2日目

2-1 『Radiant』

 NASAが隕石衝突予想を告げてから一夜が明けた。やっぱり、Twitterのトレンドの上位はそれ関連のワードが占めていた。

 呆然とベットの上でTwitterに目を通していると、通知が1件表示された。

 学校からのお知らせで、内容は、今日も通常登校ですというものだった。さて、今日は過去1学校に行くか迷う人なった。

 何しろ、彼はこう言っていた「たとえ学校があろうとも、あなたの前から姿を晦ます」と。ならば、彼は登校していないのではないだろうか。

 しかし、高校3年生になってからというもの、ボクは1度も学校を休んでいない。これは、不登校児のボクにとっては異常な事態と言える。

 洗面所の鏡に映る自分の髪は、いつもに増してボサボサだった。そんな自分の顔を見て、決意は固まった。

「———今日は、学校に行くのはよそう」

 こうして、ボクの高校3年生の皆勤賞はおさらばとなった。そもそも、ボクが最後に皆勤賞を取ったのは小学3年生の時が最後だ。

 ボクは小1の頃からいじめを受け、それ以来保健室登校になった。ボクにとって、保健室はとても居心地がよかったんだ。でも、小3の時、保健室の先生が「今日は教室に行きなさい」と言って、強引にボクの腕を引っ張って教室に連れて行ったのが、不登校生活の始まりとなった。

 高校に行くのは、ギリ出席数が足りる範囲で登校し、他はズル休みで埋めていた。母だって、それに関して何も言ってこなかった。

 顔を洗い、久々に私服を着た。もしも彼を見つけた場合に備えて、少しだけおめかしした。どうせ、そんなことをしたところで、可愛くなるはずがないのに。

 改めてスマホで時間を確認すると、時刻は既に11時だった。ボクは勝手に朝だと勘違いしていた。だって外は青みがかっていて——。

 家から出て空を見上げると、太陽が2あった。1つは見慣れた眩しい太陽。もう1つは、眩しいけど青く冷たい色をした太陽。どうやら、『Twilight』は肉眼で確認できるレベルまで迫ってきているらしい。

「——はやく、春陽君を見つけないとね」

 今日は学校以外、彼が行きそうなところに絞って捜すことにした。

 最初にボクが思いついたのは、あの公園だった。彼と誰かさんがキスをした、ボクにとっては因縁の場所だ。あの公園があるのは瀬崎町、ここ、大西町の隣町だ。

 隣町と言っても、ボクが住んでいるのは瀬崎町と隣接する区域、歩けば15分ぐらいで着く距離だ。

 街中を歩いていてふと思ったが、いつもより人通りも車通りも少ない。平日のお昼だというのに、井戸端会議をしているおばちゃんたちを見ないのは珍しい。

「外れかー」

 公園のブランコに、彼の姿はなかった。それどころか、今日は砂場に子供たちの姿すらなかった。いつもここを通る時は、子供の一人や二人、遊んでいるというのに。そんな平和なご時世じゃなくなったということか。

 時刻はお昼を過ぎた。彼のいそうなところを言ったらどこがあるだろうか。彼とはこの1年を通していろんな会話を交わした、けれど、どれも高校の隅のあの教室だった。彼との思い出の場所、なんて思い当たる節がなかった。

 そういえば、彼は本が特に好きだった。ボクがどんな話題を振っても、彼は本の話以外に興味を示すことがなかった。

「じゃぁ本屋さんかな」

 この瀬崎町で本屋は1軒しかない。昔は3軒ほどあったのだが、このご時世、電子書籍が主流になりつつある。ただ唯一、この町に残っている本屋は『港屋書店』だけだった。ボクも何度か行ったことがある。曰く、父が生まれる前からそこに建っているという相当古い本屋だ。

「行ってみる価値はあるかも」

 ボクは公園の近くでタクシーを拾って、港屋書店へ向かった。


 書店のドアを開けると、ほこり臭い匂いが鼻を突いた。しかし、どこから古本屋のような懐かしい香りも混ざっている。

 書店はとても狭く、ほとんどがページの茶色くなった本が占拠していた。店の壁という壁に設置された本棚、そこに入りきらずに縦積みにされている本まである。

 店の最奥には無数の壁掛け時計と、カウンターがあった。カウンターの奥では、安楽椅子に腰かけたお爺さんが本を読んでいた。

「あの、ここに高校生の男の子って来ませんでしたか?」

 お爺さんは本から視線をボクの目に移した。

「あぁ、もしかして春陽君のことかい?」

「そうです。——事情があって捜してるんです」

 お爺さんに対してお茶を濁すつもりはなかったが、好きな子を捜しているなんて堂々と言える度胸は持ち合わせていなかった。

「それにしても、この本屋はいつ建てられたんですか」

 彼の捜索以外のことを話すつもりはなかったが、気になっていたことがいつの間にか言葉になっていた。

「戦後に私の祖父が建てたんだ。当時は本を読めぬ子どもがたくさんいて、その子らに祖父は無償で本を読ませていたんだ。それが、この店の始まりだよ」

 お爺さんは優しい口調でそう語った。古い丸眼鏡の奥には、開いているのか閉じているのか分からないほど細い糸目があった。でも、きっとその奥にある瞳も優しいものなのだろう。

「少し、老人の無駄話に付き合ってくれるかな」

 お爺さんは店の奥からコーヒーを持ってきて、ボクに差し出してきた。ここまで来て断るにも断れなくなり、結局、その話に付き合うことになった。

「春陽君がこの本屋に最初に訪れたのは、彼が5歳の頃だったよ。彼が初めて買った本を、私は今でも覚えている。『ハリーポッターと賢者の石』だ。お母さんと訪れた彼は、その本を買ってとても満足していた。彼の目は、勇気と冒険心に満ち溢れていて、主人公のハリーポッターと重なるように、私は見えたよ。でも、私はこの時少し後悔した。5歳の彼には明らかに難しい本だったからね。あんな分厚い本を、彼一人で読めるのかと。しかし、彼とそのお母さんは2年後に再度うちを訪れた。どうやら、続巻を買いに来たらしい。やっぱり彼の瞳には冒険心が宿っていて、それでいて2年前にはなかった、未来へ対する希望も宿っているように見えた。恐らく、彼は小学校生活を謳歌していたんだろうね」

 小学校生活を謳歌。小1でいじめられて保健室通いになったボクとは対極の存在だった。彼は、ボクとは違って『普通』に学校生活を送れていたんだ。

「そして、だ。続巻を買いに来てから2年経ったある日、彼がまたうちを訪れたんだ。しかし、その日はお母さんの姿はなかった。最初はお使いだと思ったんだが、彼は私の前に来るなり泣き出してしまった。私は困惑したが、取りあえず座らせて話をしてもらうことにした。彼の話によれば、お母さんとお父さんが喧嘩して、お母さんが家を出て行ってしまったという。彼の家がどこかは聞いていたし、喧嘩の仲裁に入るのも構わなかったのだが、ちょうどその時、私は足を骨折していてこの店から出れない状況に置かれていた。だから、彼にがんばれ、っていうことしかできなかった。彼はそのまま、ありがとうの5文字を残して店を出て行ってしまった。

 ——それを、私は今でも後悔しているよ。もっと他に、彼にかけてやれる言葉があったんじゃないかってね」

 お爺さんの糸目の目じりには微かに涙が浮かんでいた。彼を救えなかった後悔は、その涙が物語っていた。そう、ボクは彼がそのあとどうなったのかを知っている。

 彼は、本屋に寄った後帰宅して絶望するんだ。父親も家に残っていなかったということに。彼は大いに泣いて、今の人権無きギリギリな人生が始まった。

「彼が次に来たのは、彼が中学1年生になった冬の日だった。冬にしては薄手の服に申し訳程度のボロ布を首に巻いて来ていた。私はそんな彼を見て、生きていた安心というより、あの時の後悔が勝ってしまった。もしかしたら、彼がこうなった原因の片棒を、私は担いでいるのかもしれないとね。そして、彼がその日、買っていったのは『ハリーポッター』ではなかった。太宰治の、『人間失格』。彼の目は、姿はとても荒んでいたよ。彼は何も言えぬ私を前に、カウンターにお金だけおいて出て行った。私は彼がドアを閉める直前に声を掛けたが、結局彼の耳に届くことはなかった。

 でも、私が、彼がまだ『生きていた』ことに安堵したのも事実だ。

 私はね、本は、『その時の人間の心を映す』物だと思うんだ。私は書店の店員として、本と購入者の繋がりを大事にしている。『人間失格』、それはあの時の彼の孤独そうな心情を体現したかのような本だ。彼はその話を求めていたからそれを買った。そう、私は書店にあの本を置いておいて、はじめて誇らしいと思えた」

 お爺さんは誇らしげな表情でコーヒーを啜った。

「時に、君の名前は抽冬陽葵ぬくとう ひまりではないかい?」

「な、なんでそれを?」

 いきなり自分の名前を言われて驚いたが、お爺さんはこの反応すらも見抜いていたようだった。

「驚くのも無理ないな。君の最初の問い、春陽君はここに来たかという話だが、彼は今朝ここに来たんだ。そして、君に伝言を残していった」

「伝言、ですか」

「そう。彼はこう言っていた——」

『——先輩、先輩は何の本が好きですか』

 意味の分からない言葉を残しやがって。おりこうにここで待っていてくれればいいのに。

 お爺さんの話に浸っていたせいか、いつの間にか太陽が山際に沈みつつあった。でも、相変わらず世界は青みがかっている。

 夕陽が書店に差し込んで、幻想的な風景に変わる。

 最初にここに入った時は、ほこり臭くて、彼がいないことへの落胆が強かったが——。

 ——古本屋を舞うほこりは、夕陽に照らされて燦然としていた。

「お行きなさい陽葵君よ、大好きな彼が待っているんだろう?」

「お爺さんは、どこまで見抜いているんですか?」

「私は老いぼれの老骨、青い春を謳歌する少女の心を確実に見抜くことはできんが、私だって若いころは恋をしたものよ。彼の話を聞いているときの陽葵の瞳は、とても輝いていた。それが、彼への愛を表すものだと見抜くのに時間は要さなかったよ」

 老人はにこやかに笑って、コーヒーを飲みほした。

「お爺さんの恋は実ったんですか」

「いんや、彼女はイケメンに取られてしまったよ。でも、私は後悔はしていない。もしも彼女と付き合っていたら、私はもっと格好をつけていただろうからね。古本屋の悪口を言っていたかもしれない。ただ、私はここへ来る全ての人が大好きだ。君のことも、春陽君のことも。だから、今じゃ彼女と結ばれなくて良かったのかもしれないと思っている。だから、陽葵君よ」

 お爺さんは最後に笑って、ボクにこう助言してくれた。

「——大切なものっていうのはね、過ぎ去ってから気が付くものなんだ。その時大切かどうかじゃない。過去の自分がその選択をしてよかった、そう思えるような人生を歩みなさい」

「ありがとうございます。お爺さん、春陽君にもう一度あったら言っておいてください。——次はおとなしくお爺さんと話して待ってるんだよ。と」

 お爺さんは笑って頷いた。ボクは再度お礼を言って、煌めくほこりをかき分けながら店を出た。

 結局、今日は彼を見つけることができぬまま終わってしまった。ただ、大切な何かを見つけることはできた気がする。

 ボクは、胸の奥に残る『大切な何か』の余韻を大事にしながら帰路に就いた。



 私——秋葉史人あきば ふみひとは、満月を見ながら乾いた喉にコーヒーを流し込んだ。

「彼女の瞳は、朝訪れた彼に似ていたな」

 相思相愛。まさにその言葉が似合う二人だ。そして、春陽君は今日も本を買っていった。その本は、『世界の中心で、愛をさけぶ』片山恭一の恋愛小説だ。

 やっぱり、本は、その時の人間の心を映す。彼もまた荒んだ時代を終えて、地球最後の恋愛を歩み始めていた。

「老骨はここで応援しているよ、お二人さん」

 私はそのまま、を閉じた。

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