6話。モヤモヤの正体

「───ッ!」


 太陽が隠れた瞬間、梓睿が音速で近づく。

 手のひらを広げ、アイアンクローの構えをとる。


「ぐッ───!?」


 しかし、その手は届かない。次の瞬間には彼の視界は空を映し出し、そして上下の逆転した世界を見せていた。


「(サマーソルトで顎を蹴り上げたか……!)」


 予想外の状況でもすぐに思考し、現在の状況を考察する。

 美来はアイアンクローをすんでところで回避し、それと同時に踵を垂直に突き出して梓睿の頭を蹴り抜いたのだと、認識できなくとも理解する。


……さすが“吸血鬼”と言うべきか。人間であれば間違いなく千切れていたであろう首は骨が砕けるだけのレベルにダメージを落とし、その上で粉砕された骨もすぐさま回復した。

 回復を確認するよりも早く、彼は腕を構え防御姿勢をとる。人体では体に支障をきたすほどの速度と動きで構え、それによる肉体への負荷よりもを優先した。


「……!」

「ッ───!」


 彼の予想通り、追撃が襲いかかる。

 美来は足を上げたまま地面に手をつき、回し蹴りでその頭蓋を砕こうとする。

 いくら吸血鬼とはいえ、頭蓋を砕かれれば。それを狙っての行動だが、弱点を狙うことぐらいは彼にも予想できていた。

 腕で衝撃を吸収し、全身へ逃がす。頭蓋へのダメージをできるだけ減らそうと血流を操作し、衝撃緩和材として利用する。


───ところが、衝撃を逃すことには成功したものの踏ん張ることのできない空中で攻撃を受けたため、彼の体は大きく吹き飛び、80m後方に存在していた崖に激突する。

 受け身をとる暇すら与えられず、崖には巨大なクレーターが出現した。


「ほらほら、崖が崩れるよー! 生き埋めー?」

「吐か……せっ! むしろ利用させてもらう!」


 梓睿は傷口から溢れ出た血を凝固させ、釘として崖の亀裂に打ち込んだ。

 途端、亀裂は巨大な割れ目となり、亀裂より高所の岩が大砲のように吹き飛んでいく。


「テコの原理の応用編だ。その身で味わうがいい───!」

「すごい光景だね! テコの原理とか絶対嘘でしょ!」


 美来は乾いた笑みを浮かべ、その岩を足場に空を駆けていく。

 おおよそ人間のソレとは思えない動きを前に、梓睿は苦笑を零して立ち上がった。



♢♦︎♢♦︎♢



「……? …………?????」


 一方、モニター越しにそれを見ていたエマだが、目の前で繰り広げられる“非現実”に混乱していた。


「……意味がわからないんだけど?」


 起きている事象はともかく、何をしているのかが理解不能。

 なんか凄いことが起きていることがわかるだけで、その内容がわからなくては意味がない。


「せめて何をしたのか解説でもあれば───うわ何っ!?」


 エマの呟きに反応するかのようにモニターが現れる。

 それは荒野の景色を映しておらず、代わりに美来と梓睿の姿が映っていた。


「えっと……あ、なんか書いてる。『解析魔術』、『血液操作』……あーーー」


 天井を見上げ、目線を端へ向ける。空中をなぞる様に指を回転し、首を傾げる。

 の正体に察しが付き、言語化のために情報の整理を始めた証拠だ。


「ぁ───なるほど、これで見れるって感じなんだ。わかったわかった。

 梓睿さんのできることは『解析魔術』と『血液操作』、『汎用魔術』……魔術がなんなのかはわからないけど、今のは何かやってる様子もなかったし……。

───あ、もしかして解析魔術で崖の状態を解析して、どこに釘を打ち込めばいい感じに崩れるか計算したってこと!? 意味わかんないんだけど頭の中どうなってるの!?」


 情報さえあれば即座に気付ける彼女も大概だが、確かに彼女の言う通り彼は意味のわからないことをしている。

 いくら『解析魔術』が万能とはいえ、アレは計算をする技術ではなく、技術だ。設計図を見て即座に脳内で演算シミュレーションし、それを実行に移して成功させるなど、普通であれば不可能だ。


「(───つまり、あの人は普通じゃないってことだよね。

 そりゃそうだけどさ。あの速度で崖に叩きつけられて無事な時点でおかしいもん)」


 エマが唾を飲み込み、モニターに集中する。

 仕組みがわかった高揚感で、全身が熱く鼓動している。

 しかし───


「(───あ、まただ。またしてきた)」


 彼女は胸元で服を握りしめる。

 モヤモヤに気を取られ、どうしてもモニターの先から思考を逸らしてしまう。

 胸のうちでぐるぐると渦巻くモヤに、ナニか抑えきれない感情が湧いてくる。


「(……いや、今回は大丈夫。このモヤモヤの正体も教えてくれるって言ってたもん。

 私はただ安心して、この戦いを見てればいい)」


 美来の言葉を思い出し、彼女は深呼吸する。

 その深呼吸でモヤが晴れることはなく、むしろ強くなっていくのを感じたが、彼女はただその言葉を胸に、目の前の出来事に集中した。




「それにしても、いくらなんでも殺意が強すぎる気が……」


 二人の戦闘の様子を見て、エマは不安を覚える。

 このまま二人が争えば、どちらかが死ぬのは必然だろう。それを危惧して、彼女の中に不安の心が生まれているのだ。


───もっとも、彼女の不安は的中している。

 二人は本気で殺し合っているわけであり、そこに「相手が死ぬかもしれない」などという心配、配慮は存在しない。

 このままいけばどちらかが死ぬまで終わらない……いやむしろ、彼女たちが相手を殺すまで終わらないつもりでいる。


「(ど、どうしよう……二人を落ち着かせた方がいいのかな……)」


 不安に焦る気持ちとは裏腹に、彼女は動かない。

 ただジッとモニターを見つめ、胸のモヤモヤが膨れ上がっていくのを感じている。


「───いや、師匠は大丈夫って言ってた。だからここは、黙って見よう!」


 大声でそう宣言し、モニターに集中する。

 胸のモヤモヤも、その不安感も、今は忘れようと。

 しかし───


───すぐに、彼女はその判断を後悔することとなる。



♢♦︎♢♦︎♢



「……チッ」


 梓睿は渾身の一撃を躱され、思わず舌打ちをする。


「(思考の波が読めんのがやり辛いな……こちらの動きに神経が自動反応し反射で対応してくる以上、思考を読むのは無意味だ。

 もっとも、彼女の思考を読んだところでだがな……)」


 思考を回転させつつ、彼は美来を追いかける。

 それに気づいた彼女は振り返り、二丁拳銃を構えながら話しかけてきた。


「どうしたー? 私のことは苦手ー?」

「あぁ、苦手だよ。やめてくれるか?」

「嫌だね、やめないよ。むしろ反射を読んでくるのをやめて欲しいんだけどな私は。再設定に思考リソース食われるし」

「ならやめればいいだろう」

「そしたら死ぬんだって。というか、適当に返してるでしょ」

「あぁ、その通りだな」


 美来が放った弾丸を捌き、心ここに在らずといった様子で彼は答える。

 微妙に会話が食い違っているのは彼がその内容を何も聞いていないからであり、それに美来は面白くなさそうな顔をする。


「ふーん。思考リソース使いたくないから反射で返してる感じか。だからなんか肩透かし感あったんだね。

 じゃあ……こっちなら真面目に返してくれるかな」


 美来は片手でゴーグルを装着し、開けた場所に着地する。

 ブレーキの衝撃で地面を砕きつつ、振り返ってスタートダッシュの構えをとった。

 ブーツを起動し、モーターから雷が弾ける。


「───OK。失敗しようがないね」


 見据えるは真正面。梓睿が血を弾丸のように飛ばすのが目に写った。

 幾千にも飛来する血の弾丸を無視し、美来は足に力を込めた。


「(……マズイ。アイツ、本当に躊躇なしか!?)」


 梓睿がその思惑に気づく。しかしもう遅い。


「───!!!」


 美来が飛ぶ。血の弾丸をその身に受け、全身に穴が空いていく。

 なんとか頭は守ったが、その代償として右腕は千切れ飛んでいった。

 しかし、彼女は千切れた腕のことなど気にも留めず、ただ真っ直ぐと進んでいく。


「っ───!」


 梓睿は慌てて足を止め、腕を顔の前で堅める。

 現状できる、精一杯の防御姿勢だ。想定が食い違っていたことを悔やみつつ、それを気にしている時間も余裕もない。


「ぐ、ぅ……!」


 梓睿の腕に美来の脚が激突する。

 腕から「ゴシャリ」と、肉と骨がぐちゃぐちゃに砕け、潰れる音が聞こえる。

 これまでとは比較にならない激痛が疾るが、それでも一撃は防いだ。


───そう、は。



「───! なッ───」


 梓睿の顔が潰れる。腕にぶつかったブーツのモーターが稼働し、腕に伝わった衝撃をもう一度反復したのだ。

 この瞬間───梓睿は



♢♦︎♢♦︎♢



「……え?」


 エマは困惑する。

 目の前で、一人の生命が消えた。

 あそこで止めておけば死ななかったんじゃないか? などとは考えない。


───彼女が困惑しているのは、その“死”に何も感じていない自分だ。


「───あ、師匠の血を止めなきゃ」


 自分自身の“無関心”から目を逸らし、腑抜けた顔で部屋の中へ入っていった。




「……はい、本番じゃ負けだね。これ私も死んじゃう」


 全身穴だらけで、右腕から大量の血を流しつつ美来は座り込んでいた。


「貧血がひどーい。視界クラクラしてきたー」

「大丈夫ですか、師匠?」

「うぉっ。入ってきたんだ。

 大丈夫大丈夫。ちょっと貧血で死にそうなだけだから」


 美来は平気な顔して笑っている。エマは違和感を感じたが、それを追及できるほど気持ちに余裕はなかった。


「あの、血を止めに来たんですけど……」

「あー大丈夫。ちょっと待ってね」


 美来はそう言うと、左手の拳銃を咥え、そのまま脳天を


「───は?」


 いよいよ、エマの思考回路が破壊される。

 なんの脈略もなく目の前で自殺され、訳もわからず立ち尽くす。


「……え? どうし……え?」

「何をやってるんだコイツは……混乱しているだろうが」

「───え? え!?」


 後ろから声が聞こえ、反射的に振り向く。

 そこには先ほど死んだはずの男、梓睿が


「なんで、え!? 生きてる!?」

「あぁ、生きてるぞ。勿論アイツもな。すぐに来るだろう」


 梓睿がそう言うと、まるでそれに反応したかのようにビルの壁が吹き飛んだ。

 激しく広がる土煙をかき分け、コート姿の少女が現れる。


「はい現着! 右腕治してきたよ!」

「うわびっくりしたぁ!? 師匠も生きてっうぇ!?」


 エマが驚きから尻餅をつく。

 死んだと思った人間が二人も帰ってきたのだ。腰を抜かすのも当然だろう。


「ほら見ろ。だから俺は手加減したというのに……」

「大丈夫。むしろこれぐらいしないと常識は壊れないでしょ」

「あ、あの、なんで生きてるんですか……?」


 エマが震えながら問いかける。

 目の前で人が死んだことよりも衝撃が大きかったらしく、今の方が明らかに驚いている。


「ん。私たちは『特異点』に設定されてるからね。死亡するとタイムパラドックスが発生して特異点設定時の姿に戻るんだよ。だから死んでも大丈夫なの。

 まぁ痛いんだけどね」

「たった今自殺したお前が言っても説得力がないだろう。

……しかしまぁ、そういうことだ。だからお互いに躊躇なく殺し合いができる」

「そ、そうだったんですね……」


 エマは納得できたのか、落ち着いて立ち上がる。

 ズボンを軽く払い、汚れを落とした。


「それにしても、なんか手加減したね?」

「死を経験させるにしても、いきなりグチャグチャの死体を見せてはトラウマになる可能性がある。だからできるだけ綺麗なまま殺そうとしたんだがな。

……それを貴様、右腕が吹っ飛ぶのも全身に穴が開くのもお構いなしなどと、俺の努力を返して欲しいものだ」

「えー? エマちゃんは大丈夫だよ。だってこっち来た時、最初の心配は私の出血だったよ。君が死ぬのを見ても感じることなかったんでしょ?」

「え、いやその……」

「大丈夫大丈夫。こっちだとそれが普通だから。

 それでさ、私たちの戦いを見てどう思った? 胸のモヤモヤ、感じなかった?」

「え……?」


 美来は笑顔で聞いてくる。

 唐突な質問にはもう慣れたものだが、その内容には驚いた。

 これまで見ないように努めていたモヤモヤが、その笑顔と言葉で溢れ出しそうになる。


「うん。やっぱり感じたよね。

 そのモヤモヤの正体、何かわかる?」

「いや、私には……これがなんなのかは……」

「そう? よーく思い返してみて?

 その思いは、どんな時に感じた?」

「師匠たちの戦いを見ている時……です」

「もっと具体的に。戦いの、どのタイミングで?」

「えっと……梓睿さんの崖飛ばしの仕組みを理解した時?」

「あそこかぁ。アレ理解できたんだね、さすが!

 っとそれより、それを理解してどんな気持ちになったの?」

「えっ、と……楽し、かった? です……」

「そう、楽しかった。その楽しかった思いがモヤモヤの原因だよね?

 ここまで来たらもうわかるんじゃない?」


 段々とモヤモヤの原因を解析し、細かく内容を理解する。

 そこまで来て、やっとエマは理解した。


「───モヤモヤは、やってみたいって思い?」

「惜しい! 内容は理解したみたいだけど、言葉に変換できてないね。

 それじゃ、私がその正体を教えてあげる。そのモヤモヤは。即ち───『』だよ!」

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