第43話 運命の岐路 1


「兄上、私は帰りたくなってきました」

「人が多いってだけで暑苦しいよねぇ」


 話をあわせてくれるけれど、兄上はさほど暑がっているようには見えない。

 信濃も盆地は暑い。でも大阪の暑さは別物な気がする。

 これは湿度の違いなんだろうか。


 私は暑さに弱い。たぶん現世での私が、高校まで北海道在住だったせいじゃないかと思うけれど、私につられて雪村まで暑さに弱くなっている……気がする。

 急に腕を掴まれ、驚いて顔を上げると、兄上が心配そうな顔で私を見ていた。


「人酔いしたんじゃない? 少し辛そうだよ」


 どちらかと暑気あたりかな。炎虎えんこ使いが暑さに弱いって何の冗談だろうね。

 ホントにごめん、雪村。



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 大阪夏の陣


 それは私にとってみ言葉なので、夏の大阪になんて来たくなかったけれど、美成みつなり殿が再三さいさん呼ぶので仕方がない。


 私は今、兄上と大阪に来ている。

 武隈たけくまの戦が終わったら、真木家は富豊に臣従する事が決まっていたので、表向きは富豊秀夜とみとよひでよる様に、実際は母君の拠殿よりどの謁見えっけんする為に。


 真木は上方かみかたに邸なんて持っていないので、どこかの宿かお寺に泊まるつもりだったけど、元・武隈邸が桜姫の所有になっていて、今はそれを上森家が管理しているそうなので、そこに泊まらせてもらう事になった。


「いずれこの地は、真木に下賜かしされるだろう。建て替えるまでは、そのまま使っても問題なさそうだぞ」


 先に大阪に来て、宿泊の差配さはいをしてくれていた兼継殿が、軽く室内を見回した。

 建て替えるのかな? 今年の春まで使われていたここは、このままでも良さそうに見える。

 花見の時もここに来た筈だけど、克頼かつより様と折り合いが悪かったせいか、あまりよく覚えていない。



 改めて見ると、さすが大名屋敷だけあって、内装や装飾品がっている。

 私はうきうきと建物を見回した。

 上方にあるからか、国元のよりも家屋の造りがおしゃれだし、庭園も凝っていて、見ているだけですごく楽しい。


 大名屋敷なんて、私にとっては憧れの歴史的建造物だよ。

 北海道には、戦国時代のお城や大名屋敷なんて無かったから。


 ……武隈の邸でこれなら、上森はもっとすっごい建物じゃないかな?


「兼継殿、上森のお邸も、ぜひ見てみたいです。お邪魔しても良いですか?」

「雪村、子供じゃないんだから」


 うきうき声が速攻でバレて、兄上が慌ててたしなめてくる。

 笑いを抑えた兼継殿が、少し声を震わせて兄上に視線を向けた。


「構わない。信倖も来るか?」

「僕はいいよ。おのぼりさん丸出しじゃないか」


 兄上、ひどい。



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「兼継殿、市がたっています!」


 上森邸までの道すがらにそれを見つけ、私は兼継殿を振り仰いだ。

 本当におのぼりさん丸出しだよ。

 上方の市には、信濃や越後では見た事がない物が売っていて、そこはやっぱり都会って感じがしてテンションが上がってくる。


「桜姫からの言伝ことづてがありまして。おみやげを買って帰らねばならないのですが、何を買えば喜ばれるでしょうか?」

「桜姫の好みなど、私に解るわけがなかろう。お前の方が詳しいのではないか?」

「私は姫に、その辺に咲いている花しか渡したことがないので」

元手もとで無料ただだな」


 からかうように突っ込む兼継殿に、私も「そうなんです」と苦笑して返す。


 桜姫が好きそうなものかー。私にもよく解らないな。

 前はスライムまんじゅうにご執心だったけど、こんなに暑いのに食べ物なんて買ったら、絶対におなかが痛くなる。


 市は上森邸をした後で、もう一度、寄ってみよう

 私の考えを見透みすかしたのか、兼継殿が速攻で釘を刺してきた。


「改めて寄るつもりなら後日にしろ。お前は人酔いをして体調が悪いと、信倖から聞いているぞ」



 ***************                ***************


 上方の上森邸は すごく立派なお邸だった。

 特に欄間らんまの細工がすごく緻密ちみつで、いくら見ていても飽きない。

 大名屋敷をリアルタイムで、それも芸術的な内装を、立入禁止区域無しで見られるなんて、本当に眼福だよ。


「すごいですね……」


 溜め息交じりにめると、兼継殿が淡々と説明する。


「剣神公が建てたものに、多少、手を加えた。贅沢ぜいたくは好かないが、影勝様は五大老の一人だからな。外観を整える事も必要だ。……庭園も見るか?」


 案内されて庭に出ると、夏なのに紅葉した木が植えられた一画があった。

 それだけで秋がきたように涼しげに感じる。

 たぶんそれが、この一画のコンセプトなんだろう。


 紅葉のほとりには、越後の邸に似た池があり、ここでも鯉が泳いでいる。


「こちらにも鯉がいるのですね」

後漢書ごかんしょに『黄河こうがの上流にある滝、竜門を登ることのできた鯉は竜になる』という故事こじがある。剣神公が飼い始めたのだが、影勝様がお好きなのだ」


 越後の霊獣は神龍だから、竜にまつわる故事のある鯉も好きなのかな。

 言われてみれば子供のころ、影勝様と鯉を眺めて過ごしたことがあるな。

 ……雪村が。


 私は改めて、綺麗な水中を泳ぐ 緋色ひいろの魚体に目を向けた。

 鮮やかな色合いの鯉が跳ねるたび、水面に波紋が広がり、それをじっと見ていると何だかふわふわした気持ちになってくる。


 ふと視界が暗くなる。


 立ちくらみかと思ったけれど、兼継殿の右掌が私の視界をさえぎっていた。


「あまり水面を見つめるな。お前は子供の頃、それで何度も池に落ちているぞ」

「……私はもう、子供じゃありませんから」


 ふわふわした気持ちのまま反論すると、視界をふさいでいた右の掌が額に触れて、ついでにぱちんと叩かれた。


「子供じゃないというなら自己管理は徹底てっていしろ。身体が熱い。暑気あたりではないのか?」





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