7日目
7-1 『Nearest』
——隕石は、回帰不能点へ到達した。
速度を速めながら大気圏へ突入した隕石はさらに加速する。
NASAが発表した隕石の最終落下予想地点を、東シナ海周辺と断定した。
ついに、地球の崩壊が始まる。
俺——隈田芳晴は、赤く光る彗星を自宅のリビングから見上げていた。肉眼で見える速さで落下してくる隕石が憎くて、怖かった。
3日前、春陽たちと別れた俺は、自宅に帰って妻と2人で生活していた。隕石が落下してくる前に、亡き1人息子の墓参りに行くこともできた。
やるべきことはすべてやった。もうこの世界に悔いはない。
「——俺は最後まで、親不孝だったのが唯一の悔いか」
もしも、生まれ変わってもう一度同じ人生が歩めるのならば、次はもう少し親父と言葉を交わしたい。そうすれば、俺が暴力団という吹き溜まりに滑落することもなかっただろう。次回の人生は真面目に生きてやる。
俺は落下してくる隕石から、仏壇に置かれる息子の写真に目を移した。
真新しい高校のブレザーを着て、小恥ずかしそうにぎこちない笑顔を浮かべる少年。
俺は警察の連絡を受けてすぐに現場に向かった。そして、直彰の遺体を見つけるなり抱き着いた。すでに心音も温かみも無くなっていた。
それから数日、俺は絶望のような日々を過ごした。暴力団に所属している俺でも、あいつは俺を見捨てないでくれた。一応、親として進路の相談などもしてくれた。俺とは違って、親孝行な息子だった。
なのに——。
警察曰く、事件現場から目ぼしい証拠は見つからず、事件が迷宮入りするかもしれないと、何度も連絡を受けた。
もしかしたら、俺が暴力団構成員ということを知っていたからまともに捜査をしていないのではないかと、何度も警察を恨んだ。
事件から1週間後、俺は事件現場をもう1度くまなく捜索した。そうしたら、近くの茂みに1つのバッジが落ちているのを発見した。
ネットで調べった結果、それは大手It企業『フランツ』の社員が付けているということが判明した。
俺は警察じゃないから、200人もいる社員の誰が直彰を轢き殺したかなんてわかりもしなかった。だから、代表者を殺すことにした。
バッジの発見から3日後。俺は暴力団の裏ルートから、フランツの社長が会食の予定を入れたことを知った。
俺は奴が会食するレストランの入るビルの向かいにある廃ビルに侵入し、ライフルを構えた。
彼が席に着いたと同時に、俺は引き金を引いた。
フランツの代表者、遥山裕次郎は俺の撃った弾による失血死で死亡した。彼の死はすぐにニュースになったが、後に彼が脱税をしていたことが発覚する。そして、会食していた女も別企業で脱税と横領をしていたとして、俺は知らない間に隠れた犯罪を明るみに出すことになった。
そんなことを回想して、俺の人生は何だったんだろうと後悔する。フランツの社長を殺したところで直彰は帰ってこない。そんなの分かり切っていたのに、怒りと恨みは冷静を奪い去る。
「——俺は、直彰がいなくなってから幸せってもんを見失ったのかもな」
自分自身を狂わせた男、それもまた終わりを迎えることになる。
私——坂神せいらは、彼を捨てて家を出たことをずっと後悔していた。
今思えば、ナモナキがただの異常者集団の集まりだったなんてことは明白である。それは、昨今報道されている大量殺人のニュースを見た時もたまに思う。
「———変な宗教に魅入られて、大事なものを見失った」
今は、息子より宗教を選んだあの時の自分を心底憎んでいる。
まぁ、私が出て行った後にさらに春陽を見捨てた夫も夫だが。
集落で春陽に居合わせた後、私は近くの岬の展望デッキでひたすら泣いていた。
なんで、彼を見捨てて己を救う迷信に騙されて、居もしない神なんかを信じだのか。今ではあの時の自分が信じられない。
私の旧姓は、浅田せいら。春陽との邂逅を図らせたのは、きっと父がそう仕向けたからだろう。父の勘が良いことは、私が子供のころから知っている。
父の話によれば、祖母もまた勘の利く人間だったという。どうやら、その異常に当たる勘の能力は代々受け継がれているらしいが、私にその効果は発揮されなかった。
たぶん、あの能力は私の代で途切れたのだろう。私は一人娘だし、息子を捨てるような人間にそんな能力はいらないと、神に見限られたのだろう。
信仰心という異常性に狂わされた女性、それもまた終わりを迎えることになる。
俺——若田滝人は、今日も真面目に勉強にいそしんでいた。
どうせ隕石で潰れる大学入試に備えての勉強だ。俺の親は非常に厳しく、隕石だからなんて言い訳は通用しなかった。
俺だって頑固な人間だから、天文学の知恵を使って隕石が絶対に地球にぶつかるということも説明してみた。しかし、親は「そんなことやってる暇があるなら勉強しろ」と冷たくあしらった。
周りの人はみんな、地球が滅びる前にとやりたいことを満喫しているのだろう。なんで俺だけこんな窮屈で、勉強机とにらめっこしなければならないんだ。
自分の向かいにある壁にはコルクボードが掛かっており、そこにはこれまでの俺のいろんな時代の写真が飾られている。
初めてサッカーでシュートを決めた時、高校入試に合格した時。
「——陽葵、元気にやってんのかな」
たくさんなる写真の中央には、俺と陽葵と歩夢で撮った写真が飾られている。基本的に、新しい写真が撮られるたびに古い写真はアルバムに仕舞う。ただ、この写真だけは、なかなか仕舞う気になれずにいた。
横暴ないじめの末に不登校になってしまった少女。正義感の強い俺が唯一救えなかった少女。
彼女をいじめた遥山朱音は、どうやら俺に恋心を抱いていたらしい。学区的な面もあって、中学は同じところになって散々な思いをした。全校のスピーチでいきなり俺に告白してくるなど、とことん迷惑にしかならない奴だ。
高校の進路も、最後まで俺と同じところに行こうとしてきた。
最終的には教師に行って、内密に進路を変更してどうにか別の高校へ行くことができた。ただ、4月のうちはあいつがうちの高校の門で待ち伏せするなど、最悪な日々が続いたものだ。
高校もサッカーに打ち込んでいたため、ストレスは定期的に発散することができた。県大会出場は叶わなかったが、引退試合もいい成績を修めて卒業できた。
空がだんだんと明るくなってくる。俺が必死に親を説得しようとした隕石。俺はこんな独房のような実質で、やりたいこともできずに死んでいくのか。
部屋の片隅にあるサッカーボール。小学校の時、サッカーを始めると同時に祖父が買ってくれたボールだ。
俺は本能的に、ボールを持って家の外へ駆け出した。
父親らは、隕石に怯えて勉強から逃げ出すなと叱っている。でも、そんなことはどうでもよかった。
俺は、親への怒りやら説明できない思いを足に込めて、地に落ちたボールを高く高く蹴り上げた。
親の教育に狂わされた少年、それもまた終わりを迎えることになる。
私——遥山朱音は瀕死の状態で四つん這いになって歩道を這っている。
抽冬陽葵を殺そうとした矢先、いろんな人間のせいでその計画は壊された。挙句の果てには、自分が用意した爆弾で瀕死の状態に追い込まれるとは。
家に帰ったが妹はおらず、私は唯一残っていた衣類である制服を着て家を飛び出した。
夜は警察に見つかって補導されそうになり、街に出たら強盗と鉢合わせて殺されそうになり、この世界に私の生きる居場所は存在しなかった。
「ふざけるなよ、全部、全部あの女と取り巻き連中のせいで!」
何もかもが人に邪魔されて、何一つとして私は手に入れることができなかった。
訳も分からず陸を上がった先には、1軒の古本屋があった。ドアは壊れており、中に入るなり異臭が漂っていた。
異臭のする方へ進むと、椅子に座った『何か』があり、大量のハエやら虫やらが集まっていた。
「孤独死かよ」
地球の滅亡寸前に死ぬのが、彼にとって幸せなのか不幸なのか分からない。けど、せめてハエを逃がしてやろうと店の窓を全開にしてやった。
失礼だとは思ったが、カウンターを飛び越えて、店の奥を漁った。
死んでから数日は立っており、電気が止まったこともあって冷蔵庫の中身はほとんど腐敗していた。
何もないから出て行こうと思ったところ、1冊のノートに目が行った。周りには壊れた本やら何かがびっしり書かれたノートが散乱しているが、ページが開いているこのノートだけは何か異質だった。
開いているページに書かれているのは老人の日記だった。それも、10年も前の日付が記されている。
10年前、私は記憶を掘り起こそうとしたが、体の節々の痛みにかき消された。
「——これ....」
今日は実に切ない事件が起こった。事件と言っても大層なものでもない。若しくは大層すぎるのかもしれない。10に満たない少女がいじめに遭ったというのだ。少女は衰弱しきっており、完全に気を失っていた。複数個所に棒状のようなもので殴られた跡、目じりには涙の跡、喉を掻きむしった跡もあった。
どの傷跡も真新しく、たった今できたかのようなものだった。
知り合いの春陽君という少年が連れてきた少女。私はとりあえず、雨でぬれた体を拭いて彼女をベットに寝かせた。
20分もすれば彼女の意識は回復し、私は彼女から詳しい事情を聴くことにした。
彼女が言うには、長年続いてたいじめがまだ続いており、ついには友だと信じていた少女に裏切られたと語った。そう話す彼女の目はとても荒んでおり、度重なるいじめの恐怖を感じさせられた。
私は彼女をいじめた生徒を知らない。だが、彼女の話を聞いて爺なりに考えてみた。
彼女をいじめた人物は、彼女の容姿に嫉妬しているのではないかと考えてみた。彼女の口からも、容姿が原因かもしれないと語っている
ただ、人間が容姿ごときでここまで無惨ないじめをするものだろうか。私は、いじめられる側の彼女にも原因があったんじゃないかと尋ねてみた。
その解は涙であり、少女はまた泣き出してしまった。責めたつもりはなかったのだが。私は彼女に、その理由について少々説明を加えた。
彼女らの虐めが終わらない原因、それは少女の不登校に原因があるのではないだろうか。虐めから逃げるために不登校をする。それは年頃の彼女らにとって、勝負を捨てたことになる。容姿で競い合っていたというなればそれが正しいのではないだろうか。どっちが可愛いのか決着をつけたいのに、その肝心の相手が学校に来ないのでは本末転倒だ。
少女にこの説明は難しかったらしく、また涙目になっていたので紅茶を飲ませてやった。そして、学校に話をつけるとして私は学校にこの件を通告した。そして彼女は、母親の電話番号を知っていたので、受け渡すことにした。
これは単なる私の考察に過ぎないが、このまま彼女が不登校を続けるのなら、いじめはさらなるものに発展するだろう。爺はそれが心配で仕方がない。
なんでここに来てまであの女のことを見なきゃいけないのだと、心底腹が立った。しかし、このおやじが言っていることは正しい。どちらが可愛いか、最初はそんな生易しいものだったんだろう。その勝負を放棄したあいつに腹を立て意地悪したのが始まり。
改めて考えてみろ、私は、何のためにあいつを追っていた。私は先日の埠頭で、あいつの歪むその姿が見たいから嫌がらせをするといったはずだ。
「——なんで?」
いつからこんな狂気に染まっていたんだろう。いつから私は、あの女だけに執着していたのだろう。
彼女への長年に募る強い恨みと、地球が終わるという刻限を設けられたことによる焦燥によって今回の惨劇が起こったんだ。
私は、ハエの集る遺体が見えるカウンターに腰掛けた。
「私、あんたともっと早く会ってたらよかったのに」
あんなに殺したかった少女。彼女がこの爺に語ったいじめの内容は、隣のページにびっしりと記されていた。こんな時代にアナログな手法でよくここまで綺麗な字でまとめられたものだ。
彼女の見ているいじめの世界は、私らが見ていた嫌がらせの世界とは違っていた。いつから私は、彼女を超えなきゃいけない、それが無理なら殺さなきゃなんて考えに至ったんだろう。
周りの人間も悪かった。私をもてはやしていじめに拍車をかける。私はその期待に応えようとエスカレートさせる。その連鎖が積み上がった結果が今なんだろう。
「——抽冬陽葵」
殺したいほど憎んでいた女の名前を口にする。
常に私より可愛くて、私の上位互換のような存在で、それがずっと憎たらしかった。嫌がらせを続けて、あいつが学校に来なくなったらなったで物足りなさがあった。だから、次会ったときはもっとひどいことをしてやろうと行動を激化させる。あの女だけに執着して10年、その殺害計画すら失敗で終わった。
「結局、私って何がしたかったんだろうな」
大地を揺るがすような轟音が聞こえ
狂気に人生を狂わされた少女、それもまた終わりを迎えることになる。
「ねぇ、歩夢は来世は何になりたい?」
まだ朝だというのに夕刻のような明るさの空の下、親友はそんな突拍子もない質問をしてくる。
「来世かぁ...五十嵐先生みたいな優しい先生かな」
そう。私はずっと五十嵐先生のような教師を目指していた。陽葵が心のよりどころにしていた先生、それが羨ましかったから。
「陽葵は、来世こそ少年君の奥さんになるんだもんね」
「——うん。そうだね。それがいい」
彼女は違う答えを持っていたようだが、今まさにその答えが変わったというような表情を浮かべる。
「歩夢、もうすぐ着く」
「ほぇ~、光の丘ねぇ。この辺に住んでない私からしてみれば、全く知らない地名よ」
観光スポットなんだかデートスポットなんだか知らないけど、この長い階段の上に少年君がいると陽葵は言う。
「なっがい階段だねぇ」
昨日までいた集落の神社へ続く階段も相当な長さだったが、ここはその倍にも及ぶ長さだ。
まぁ、あそこは森の中だったから見通しが悪く、本当はこれぐらいの長さだったのかもしれないけど。
「運転手さん、お金、足りない」
老年のタクシー運転手は、終始険しい顔をしていたが、面と向かってみると優しい表情を浮かべていた。
「恋する少女たちよ、話は聞きました。行きなさい、想い人の下へ。お金はいらないから」
運転手さんの言葉にお礼を言い、私たちはタクシーを降りた。
車窓から見えた長い階段、近づいてみるとより一層の長さだった。
「少年君への想いは固まった?」
「うん、ありがとう。歩夢」
陽葵は私に抱き着いて、強く抱きしめた。やっぱり、陽葵のクールな香水の匂いが好きだ。
陽葵は階段の方を向くなり、一段目に足をかけて止まった。そして、私の方を向いた。
「歩夢?」
「行って、陽葵。私さ、少年君と陽葵のを見ちゃったら嫉妬しちゃうかもしれないんだ」
陽葵はきっと、ここで初めて私が少年君に好意を抱いていたことを知ったんだろう。でも、陽葵も薄々感づいていたのか、咎めるようなことも驚くような表情も見せなかった。
「——歩夢、ボクは君が親友で良かった」
「——陽葵、私もだよ。少年君を思いっきり抱きしめて、キスして、最後の最後まで離しちゃだめだからね!私との、一生の約束」
親友と交わす指切り。これまで、陽葵と何かを約束したことなんてなかった。だから、これが最初で最後の一生の約束だ。
「じゃぁ、行ってくるね」
「うん」
陽葵は一回も私の方を振り向かずに、急ぎ足で階段を駆け上がっていく。
陽葵の姿が小さくなっていく度に、私の目から大粒の涙がこぼれる。
けど、これが何の涙なのか私には全く分からなかった。
「———陽葵、少年君....」
陽葵に対する別れによる涙なのか、最後まで親友としての役目を果たせたことによる感動の涙か、少年君と結ばれなかった悲観による涙か、もう2度と陽葵に会えないという絶望なのか。
私は、自分がなんで泣いているのかも分からない、ただただ混乱したまま、生い茂る芝生の上に大の字に倒れ込んだ。
空に隕石の姿はなく、朝方の空とは思えないほど美しい夕焼けが映し出されていた。地球の滅亡を表すものと、絶景は常に紙一重になる。
もしも、コインの裏表で繋がっている世界があるのなら、もしも、隕石なんて跳ね除けてしまうような世界があり得るのならば、私はまた陽葵の親友として転生したい。
最大の親友へ捧ぐ涙に顔をぐしゃしゃにしながらも、私は何故か笑っていた。
もう、自分が今どんな感情を抱いているのかコントロールできなくなってしまった。
「——もしも、また会う日があったなら、私は2人の結婚式で友人代表の言葉を喋ってやるんだからな!はは、陽葵と少年君が耳を真っ赤にしてる未来が見える...」
そんなありうべからざる世界を妄想しながら——。
親友を愛し、少年に恋をした少女、それもまた終わりを迎えることになる。
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