第39話 好感度上げと北の龍の住処 ~桜姫視点~


「先日、兼継殿に「写本を内職にしているなら、紙漉かみすきも視野に入れてみては」とお話してみました。姫からのご助言が生きると良いですね」


 雪村が茶に手を伸ばしてにこにこと笑っている。

 ……別に俺はそういう「ご助言」をしたつもりはないんだが……

 さりげなく周囲を探ると案の定、侍女衆じじょしゅうが「雪村の公認を得ましたわ!」みたいな顔で目配めくばせしている。

 

 気の毒に。

 そのいた紙でナニが出来上がるのか。

 知っていたらこいつだって、そんな事は言わなかったはずだ。



 ***************                *************** 


 それはともかく。

 乙女ゲームの世界に来たというのに、俺は『恋愛イベント』を起こすのがヘタクソなのだろうか。

 

 先日は、メインヒーローゆきむらの過去の女疑惑が浮上した。

 ついでに俺は、【兼継恋愛イベントの一】でも、派手にやらかしている。

 何がどうなってこうなったのかがサッパリ解らんが、『恋愛イベント』だったはずのイベントで、思いっきり兼継と決裂してしまったのだ。

 好感度が低い状態で無理矢理イベントを起こすと、こんな事になるのだろうか。


 このゲームにはときどき『恋愛失敗選択肢』ってのが仕込しこまれている。

 例えば、恋愛イベントで攻略対象が「一緒に出かけませんか?」と誘いに来た時に「行きません」とつれない返事をした場合だ。

【兼継恋愛イベント其の一】には、そんな選択肢は無かったはずなんだけどな?


 このイベントはゲームでは「紅花翁草べにばなおきなぐさ(か桃か花水木はなみずき)を贈った桜姫に、兼継が風鈴草ふうりんそうを返してくる」という、序盤じょばんのイベントらしいあっさりしたものだった。


『兼継イベント』の醍醐味だいごみは、「序盤で『感謝』を意味する風鈴草を返していた兼継が、後半どれだけ熱烈な意味をもつ花を返すようになるか」ってとこだ。


 だがしかし、何度もレスバした挙句に「あなたとの戦いを宣言する」なんて、熱烈な意味を持つ蓬菊よもぎぎくを貰っちまった俺は、いったいこの先、どんな花を貰えばいいんだ?

 コレを超える熱い花ってなに? 

「死亡宣告」とか、そーいう意味を持つ花ってある?


 何で俺たちは最序盤のイベントで、こんな熱い決闘じみたりをしているんだろう。そもそもあいつ『桜姫の攻略対象』だって自覚はあるのか?



 兼継イベントに失敗したので、俺はますます雪村攻略に、精を出さなければならなくなった。

 雪村イベントは少し前に起こしたばかりだから、次のイベントを発生させる為には、改めて好感度かせぎをしなければならない。


 乙女ゲームにおいて、攻略対象おまえら主人公おれのもの。

 主人公おれのものは主人公おれのもの。

 主人公姫として、『安芸』に配慮する義理なんて無いのだ。


 よーし、がんばるぞ!



 +++


「雪村、今日は時間はある? 私、おやしきの外はまだあまり見ていないの。良かったら連れて行って?」


 可愛くおねだりすると、雪村は快くった。

 あいつがこっちでひまを持て余しているのはリサーチ済みだ。断るわけが無い。


 ったり。



 ***************                *************** 


 雪村が連れてきてくれたのは、正宗に奪われた北の神龍がまつられていたという、洞窟だった。

 奥には深々しんしんと澄んだ水をたたえた泉があり、そこからは鍾乳石しょうにゅうせきが、いくつも突き出している。


 さすが元・龍の住処すみかだな。

 夜明け前みたいな深青しんせいの水の上に、天井の隙間すきまからこぼれ落ちた陽の光が水晶の欠片みたいにきらきらしている。すごく綺麗だ。


「綺麗ね。こんなところ見た事がないわ」


 現世でこんな綺麗な泉は見た事がない。

 あざとかわいい演技を忘れ、俺は本気でめちぎった。

 そんな俺に「喜んで頂けたようで良かったです」と雪村も微笑んでいる。


 しばらくぼんやりとながめたところで、俺はやっと我に返った。

 しまった、これは観光じゃないんだよ。好感度稼ぎだ、好感度稼ぎ。

 

 ふと見ると泉には鍾乳石……いや、石筍せきじゅんといったか。水の上に突き出した飛び石みたいなものがいくつか見える。

 そして光が差し込んでいる天井の真下にも、人が乗れそうなやつがある。


 ……あの光の下で桜姫がきらきら光っていたら、男はメロメロになるんじゃね?

 何かそういう絵面えづらあるじゃん。宗教画ちっくな、上から天使が降りてきそーな、光の階段っつーか。

 

 ヨシ!


 俺は小袖のすそをたくし上げ、うふふと可愛く笑いながら、飛び石の上をぴょんぴょん飛び移った。

 裾をたくし上げた時点で「乙女」をかなぐり捨てているんだが、この時の俺は、まだそれに気づいていない。


「危ないですよ!」


 雪村が慌てた様子で叫んでいるが、俺は大丈夫だ。

 桜姫は、絶望的にHPたいりょくが無いもやしっこだが、運動神経はさほど悪くない。

 それより、何より今は 好感度稼ぎだ。


「雪村、見て?」


 無事に目当ての石まで飛び移った俺は、きらきらと天井から差し込む光の真下に立ち、全力のあざと可愛さで くるりとまわって見せた。



 俺は何故、そんな余計な事をしたんだろう。

 大人しく光を受けて、聖母よろしく微笑ほほえんでいれば良かったのに。



 水にれた鍾乳石上での回転に、俺は思いっきり足を滑らせた。



 ***************                *************** 


 がぶがぶと大量に水を飲んだが、かろうじて俺は意識を保っていた。


 しかしアレだ。現世での男の身体なら普通に泳げるはずなんだが、桜姫の長い髪と小袖が思いっきり身体にまとわりつき、身動きが取れない。

 

 ぬ、脱がないと死ぬ……ッ!


 ばたばたあわあわし始めた俺の身体が、突然ぐいと水面まで引き上げられた。


 ふと気がつくと、首の後ろっつーかえりぐりを、誰かの手がつかんでいる。

 どうやら雪村が、猫をつまみ上げるみたいな感じで、俺を引っ張り上げてくれたみたいだ。

 

 ありがとう雪村、助けに来てくれたんだな!

 

 ここは可愛く「こわかったわ!」って言いながら抱きつこう。

 そう思ったんだが。


 雪村が、普通に立っている。

 腰あたりまで水に浸かってはいるが、これなら桜姫でも足がつくんじゃね……?



 ……俺はそっと目をつむり、気絶しているフリをした。




 雪村は、俺の身体をいかだのように、水面に浮かせて運んでいく。

 乙女ゲームだろ、お姫様だっこくらいしろよ。とは思うが、髪や小袖にたっぷり水を含んだ俺の身体は、相当に重いんだろう。


 俺は 水面をじゃぶじゃぶと進みながら腕を組んだ。


 まずいな。好感度を稼げている気がまったくしない。

 それどころか「危ない」って雪村の忠告を無視して池にドボンなんて、イベントなら好感度-10の選択肢だろう。

 


 岸辺まで運ばれた俺は、息を止めて気絶しているフリを続けた。

「ワタクシ、恥ずかしくて合わせる顔がないわ」と殊勝しゅしょうに考えた訳ではない。


 仮にもこれは乙女ゲーム。

 おぼれて気絶した女には、「人工呼吸」の名を借りたキスイベントが来るはずだ。

 それ以外は認めない。

 いや、18禁ならもっとグイグイきてもいいが、こいつにそこまでは求めまい。


「姫」


 雪村の大きな手が、ほほをひたひたと叩く。

 そのまま気絶したフリを続けていると、何と雪村の手が桜姫の胸に触れた!

 おお!? こいつ、相手に意識が無ければ、ここまで積極的になる奴だったのか!?? 初心うぶな振りしていても、さすが18禁ゲームのキャラって事か……


 どきどきしながら薄目を開けると、真剣な表情で俺を見下ろす雪村の顔が見える。お前がそのつもりなら やぶさかではない。


 俺はそっと唇を突き出した。



 次の瞬間。


 俺の胸に当てられていた雪村の手が、思いっきり胸元を押してきて、俺はがふんと水をいた。



 ***************                *************** 


「良かった。気付かれましたね」


 心底ほっとした顔の雪村を、俺は茫然ぼうぜんと見上げた。

 そうだ、こいつはさっき俺を池から運んだ時も、乙女ゲームの法則おひめさまだっこを無視して淡々と的確な手法を取っていたじゃないか。

 そりゃ人工呼吸より先に、水を吐かせるよな……


「このままでは風邪をひきますね。少しお待ち下さい」


 雪村は、びっちょりれた俺のそばにほむらを召喚しょうかんして周囲を温め、自分は濡れたまま外へと出ていく。

 池に落ち慣れている訳でもあるまいが、随分ずいぶん手際てぎわがいいな。


 やがて戻ってきた雪村の手には、上質ではないが清潔そうな小袖があった。

 近隣きんりんの家から譲り受けてきたらしい。



「私は外に出ています。着替え終わったらお呼び下さい」


 そう言ってさっさと洞窟どうくつを出ていく雪村を、俺はやっぱり茫然と見送った。

 そばでほむらがあきれて見ている気がする。そりゃそうだよな。


「お前の主人はかっこいいな」


 俺は炎虎におべんちゃらを言いながら、小袖を着替える事にした。


 雪村の警告を無視して、水に落ちただけでも好感度上げは失敗なのに、リカバリーにも失敗してしまった。

 そもそも攻略対象ゆきむらの前で吐くなど、女として終わった。

 

 俺、なにしにここに来たんだっけ?

 好感度上げ? なにそれ??



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