6-2 『Evasion』

 空に浮かぶ彗星『Twilight』は、太陽よりはるかに大きくなっていた。

 午前4時。本来なら、ほのかに明るい時間であるはずなのに、隕石の影響で昼のように明るい奇妙な光景になっている。

 昨日から家に泊まらせている放浪人の少年少女はまだ寝ている。

 私——晝岡常義ひるおか つねよしは今年で79歳を迎える後期高齢者である。

 まさか、持病の悪化より早く隕石によってこの身が滅ぶとは思ってもいなかった。

 ましてや家電も何かも使えなくなるなんて、子供の時に被災して以来かも知れない。

 津波で家が流されて、母親たちが泣いていて、避難所で配られる食事を楽しみにしていたあの日と同じ。

 でも、これは自然災害じゃない。今、電気が通っていないのは、愚かな人間によって電線が切断されたから。

 こんな混沌とした世の中でも、ポストに新聞は投函されていた。

 一面を飾っているのは、隕石による通信障害が世界中で起こっているということだった。

 世の中が妙に明るいせいか、集落の人が目覚めるのもいつもより早かった。

「常義さん。寝過ごしたかと思いましたよ」

「確かに、この明るさじゃ呑気に寝ていられませんよね」

 向かいの家に住む浅田あさださんは、この集落を古くから統治している人物。山の上にある台木神社の管理も、かつては浅田さんが行っていた。

 浅田さんも高齢の身になって手入れができなくなってきた頃、集落を訪れた1人の少女が巫女をやると言い出した時には集落中が騒ぎになったぐらいだ。

「おはようございます。晝岡さん、浅田さん」

 背後から子供の声がして、2人は振り返った。そこに立っていたのは、うちで泊めている春陽君だった。

「やぁ少年。早起きだな」

「あぁ、まぁ。縁側が妙に明るかったので、早く目が覚めちゃいました」

 やっぱり、空の明るさが変わるだけで人々の生活が狂うのかと思うと、今一度自然の恐ろしさというものを思い知らされる。

「もうじき隕石も大気圏に突入するといいますしね」

 新聞を1ページめくると、そこには現在の隕石の軌道と地球を表す図のようなものが書かれていた。

 それによると、今日の夜には隕石が大気圏に突入するらしい。

「花火のように爆散してくれればいいのですがね」

 浅田さんはそう言って、自宅へ戻っていった。

「春陽君、私たちも早めに朝飯の準備を始めようか」

「そうですね」

 

 俺は晝岡さんと共に晝岡宅に戻り、台所へ向かった。手を洗おうと蛇口を捻っても、水は出てこなかった。

「どうやら水道も止まったようだね。沢から持ってこよう」

 俺は晝岡さんに案内されて、山の南部にある小さな川までバケツを運んだ。

 川までは結構な距離があり、何往復もするのは大変そうだ。

 川には既に何人かの人が水を汲みに来ており、みんな重そうにバケツやたらいを運んでいた。

 バケツを両手に持って家に戻ると、すでに歩夢と先輩が起きていた。

 俺は2人に事情を説明して、3人でバケツリレーをしながら水を運び込んだ。

 そして、3人はまたそれぞれの役割を担うことにした。

 俺が冷水で米を研ぎ、歩夢と先輩が薪をくべて温度を調整する。

「冬にしても、さっさと使っておくべきよね」

 晝岡さんの奥さんが冷蔵庫の中身を消費するために、朝飯はクリームシチューとご飯になった。

 米を研ぎ終えた俺は釜の温度調整に回り、歩夢と先輩はクリームシチューに入れる野菜を切る。

 そして食卓には、美味しそうな湯気を立てるクリームシチューとご飯が並べられた。

『いただきます』

 5人は手を合わせて挨拶し、自分たちで作ったご飯を再度食べる。

 みんながそれぞれ食べ終えた時間、時計はまだ6時を指していた。

 時の流れが進んでいないように感じるのは、きっと世界がずっと明るいからだ。

「おい!春陽君、手伝ってくれ!」

 外からお呼びがかかり、俺は声のした方に向かってみる。

 そこには、集落の男性たちが集まってスコップを手に何かを掘っていた。

「毎回川まで行くのは面倒だから、水路を引くのを手伝ってくれ」

 晝岡さんに言われ、俺はスコップを手に、集落の中心部まで細い水路を掘り進める。

 沢の分岐点では、木材での水路の補強作業が始まっているようだ。

 この集落の地盤は恐ろしいほどに硬く、スコップをどれだけ突き刺してもなかなか掘ることができなかった。

「おいおい坊主、スコップを使ったことはあるのか。そんな必死に土に押し込んだところで、ここの土は掘れんよ。ちゃんと勢い良く突き刺したら、足で何度か蹴ってさらに押し込むんだよ。で、てこを使っ持ち上げる」

 沢の整備担当の晩田ばんださんにスコップを渡すと見本をみせてくれた。晩田さんがやると、硬い土に亀裂が入り、スコップ1杯分の土が掘削される。

 作業は朝から昼まで行われ、12時前にはようやく集落の中央まである掘ることができた。

「補強作業は午後にしよう」

 晩田さんの指示で、それぞれ昼食休憩に入ることになった。

 俺と晝岡さんが家に変える頃には、既に食卓に昼食が準備されていた。

 食事をしながら聞いた話によると、朝飯と昼飯を作るだけで朝汲んできたバケツ10杯分の水を使い切ってしまったという。

 改めて水資源の貴重さを思い知らされることになった。もうじき水路もできることだし、水を汲む作業の効率は良くなるだろう。

「何はともあれ、私たちは作業に戻ろうか」

 昼飯を食べ終えた晝岡さんと共に、次は水路の補強作業へと向かう。

 女性陣はこの集落で唯一の車2台に乗って、近くにある畑から食材を取ってくるとのこと。

 水路の補強作業は全部で2段階あるらしい。まずは、水路の両端を木材で補強し、次にコンクリートを流し込む型を作る。

 型作りは既に水路の半分の地点まで行われており、俺はその半分より先の型づくりを行うことになった。

 型を作っている最中に周囲の土が崩れてこない。そこで初めてここの地盤の硬さに感謝する。

 横幅1メートルの木の板を釘で張り合わせていく。簡単な作業なのだが、釘が曲がりやすくて仕方がない。どうやら釘打ち機もあるようだが、俺みたいな人材には使わせてもらえなかった。

 何度が指を叩きながらも、中央広場の大きなため池予定地まで板を張り合わせることができた。

 20分後、コンクリートの流し入れ作業も終わったようで、あとはコンクリートが固まるのを待って一通り掃除をすれば水路は完成らしい。


 時刻は午後2時。俺は今日も神社へ伸びる石段を人知れず登っていた。

 昨日は話しながら登っていたから往復2時間はかかったのに、1人で登れば30分ほどで山頂に辿り着いた。

 最後の石段を登り終えたその時だった。

 急に何かが光を増して、目を開けられないほどの眩しさになる。

 地震とも土砂崩れとも違う振動が大地を駆け、次第に光が弱まっていく。

 空を見上げると、そこには幻想的な光景が広がっていた。

 天を覆うかのように存在していた彗星が爆散した。爆心地から飛び散る破片の数々はまるで花火のようだった。

 どうやらあの彗星は、落下の圧力に耐えかねて大気圏突入前に崩壊したっぽい。

 時間が経つにつれてその光景は絶景から絶望へ変化している。

「どうなってんだ、あの隕石」

 爆炎の中から現れたのは、赤く煌めく『何か』。隕石のコアとも言えるものだ。

 どうやら『Twilight』は2重構造の隕石だったらしい。今さっき爆散したのは一番外側の層。そして爆炎の中から出現したが真の隕石の核。

 今までの明るさはいつの間にか消え、月のようにぽつんと光る隕石がある。

「——終わりが、始まる」

 最後の最後まで決断は迷ったけど、俺はやはり、約束を守らなければならないと決意した。

「——俺が始めた、ゲームだもんな」


 夕刻、私たちは少し離れたところにある畑から野菜を収穫してきた。しかし、集落に戻るなり人の動きが騒がしかった。

 集落の水路は完成していた。全員が全員、何かを探しているような行動をとっている。

「あの、どうかしたんですか?」

「あぁ、それがなぁ——」

 晩田という男性は、帰ってきた女性陣の一行に少年君が失踪しことを教えてくれた。

「じゃぁ、水路の作業が終わってから彼を見た人はいないんですね。私たちも手分けして探しましょう」

 帰ってきた女性陣も早々に少年君を探す作業に取り掛かる。もちろん私たちも。

 結果を述べれば、午後5時。空が暗くなった頃になっても少年君は見つからなかった。

「——だめだ、神社の方にもいねぇ」

「沢の方や獣道の方も探索したがいねぇな」

 これ以上は陽が落ちて危険ということもあって、捜索作業は明日へ持ち越されることになった。

 夕飯を食べるときも、お風呂に入っているときも、布団の準備をしているときも、陽葵の顔色は暗いままだった。愛している人が急にいなくなったとなればそういう顔にもなるだろう。

「陽葵、大丈夫だって。少年君、どうせすぐに戻ってくるよ」

 布団の上に寝間着で座る陽葵に、私は抱き着いてそうなだめた。

 でも、なぜ少年君はいきなり失踪したんだろうか。この疑問はきっと、集落にいる皆が抱いているはずだ。

 隕石から逃げるにしても、ここから出た方が危険はたくさんあるだろう。山で迷った。それも考えられない。なぜならこの集落は非常に小さく、行けるとしても山頂の神社だけだ。

「歩夢はさ、人を好きになったことはある?」

 陽葵から投げかけられたいきなりの質問に、私は動揺した。

「陽葵が好きとか、そういうことじゃなくてだよね」

「——そう」

 陽葵は私に、異性を好きになったことがあるのかと聞いているらしい。

 無論、私は恋に興味がない。中学高校と何度か告白されたことはあったが、どれも名前も知らないような人だったので降ってしまった。

 何度か自分はレズビアンなんじゃないかと疑うこともあったけど。少年君に惹かれたことを考えてみれば、それは違っていたのかもしれない。

 ここでもし、私も少年君が好きかもしれないと言ったら、陽葵はどんな顔をするだろう。困惑?怒り?失笑?結果的にいい雰囲気にはならないだろう。

「ないよ。1度もね」

 迷った挙句、私は正直に答えることにした。

 陽葵の表情は変わらず、目の前で煌々と燃える蝋燭の火を虚ろな目で見つめている。

「歩夢、恋って何なんだろう」

「これまた漠然とした問いだねぇ」

 恋とは。哲学的なことを問われているようで返答に困る。

 第一、それを恋したことのない人間に聞くなんて間違いだ。1度も恋をしたことがない私が、恋を語る資格なんてないのに。

「ボク、何で春陽君が好きなんだろう」

「えーと、なんて?」

「好きなんだよ、春陽君のこと。本当に、でも、なんでかが分からない」

 ならば、答えは一つじゃないか親友よ。

「——恋ってのはね、好きになった理由を探す旅だと思うんだ」

 陽葵は私の言葉を聞いて唾を飲んだ。

 今パッと思いついたことを言っただけで、私の持論とかそんなものじゃなかった。けど、私は心に浮かぶ言葉を続けて口に出した。

「その人を意識するのが好きになるってことで、その理由を見つけるのが恋。なんでその人を好きになったのか、とか。好きになった理由とか結局は後付けじゃない?

 恋も物も趣味も同じ。何か知らないけど、いつの間にか好きになってて、なんで好きかって言われると、そこに理由がある。それは、そのコンテンツを知ってから生まれた理由でしょ。

 そもそも、好きになる前からこれこれこういうところが好きですなんて言えた方が気持ち悪くない?好きになって、その人をもっと知ろうと思って、そこで初めてなんで好きなのかが分かってくる。それが恋だと思う」

 人を知る前に、あいつのああいうところが好きなんだよね、なんていう人は信用してはならない。それ、ただの上っ面でしかないから。

 私は毎回、告白されるたびにそう思っていた。あいつらが抱く『理想』と『上辺』の私は私じゃない。

 ある男の子は言った、「歩夢の元気なところが好き。だから付き合ってくれ」と。

 私が元気なキャラだなんて、同じクラスにいれば誰にだってわかることだ。結局、その男は私を顔で選んだんだろう。「生き生きとバスケやってるお前の笑顔が好きなんだよね。だから付き合ってくれないか」これぐらいまで具体的じゃないと私は動かないだろう。

 好きになって、意識したからその笑顔に惹かれた。これもまた後付け設定。世の中の恋って結局はそういうことなんだろう。

「陽葵、恋をなんも知らない私が言う資格なんてないけどさ、陽葵はもう、少年君を好きになった理由、見つけたんじゃない?いなくなった理由だって、本当は知ってるんでしょ。君のその顔、私は何度も見てるよ。真意があるのに、同調に負けて何も言えない時の顔」

 私の少し強い口調の言葉に陽葵の顔が引きつった。

「歩夢、私、ちゃんと春陽君に告白できるかな——」

「うん。陽葵ならできる。私の親友なんだもん。君の大輪の向日葵みたいな笑顔、地球が終わる前に見せておくれよ」

 陽葵は何かを決心したように立ち上がった。そして、寝間着から私服へと着替える。

 こっそりとこの家を出て行こうかと思ったが、ここまでお世話になって勝手に出ていくのはさすがに失礼だろうと思った。だから、みんなで食卓を囲んだ丸机に置手紙を残しておいた。

『晝岡夫妻様。私たちは好きを探す旅に出ます。捜さないでください。数日の間でしたが、本当にお世話になりました』と。

 隕石の外郭が割れたこともあって、いつもより外は暗かった。

 時刻は午前2時。まだ、集落の人は眠りについている時間帯だろう。

 集落の門のところで一礼して、その場を去ろうとした時だった。

「——やるべきことを、見つけたんだですな」

 そこに立っていたのは、この集落の長老的な立ち位置の人間。浅田さんだった。

「少年は大西の方面へ向かった。私が言えるのはそれだけです。まぁ、君らの目を見る限り、私の助言も不必要なようですな」

 全てを見透かしたような目。よく見れば、あの少年君の目と少し似ている。

「——もしかして浅田さん。少年君のおじいさん?」

「まぁ、彼の家庭も複雑でここ数日まで会うことは1度もなかったんだがな。彼の親と再会を図らせたのも私だ。お行きなさい。悔いを残しては、いけませんぞ」

 私たちは浅田さんに改めてお礼を言い、大西方面へ向かうタクシーを拾った。

 陽葵がどこに向かおうとしているのか、私には分からない。分かる必要もない気がする。


 人間が歩くような距離じゃない。ただ、目的の地にはたどり着いた。

「——ゲームは終わりを迎える。この丘で」

 見晴らしの良い丘の上空には、月を隠さんばかりの大きさの彗星が煌めいている。

 『Twilight』の軌道は確実に地球を捉えた。もう、あの彗星がこの生命の星を回避するなんて希望は潰えた。

 俺が始めたこのゲームが、どういう結末を迎えるのか。盤面がひっくり返ることはあり得るのか。それは神のみぞ知る。

 なんてったって、俺すら予測できないのだから。

「——先輩」

 この感情を口に出せないのが惜しかった。唇を噛みしめ、天に任せて終わりを迎える俺は、果たして『幸せ』なのだろうか。

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