戦闘があったあとは、メンテナンスも兼ねて詩季は念入りにソラの体を確認する。ほっそりとした子供の形をした体は、傷一つない。腕や足を動かしてみても抵抗はなく、至って健康だ。

 いつも異常はない。そもそもソラ自体が強いから、怪我もないのだ。

「特に、違和感もないですか?」

「ない」

 メンテナンスを終えてソラに確認すると、これもまたいつもと変わらない返事。

「じゃあ、異常もないですし、今日は休みましょう」

 こくり、とソラが頷く。真っ白な上着を着るとすぐに、詩季の側へと移動する。

「神様から、あと特に言われていることはないですしね。散歩がてら、温室へ行きますか?」

 再びソラが頷く。それを見て詩季は表情を和らげた。




 温室は百年くらい前に、詩季が作った場所だ。

 建物自体はもともとあったが荒れ果てていて、神様も興味がなかったのかそのままにされていた。その場所を好きにしていい許可を貰い、こつこつ改修を重ねて、今ではだいぶ立派な温室になっている。

 大きさこそさほどでもないが、時間だけはあったから、中はわりとこまめに手入れをしてきた。

 温室に入ると、まず花の香りが広がる。

 たくさんの植物がここには混在しているけれど、特に多く育てられているのは薔薇だ。

 薔薇にもたくさんの種類がある。大ぶりなもの、小ぶりなもの、色が変わっているもの、つる薔薇……等、詩季が暇潰しがてらなんとなくではじめた栽培は、こだわりだして中々の規模になったのだ。特に薔薇は育てるのが大変で手間が掛かると本で読んだから、敢えて難しいものを育ててみることにしたのだが、詩季は植物の育成には向いていたらしい。

 それに、この温室自体に植物が枯れにくくなるように神様が保護を掛けているそうだ。神様も植物は好きみたいだから、結構頻繁に出入りをしていると詩季は聞いていた。


「ソラ。僕はぐるっと水やりをしてきますね」

「わかった」

 詩季は水場へ行き、じょうろを用意する。その間ソラは大きな木の側へと移動する。

 ここは恐らくソラのお気に入りの場所で、温室に来るといつもここに座る。大きな木の側の、ブランコだ。太い木の枝に設置されたもので、かつて詩季が手作りしたものだ。子供用の小さなサイズだから、ソラにはぴったりだ。

 今日も当たり前のようにそこへ向かい、座るソラを見て、詩季は苦笑いをする。

「……本当に、プログラムされているみたいに同じ行動をするなあ……」

 ブランコで遊ぶわけでもなく、ただじっと座る。見慣れた姿だった。ブランコというよりは最早椅子として活用しているようだ。


 座ったまま動かないソラを横目に、詩季は水やりを続ける。

 最初は小さなプランターひとつからはじまったのに、随分大規模になったものだ。水やりに時間が掛かるようになり、そう感じるようになった。あまり広くはない建物とはいえ、今では温室中に花が咲いている。

 汚れ仕事をしておいて花を育てているなんて矛盾しているような気もするが、喋ることもなく、動くこともなく、ただ咲いているだけの花は、確かに詩季の心を慰めている。


 一通り水やりを終えて、ソラがいる場所へと戻る。

 ソラが座るブランコの近くには脚の長い小ぶりなテーブルと、そのテーブルを囲むように椅子が三脚置いてある。まわりにある薔薇によく合うような、細身で洒落たものだ。

 詩季は椅子に座り、そしてぼんやりと体を休める。何度も水場を往復してじょうろで水やりをしてきたから、心地よい疲れが体に訪れていた。


 この温室は、他の建物から少し離れたわかりにくく見つけにくい場所にある。小さな建物だし、近くの木々にうまく隠されているからだ。それに普段から温室には鍵を掛けている。入れるのは鍵を持つものだけだ。

 だからこそこうして、ゆっくりすることが出来る。

 詩季にとって自室はほとんど寝るためだけの場所だ。いっそ温室にいた方が、かえって気が休まる。がらんとした広い部屋より、狭く鬱蒼とした温室の方が不思議と心が落ち着く。

 ソラがどう感じているのかは詩季には感じ取れない。けれど温室に行くと言った時は毎回ついてくるし、必ずブランコに腰掛けて、詩季が帰ろうと言うまで動かない。表情こそ変化はなくても、気に入っているだろうとは思っている。




 温室で落ち着いてからしばらく経つと、カチャリ、と鍵の開く音がした。

 鍵を持っている時点で中に誰が入ってきたのかはわかっている。鍵を持つのは詩季の他に一人しかいないからだ。

 中に入ってきたのは詩季の想像通り、いばらだ。

 先ほど死体を回収していったが、服装はその時のままで、咲き誇る薔薇にドレスのような服と可憐な姿はよく似合っている。

 いばらは詩季を見つけると、ぱあっと花が咲くような満面の笑顔を見せる。

「マスター」

 仕事中の事務的なやりとりとはまったく違う雰囲気。いばらは嬉しさを隠しもせず、詩季の側に駆け寄る。見た目のまま、年頃の少女のように。

「いばら。仕事はいいんですか?」

「はい!神様が、マスターたちが温室に行ったようだから、一緒に休んでくると良いって言ってくれました」

「そうですか」

「はい!」

 にこにこと、いばらは楽しげに笑っている。あまりにも純真で、屈託がなく、打算も裏も欠片もない。まあ天使だから、当然と言えばそうなのだが。

 詩季も感化されて、穏やかに微笑む。

 それを見てますます、いばらは嬉しそうにしていた。

「ソラも、こんにちは」

「いばら」

「はい!」

 いばらはブランコに座ったままのソラに近付くと、すぐ側でしゃがむ。

 ソラは手を伸ばし、いばらの柔らかな金色の髪を、犬猫にするみたいにわしわしと撫でる。序列か何かがあるかどうかは謎だが、この一連の流れがプライベートでの二人の挨拶だ。

 しばらくの間撫でられた後、いばらは立ち上がり詩季の方を向く。結構撫でられて髪はだいぶぐしゃぐしゃに乱れているが、当人は気にする様子はなくにこにこと笑顔だ。

「マスター、お茶を淹れてきますね」

「……ああ、ありがとうございます」

 そういえば、いばらが準備するようになったんだな、と詩季はぼんやりと思う。

 このテーブルと椅子も、お茶が出来るように茶器や水場の準備をしたのも。詩季もソラもそういった、お茶や食に関心がない。こうしていばらに勧められて、飲んだり食べたりするくらいだ。

 いばらがお茶の用意に向かうと、ずっとブランコに座っていたソラは立ち上がり、テーブル側の椅子へと移動して座る。


 そう時間は掛からず、お茶の良い香りとともにいばらが戻ってくる。

 三人分のお茶をテーブルに置くと、空いている最後の椅子にいばらも座った。

「今日の紅茶はですね、香りの良いアールグレイにしたのです。ベルガモットですよ、ベルガモット」

「ベルガモット」

「はい、マスター!」

 飲めれば何でも構わない、という詩季には、紅茶の種類の話はまったくわからない。あまりにいばらが力説するから聞き直してみたものの、ベルガモットが何のことかもさっぱりわからない。楽しげにいばらが話している、ということはわかるが、以前飲んだ紅茶と何がどう違うのかまったく理解出来なかった。

 ソラも詩季と同じく、飲めれば何でもタイプのため、いばらのこだわりやお勧めは中々二人には届かない。 

「この間一緒に飲んだのは、アッサムのミルクティー。今日はアールグレイのストレートティーです。味、全然違いますよ」

 と懇切丁寧に微笑みながらいばらは説明してくれるが、詩季とソラは同じように、首を傾げるだけだった。




 のんびりお茶を飲んだあと、いばらは神様に呼び出されて戻って行った。詩季もソラもゆっくり休んだため、自室に戻ることにする。

「ソラ。少し遠回りして帰りましょうか」

 詩季の提案にソラは頷く。

 鍵を掛けて、温室を後にした。


 外はいつもよく晴れていて、地面である雲は白く輝いている。鬱陶しいくらいに。

 雲の上にある世界。実際、この雲のずっと下には地上があり、大地があり、人間が生きてそこで生活をしている。

 生きている人間からはこの世界は決して見えないけれど。

 ここにある、ここにいるすべての存在は、目に見えない存在だ。神様も天使も多くの魂たちも。あの温室のような建物さえ、結局は神様が作ったものなのだから。

 遠回りしながら、歩く。踏みしめる雲は、柔らかそうな見た目に反して少しかたい。地上から見上げた雲は、わたあめのようにふわふわして見えるのに。それでも、何も知らずにここへ訪れた人間は、きっと天国だと思うだろう。それほど、常に景観は良い。

 澄み渡るような空の青さは、ずっと変わらない。この白い雲がどれほど多くの血を染み込ませ、吸い込んでも、跡形も残らず消されるから、ただただ白く美しいままだ。


 遠回りして帰る詩季に、ソラはいつも通り何も言わずについてくる。

 真っ白なソラ。見た目も中身も、この雲のように。

「……ソラ」

 詩季はふと足を止め、名を呼ぶ。

 すぐにソラは反応して同じように足を止め、じ、と感情がまったく見えない目で詩季を見つめる。

 こうして改めてソラを見ると、穢れをしらないいたいけな子供に見える。

 詩季自身に戦える力があれば良かった。

 けれど実際、ソラが軽々と扱う双剣のうちの一振りだけであっても、詩季は上手く扱えない。神様にさえ、詩季には戦闘関係の才はまったくない、と言われている。努力しても無駄だとさえ。

 余計なことを紡ぎそうになる唇を、噛み締めて堪える。何を言ったところで結局、詩季がすることは変わらない。

 ソラが何も言わないのをいいことに、たくさん戦わせて、殺させている。

 天使なのに、死神のようだと評されてしまうほどに。


「シキ」

 立ち止まったまま、ぐるぐると考えていた詩季に、ソラが言葉を放つ。何一つ迷う様子などないように、真っ直ぐに。

「かえって、ねる」

 ひどく単的な欲求だった。

 変わらない表情。抑揚のない声。それはまるで心を持たない機械のように。

「……うん。そうですね」

 歩き出し、真っ直ぐに部屋へと向かう。美しい景色に目を背けるように。静かで広い、何もない部屋へ。


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