1日目
1-1 『Twilight』
彗星の落下なんて、俺の知ったことじゃない。だって俺は、今日を生き抜くだけでも精一杯なのだから。
制服のポケットに入っている小銭は500円とちょっと。何を買うにも物足りない金額だった。
スマホの充電も残り一桁になり、いよいよ危機感を感じ始めた。彗星の衝突でこの星が滅びる前に、俺は今日中に餓死しそうだった。
最悪の事態を防ぐためにも、俺は学校から歩いて数十分の距離にあるコンビニに入ろうとしたその時だった。
「待て!強盗」
コンビニ店員と思われる男の怒号が走り、コンビニから走りさるサングラスの男。
サングラス男は俺のほうに向かって全力疾走してきている。右手にはコンビニから盗んだであろう弁当、左手にはナイフを携えている。
「どけ、ガキィ!」
「犯罪は、良くないと思う」
俺は何の正義感もなく男の前に足を伸ばして転ばせた。
サングラス男は、追ってきていたコンビニ店員に取っ捕まえられ、その後警察に通報された。
「ありがとう少年。これはお礼として受け取ってくれ」
店員から差し出されたのは、サングラス男が盗んだ唐揚げ弁当だった。人が一度盗んだ物を食うのには躊躇したが、今日の飯代が浮いたことを素直に喜ぶべきだろう。
「ありがとうございます」
俺はそう言ってその場を後にした。
芦崎埠頭にある17番倉庫。すでに使用されておらず、手つかずの状態で県が放置している一角。そこが俺の住まいだった。
日が完全に暮れ切って、倉庫内は真っ暗になっていた。
しかし、その暗がりに一つの明かりが灯っていた。
「俺の家で煙草はやめろ」
「——そう言うなって、だんだん寒くなりつつあるんだからよ」
明かりの正体はこの小柄な男が吸っている煙草の火だった。
「今日もタダ飯ゲットってところか?」
「あぁ。コンビニ強盗の逮捕に貢献したらお礼に貰った」
「こんなところで俺につるんでるやつが正義面か」
男は煙草を地面に捨て、革靴で踏みつけて火を消した。
「せいぜい風邪引かないように気をつけるんだな」
格好つけた捨て台詞を吐いて、男は高級車に乗って姿を消した。
テーブル代わりに使っているドラム缶の上には5000円札が一枚置いてあった。
あの暴力団幹部の男が5000円の忘れ物なんてする訳ないだろう。
「素直に受け取っておくよ」
やはり、あいつは謎に包まれた男だ。暴力団幹部の肩書を持つ、確か名前は
まぁ、今日の所は飯を食って早く寝よう。明日も学校があるかもしれないんだし。そう思って、5000円を手にした時だった。
「——これは...」
俺——隈田芳晴は、組織の集団行動というのが苦手だった。それは俺がまともに義務教育をやってこなかった成れの果てだろう。まず、ちゃんと義務教育を受けていればこんな組織に入ることはなかっただろうが。
暴力団『第三鳳凰会』は、この地区を牛耳る巨大勢力だ。元々一つだった鳳凰会は、内部の派閥分裂によって三つに分かれた。
とは言え俺も幹部クラス。3年前に内部分裂抗争にも参加していた。当時の鳳凰会代表の
その後、石崎は30年前に起きた殺人事件の主犯として捕まり、在るべき鳳凰会の姿は完全に崩壊した。
今では第一鳳凰会こと、石崎賛同派は代表を失い消滅している。残るは、石崎反対派強硬派の第二鳳凰会と、俺の属する穏健派の第三鳳凰会。ここの抗争は今でも各地で起きており、時々逮捕者も出ている。
「時に、隈田。お前、瀬崎町で起きたコンビニ強盗の件で何か知ってるか?」
埠頭の倉庫で暮らす少年と別れてから、俺は第三鳳凰会の本部に来ていた。ボスから招集令が出されたからだ。
「あぁ、高校生の少年が取っ捕まえたヤツですよね」
「そうだ。俺ら上層部とは全く関係ないが、奴はうちの会派の人間だ。穏健派の彼が、独断であんな行動を起こすなんて考えにくい」
「まぁ、隕石衝突なんて騒がれてますし、彼も焦っていたのでは?」
「フン。相変わらず口数が減らないようだな」
第三鳳凰会のボス、
「お前の同僚、
「やっぱバレた?柏崎の奴、口軽すぎだろ」
そんなことをほざいていたら、俺の右脇腹を弾が貫いた。俺の腹を抉った弾は、そのまま背後にあった掛け軸にめり込んだ。
「壇、お前はとことん大馬鹿だ」
「何をッ」
壇がもう一発撃とうとしたとき、会長室の扉がノックされた。
「入れ」
入ってきたのは、紺色の見覚えのある服装の男たち。皆、透明のシールドを構えている。
「言われた通りやってきたぞ、隈田」
「現行犯ってことでいいよな、これ」
入ってきた男たち―—警察は、そのまま壇博満を捕縛した。
「どういうつもりだ、隈田ァ!」
「俺は組織が嫌いだ。こんな会派は解体だ。俺は地球消滅まで気楽に暮らさせてもらうぜ。この玉座の上でな。お前は精々、檻の中から地球の最後を傍観していろ」
壇博満は警察に連行されていき、彼は第三鳳凰会から強制失脚となった。
「これで良かったのかな」
埠頭の近くにある公園のブランコを漕ぎながら俺は思い詰めていた。
あの5000円の裏には『17:00鳳凰会名義で通報を入れろ』と書かれてあった。
鉛筆だったから消しゴムで消して俺の所有物にした。
俺はブランコの上にある街灯を見てふと思った。
「電灯がついてるのを見ると、世界の混乱はまだ先なのかな」
この明かりは自然に灯る訳じゃない。必ずどこかに働く人がいて、その人がいるおかげでこの明かりがあるのだ。
「あれ?ハルキじゃん」
ボケっとしながらブランコを漕いでいると、聞き馴染みのある声がして振り返った。
公園の横を通る路地から現れたのは、クラスメートの
「こんな時間にどうしたの?この暗さで女子一人はさすがに危なくない?」
「人の心配の前に自分の心配しなさいよ…あなた、家もないんでしょ」
「家はなくても暮らす場所ならあるからいいさ」
「そーゆー問題じゃなくて!」
呉羽は、俺の漕ぐブランコの隣に座って漕ぎ始めた。明らかに俺らの身長と合っていないため、とても漕ぎにくそうにしていた。
「俺は今のままでいいんだ。俺は俺を捨てた親の面なんて見たくないし、そいつらと一緒に生活したくもない」
「ふーん。本当は会いたいんじゃないの?」
「ないな。会う気はない。遥山にはこの、恨みとも怒りとも違う感情は分からないと思う」
「そうね。でも、私も親は欠けてるよ。そのせいで今日はママと喧嘩しちゃったんだけどね」
「じゃぁ、家出して一人で歩いてたわけね」
「大正解!」
遥山は表情の変化が豊かな人だ。裏を返せば、感情がすぐに表に出る。嬉しそうなときはとことん嬉しそうだし、不機嫌なときは暗い顔をする。
「ねぇさ、ハルキは隕石で地球が無くなっちゃうの信じる?」
「まさか、俺は現実主義なんだ。きっと何か対策を打ってくれるよ。衝突の予想日まであと1週間あるんだし」
「じゃぁさ、私は非現実主義者だから、もしも地球が滅びるときに後悔しないように、保険をかけておいてもいいかな」
遥山は漕いでいたブランコから可憐に飛んだ。
そして、俺の前に立った。
頭上の街灯の逆光で全く彼女の表情は読めなかった。
「——生きてね」
彼女が何をしたいのか分からないままそう囁かれ、彼女は俺の顎を少し持ち上げて、彼女はそのままキスをした。
「——最終日、光の丘で」
遥山はそう言い残して、暗い路地に姿を消した。
光の丘、この瀬崎町で一番見晴らしのいい高地だ。
「非現実主義とか言ってるくせに、世界が滅びる前提かよ」
俺は苦笑し、彼女のキスと『生きてね』の言葉に免じて、今日は素直に倉庫に帰ることにした。
ボクはとてもムカついていた。世界崩壊を知るショックよりも大きい感情がボクの心を怒りで支配する。
―—彼が言っていた「好きな子」は、あの遥山とかいう子なんだね。
もしボクがあの時、茂みから現れていたら結末は変わっただろうに。勇気が出なかったあの時のボクを、今はとても恨んでいる。
「先輩、こんな時間に出歩くのは危険ですよ」
背後から声を掛けられて、肩がビクッと上下した。
「——それは、君にも言えることなんじゃない?」
「必死に冷静な態度を取ろうとしても無駄ですよ、先輩のビビったのを俺は見てました」
「バレてたなら口に出す必要ないよね!」
君はいつもそうやってボクをからかうんだ。ニヤニヤするわけでもなく、至って真顔でからかうものだから気が狂う。
「先輩、盗み聞きをしてみての感想はどうですか」
「そこまで知ってたんだね。なんて勘のいいこと」
「勘なんかじゃないです。先輩が俺を尾行してるのは随分前から気が付いてました。それとも、ストーカーと呼んだほうがいいですか?」
「随分人聞きの悪いことを言うね。ボクの家がたまたまこっちにあるだけだ」
ボクの嘘を簡単に見抜いたが如く、彼は大きなため息をついた。
「先輩の肩についてるイチョウの葉っぱ。この辺りでイチョウ並木があるのは大西町だけ。先輩のご自宅は大西町なのでは?」
本当に勘のいい奴だ。ボクの家は確かに大西町にあるから何も返す言葉がないが。
「俺について来ても何もないっすよ。あるのはオンボロ倉庫だけです」
そう、彼が家なき子だということは知っている。彼は10歳の頃に両親に捨てられ、暴力団幹部の男、クマダという男の支援でここまで生き抜いてきたらしい。
「ん?君の住むそうこはこっちじゃないよね?」
彼は急に帰路を変えた。そしてそのまま、辿り着いたのはボクの自宅だった。
「もう、こんな夜中に歩くのは辞めたほうがいですよ。この星、終焉間近なんですから」
彼はカバンから赤と黒のマフラーを取り出して首に巻いた。
「あのさ、やっぱり君は、あの子のことが好きなのかい?」
「遥山は優しい女子です。そう、表面優しいだけの、対立する女子の愚痴をすぐ言う、そう言う奴です」
そういう彼の瞳は
「——だから、遥山からのキスは到底嬉しくもない。先輩の杞憂です」
「でも君は、最終日に光の丘に行くんだろう?」
ボクの耳はしっかりと聞いていた。彼と遥山が『最後の日』に光の丘で会う約束を。
「まぁ、俺は世界が終わるなんて信じちゃいませんし。なにより、俺は明日を生きれるかすら不透明ですから」
家なき子の彼が今日まで生きてこられたのは、彼の力とクマダという人物の支援の賜物。彼が明日餓死してしまう世界線だってありえるだろう。
「ボクは、君が―—」
「——その言葉、世界が終わる時まで俺は聞きませんよ」
この場を支配したのは嫌な静寂だった。ボクの勇気を、彼は、いとも容易く断ち切った。
一瞬だけ、この世界が早く終わればいいのに、なんて思った。
——世界の終焉こそが、ボクの本懐なんじゃないかって。
「ゲームをしましょうか、先輩」
「ゲーム?」
「はい。俺はたとえ学校があろうと、この一週間、あなたの前から姿を
彼は終始穏やかな口調で言い切った。とてつもない無理難題をボクに押し付けてきた。
「——俺は先輩が好きですよ。だから、その答えをしっかり聞かせて欲しいです」
「——ずるいね、君は」
「泣かないでくださいよ。もう俺は先輩のものなんですから、焦る必要はないですよ」
「——じゃぁ、もしも世界の終わりが早まったら?」
「——その時はその時です。世界を変えられる薬なんてありませんもの。だからこそ、急いでくださいね」
焦る必要ないだの、急いでくださいだの、言ってることが滅茶苦茶じゃないか。
「ボクは必ず、君にこの気持ちを伝えるからね」
「えぇ、心待ちにしています。どんな手段を使ってでも、俺を見つけ出してくださいね」
彼はそう言って、夜道に姿を消した。本当に、彼らしく静かな最後だった。
ポケットでずっと振動していたスマホに目をやると、明日も通常通りの登校を知らせる通知が入ってた。
彼は言っていた、「たとえ学校があろうとも、あなたの前から姿を晦ます」と。こんな通知が来たところで、ボクが学校に行くことはないだろう。
『もう俺は先輩のものなんですから、焦る必要はないですよ』、彼の言葉が脳裏で蘇って、恥ずかしくなってベットに顔を伏せた。
あの時マフラーを出したのは、先輩に赤面を見られるのが恥ずかしかったから。たぶんあの人は鈍感だから、こんなことにも気づかずに、俺の発言がフラッシュバックして恥ずかしさに悶えているだろう。
「そんな妄想してるから...」
また頬が熱くなるのを感じて、改めてあんなことを言った自分が恥ずかしくなった。
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