、【役人街】の外でも希望する者は多い。

 光里の父は役人一家の生まれだ。父も祖父も、そのまた祖父も、みんな役人だった。

 父のきょうだいたちも(光里にとっては叔父叔母だが)、揃って役人の職に就いており、「秦野家」は【役人街】ではそれなりに知られた家である。

 一方、母は町場の出である。商家に生まれ、【役人街】へ嫁いできた。生まれつき身体が丈夫ではないため、安定した収入のある役人の家が嫁ぎ先として選ばれたのである。

 そんな夫婦の元に生まれたひとり娘が、光里であった。父は娘も役人になることを願っており、これまで紆余曲折あったものの、今ではその望み通り光里は役人の職を得ている。

 しかし、ひとつ計算違いがあった。

 光里が拝命したのは、市の治安を守る定町廻りだったのである。

 火付盗賊改方ひつけとうぞくあらためかたほどではないが、悪人たちと渡り合う、危険なことも多い役目であるがゆえに、父は悩ましげに唸ったが、光里に異議は無かった。算盤や硯と一日中向かい合うより、自分の足で市中を見廻る方が向いている。

 そしてなにより、光里は槍の名手であった。

 りゅうせい流短槍術、免許皆伝。ひと度槍を握れば、彼女に勝てる者はそういない。そこを見込まれて、定町廻りの任に就くことになったのである。

 それに担当である【三こま】は、市の中でも比較的安全な地域である。最後には父も納得し、光里は生家を出て、【三こま】に近い借家へと越してきた。

 その際、ひとり女中がついてきた。身体の弱い母と共に家を切り盛りしてきた、おめいである。

 おめいは五十路の肉付きのいい女である。その太い腕と脚で、四人の子どもを育て上げた。

 光里の生家には、彼女が生まれる前から通いで働きにきており、光里にとってはまるで乳母のような存在である。今は基本的に光里の家に通ってきているが、時折実家の方も手伝ってもらっている。

 おめいは深緑色の髪を玉川島田に結い上げ、小豆色の渋い着物をちゃっきりと着こなしている。襷がけにして露わになった太い腕は、重い米袋でさえも悠々と持ち上げてしまうほどだ。

 光里が子どもの手を引いているのを見ると、おめいは目をまるくした。


「あらあら、お嬢さん。その子はどこの子ですか? 見かけない子ですねえ」

「迷子だよ。橋の下にいたんだ」

「あらまあ」


 迷子がいた場合、もし親が見つからなければ、見つけた町で育てるのが倣いである。

 よって、まずは近くの差配人に預けるのが常なのだが、事情が事情なだけに、光里はひとまず家に連れて帰ってきたのだ。


「おめいさん。この子、腹が減っているようだから、なにか食べさせてやってくれないかな」

「はいはい」


 おめいは前掛けで手を拭きながら子どもの前でしゃがみ込んだ。「まあまあ、ひとりで大変だったねえ。もう安心していいからね」と声をかけるが、つと子どもの足元に目を遣ると、大きく目を見開いた。ゴシゴシと目を擦り、再び地面に視線を戻す。


「お、おじょうさん、」

「うん」

「この子、か、影が、」

「そうなんだ」


 おめいは思わず後ずさった。

 がしかし、薄汚れて腹を空かした幼子を前に、四人の子どもを育て上げた母としての情が勝った。一瞬、肝が据わった目付きになると、いつもの世話好きでおせっかいなおめいに戻った。


「じ、じゃあ、握り飯でもこさえましょうかね。上がって待ってて下さいな」

「頼んだよ」


 光里は内心手を合わせると、上がりかまちで子どもの手と足を洗ってやり、座敷へと手を引いていった。

 光里がここに越してきて、そろそろ三年が経とうとしている。

 いい加減、暮らしには慣れたが、押し入れにしまわれたある行李こうりを引っ張り出すのは初めてであった。蓋を開ければ、光里の子ども時代の着物が入っていた。

 実家を離れる際、男っ気の無い娘に嫁心をつけようとしたのか、はたまた押し入れの整理でもしようと思ったのか、母から押し付けられたのである。当時は鬱陶しい事この上なかったが、まさかこんなところで役に立つとは。


 ――けどなぁ。


 質素倹約が着物を着たようだった父の方針からか、光里の着物はどれも地味な物であった。だがそれでも、ひと目して女物と分かる。


 ――嫌がらないだろうか。


 光里はつと子どもを振り返った。

 ちんまり座って大人しく湯冷ましを飲んでいるが、時折きょろきょろと物珍しげに部屋の内を見回している。着物は擦り切れ、髪もぼうぼうに伸びきっており、裕福な生まれでないことは明らかだ。


 ――ええい、ままよ。


 着せられる物はこれしかないのだから、今は女物の着物で我慢してもらおう。後で隣近所に借りに行けばいい。

 せめて柄くらいは選んでもらおうと、光里は子どもに声をかけた。


「なあ、ちょっとこっちへ来てくれないかな」


 子どもは湯呑みを置くと、素直にこちらへとやってきた。光里は並べた着物を指し示した。


「着替えはどれがいい? 女物で悪いけど、とりあえず今だけのことだから」


 子どもは目をパチパチと瞬かせると、光里を見上げた。


「おら、着てもいいんですか?」


 おや、初めて口をきいた。光里は驚きを腹の内に押し込め、頷いた。


「ああ、嫌じゃなければ」

「おら、ずっと着たかったんです。でも、許してくんなかったから、着たことねえんです」

「許してくれなかった、とは?」

「〝着たい〟って頼んでも、誰も許してくんねえんです。おら、女なのに」


 おやおや。

 八つや十ばかりの子どもでは、顔のつくりだけではまだ男女の別が分かりにくい。

 男物の着物を着ているから、てっきりそうだと思っていたが、違ったようである。


「ここでは好きなのを着て良いよ」


 子どもははにかむと、着物に視線を落とした。目を輝かせて、光里の子ども時代の着物を眺めている。

 おめいが皿に載せた握り飯と共に現れた時には、紅梅色の着物を一揃い残して、行李を押し入れへしまい直したところだった。


「はいはい、お待たせしました」

「おめいさん、ありがとう」


 おめいは大きな握り飯が二つ載った皿を子どもの前へ置いた。


「たんとおあがり」


 子どもはもぐもぐと口いっぱいに米を頬張った。おめいは空の湯呑みに白湯を注ぐ。

 光里が先程までの会話を伝えると、おめいは目をまるくした。


「あらあら、まあまあ。そんなこともあるんですね」

「厄除けに、男子おのこ女子おなごの恰好をさせるのは聞いたことがあるけど、逆は初めて知ったよ」

「家のしきたりですかね」


 子どもが満足げにげっぷをすると、おめいは子どもの手を引いて庭へと連れて行った。

 季節は秋の初め頃、外で水浴びをしてもまだ寒くない。

 行水が終わるのを待つ間、光里は近所の菓子屋へおやつを買いに出た。

 家まで連れ帰る道中、子どもの影が無いことが誰かにバレやしないかとヒヤヒヤしていたため、話などまったく聞けなかったが、そろそろ良い頃合いだろう。甘い物があった方が、子どもの舌も滑らかになるかと思ったのだ。

 決して決して、自分が食べたいからではない。

 さっきは饅頭をあげたから、今度は団子にしよう。みたらしがたっぷりかかった団子の包みを片手に、家へ帰って来ると、土間でおめいがひとり待っていた。


「お嬢さん、また菓子ですか」

「うん、あの子にと思って。おめいさんの分も買ってきた」

「はあ、暢気ですねえ」


 おめいは腰に両手を当てた。ひっそりと声を落として囁く。


「お嬢さん、あの子はほんとに女子なんですかね?」

「というと?」

「付くものが付いてたんですよ」


 なにが、とは訊かない。光里は腕を組んで唸った。


「ふーん……」


 ――誰も許してくんなかったから、着たことねえんです。

 ――おら、ずっと着たかったんです。


 光里のお古を映した、あの目の輝き。あれに嘘はなかろう。

 光里はうんとひとつ頷いた。


「あの子はあれかな。もしかしたら、男子おのこの身体に女子おなごの魂が入っているのかもしれない」

「ああ、たまにそういう人がいるって聞きますねえ」


 初めて見ましたよ、とおめいは子どもがいる座敷を振り返った。


「まあ、あれしか着る物はないですから、お嬢さんのお古を着せてますがね。隣から男物を借りてきますか?」

「いや、そのままでいいよ。嬉しそうだったし、信頼してもらうことが第一だから」


 光里は団子をおめいに渡すと、座敷へと上がった。

 ちょこなんと座った子どもは、湿り気を帯びた薄桃色の髪をゆるくひとつに結び、光里のお古の袖をゆらゆらと揺らして眺めている。

 心なしかほっぺが赤いのは、行水で身体が冷えたからだけではないだろう。

 光里は微笑んで、子どもの正面に座った。


「さっぱりしたね。着物もよく似合っているし」


 子どもは目をパチパチと瞬かせた。汚れが取れた顔は野育ちのように日焼けしており、おでこがちょっと出っ張っている。

 なかなか可愛らしい顔をした子どもだ。


「甘いものは好きかい?」

「あい」


 子どもはこくんと頷いた。腹が落ち着いたからか、それとも身体がさっぱりしたからか、言葉が出てくるようになった。


「今おめいさんが、……あのおばさんのことだよ、団子と茶を用意してくれているから。みんなで食べよう」


 子どもはこくこくと頷く。この調子なら大丈夫そうだ、と光里は話を始めることにした。


「名乗るのが遅くなってしまったね。私は秦野光里だ。この町で役人をしている。君の名前はなんて言うんだい? 名前が分からないと、なにかと不便だからね。教えてくれる?」

「おら、きちって呼ばれてます」


 子どもは素直に答えた。光里は内心ほっと安堵するが、吉は続けた。


「でも、それはおらの名前じゃねえです。影の名前です」

「ん?」

「だから、おら、影を吉って呼んでます。けど、みんなおらのこと、吉って呼びます」

「んんん?」


 話がみえない。光里は戸惑い首を傾げるが、ちょうどその時、おめいが団子と湯呑み、急須を盆に載せて座敷へと入ってきた。


「はいはい、お待たせしました」


 てきぱきと茶を淹れ、団子を並べる。吉の視線は団子に釘付けになるが、お行儀よく手は出さないでいる。


「どうぞおあがり」


 光里の言葉に、吉は団子にむしゃぶりついた。

 光里は笑って、自分も団子の串を手に取った。おめいはすました顔で茶を飲んでいる。

 半分ほど食べたところで、光里は切り出した。


「お吉さん、どうして迷子になったんだい。親はどこにいる?」


 吉は団子の串を皿に置くと、喉を湿らすようにゴクゴクと茶を流し込んだ。そして、たどたどしい言葉ながらも話しだした。

 それは、なんとも奇妙な話であった。

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