第32話 兼継恋愛イベントと姫の困惑 ~桜姫視点~

 もう少しで届きそうなんだけどな


 小柄な身体で精一杯の背伸せのびをしていたら、背後から伸びた手が、目当ての花を手折たおった。

 藤に似た紫色の花が、俺の手のひらに置かれる。


「ありがとう、雪村」


 振り返ってにっこり笑うと、奴も優しい顔で笑っている。

 その顔に、やきもちみたいな負の感情は微塵みじんも感じ取れなくて、俺は内心がっかりした。



 ***************                *************** 


 兼継から翁草おきなぐさが届いてから数日。


 奥御殿おくごてんにいると侍女衆がしきりと返花の話題を振ってくるので、俺は雪村を散策さんさくに誘うついでに、返す花を刈り取ることにした。


 ゲームでは兼継からの返花は、『感謝』を意味する風鈴草ふうりんそうだった。てっきりそれが返ると思っていたのに、意外なものが贈られてきた。

 ゲームとは違う展開にされると「未来を知っている」アドバンテージがなくなる。やめて欲しいんだがな。


 侍女衆は、翁草の花言葉を『告げられぬ恋』の意味の方で取ったようだが、俺にはそうは思えない。

 ゲーム中のあいつはそんなキャラじゃない。

 堅物かたぶつで、執政の職務に命けてて、序盤じょばんのうちは美成といい勝負のツンだぞ。


 それ以前に俺自身、兼継に好かれている気がまったくしていない…… って事は、あの翁草の意味は『何も求めない』の方だ。


 仮にも恋愛イベントでこの返事かよ? おかしくない? いや、おかしいよね? 

 やっぱり『告げられぬ恋』の方なのか?

 こんなに誤解を生みやすいイベントなら、兼継もうかうか『返しの花』なんて贈れないわな。


 こんな風に悩ませるために、この花を寄越よこしたんだとしたら……

 やっぱり俺、兼継に嫌われてる?



 ***************                *************** 


 結局、返しの花は紫丁香花むらさきはしどいにした。

 意味は誤解のしようもない『初恋』や『恋の芽生え』。

 がっちがちの恋愛系だ。

 俺が決めた訳じゃない。大盛り上がりの奥御殿侍女衆じじょしゅう、推薦の品だ。


『告げられぬ恋』もしくは『何も求めない』翁草に、『恋の芽生え』を意味する花を返されたら、あいつはどう出る?


 恋愛系で返ってきたら、花言葉は『告げられぬ恋』の方。

 そうじゃなければ『何も求めない』の方だ。

 まずは様子見でいこう。


 あとはだな。こうして兼継と花のやりとりを始めても、やっぱり雪村は何とも思わないんだろうか、と思って、あえてこうしてみたんだが……

 紫丁香花むらさきはしどいの花言葉の意味を聞かれた時、意味深に「内緒」と返してみたけど、やっぱり無反応だった。


 あいつはうそが上手くないから、思っている事が顔に出やすい。

 苦笑いっていうか、笑っているのにうれいが混じったら要注意だ。

 だから「侍女衆の様子に辟易へきえきしているな」とか「紫丁香花むらさきはしどいの花言葉、本当は知っているな」とか、そういうのは何となく分かる。


 そしてあまり知りたくはなかったが、兼継から『告げられぬ恋』なんて意味の花を貰っても、雪村はまったく嫉妬しっとも恋心の自覚もない、ってのも分かった。


 ホントちょっと待って。これって桜姫が主人公の乙女ゲームの世界だよな?

 この世界の攻略対象ども、難易度激高ゲキダカじゃね?


 メインヒーローは朴念仁ぼくねんじんが過ぎるし、兼継には好かれてる気がしないし、美成とはまんじゅうのうばい合いしかしてないし、信倖とは全く接点がない。


 所詮しょせん、俺は男。乙女ゲームには向いていない、そういう事なのだろうか。

 だが俺は、俺が仕事でつちかった全力の営業力と渾身こんしんの女子力で あざと可愛い桜姫を演じてきた。


 あの朴念仁に、俺の全身全霊ぜんしんぜんれいが通用しないだと……!?


 そんな事はあってはならない。俺はこのゲームの主人公・桜姫。

 何としてもここの攻略対象どもをメロメロにしてみせる。



「ではそろそろ帰りましょうか。着く頃にはちょうどおやつの時間になるでしょう」


 おやつ>デートだと思われている時点で、いろいろと駄目すぎる。

 差し出された雪村の手をとりながら、俺はもう一度 紫丁香花の木をあおぎ見た。



 ***************                *************** 


「大変ですわ姫さま!」


 いつも通り、だらだらしながら茶をしていた昼下がり。

 文を握りしめた侍女が、息せきって部屋へと駆け込んできた。


何事なにごとです、騒々しい」


 中年侍女がぴしゃりと叱ったが、侍女その1はそんな事にはおかまいなしで、一通のふみを中年侍女へと差し出す。

 文を受け取り、読んでいた中年侍女の顔が険しくなった。


 何があったんだろう、居住いずまいを正して読み終わるのを待っていると、中年侍女はこほんとひとつ咳払せきばらいをして、俺に向き直る。


「兼継様のお邸の侍女からです。ゆうべ、雪村が乱心らんしんしたそうですわ」

「はあ」


 何があった。うん、侍女衆ネットワークは妄想も加味かみされて大袈裟だからな。

 前にも「雪村がひど有様ありさまで帰って来た」と侍女衆ネットワーク経由で情報が流れた事がある。

 怪我でもしたかと慌てて本人に聞いてみると、畑仕事の手伝いで着物を汚しただけだった。

 

 俺は溜め息を呑み込み、まんじゅうと茶、どちらを取ろうか一瞬迷った後で、茶を取ってから侍女に顔を向けた。


「本当に? 昨日の昼間はいつも通りの雪村だったわよ?」


 また大袈裟に伝わってきたパターンかな、などと思いながら俺は茶を一口すする。

 そんな俺にはおかまいなしで、中年侍女は淡々と言い放った。


「雪村が夕べ、兼継様に「自分は女性に恋愛感情は持てない」と言ったそうですわ」


 ぶう


 盛大に茶を噴き出した挙句あげくに鼻にまで入る大惨事だ。

 侍女衆が慌ててき込む俺の背をさすったり、布を差し出したりしてくる。

 げほげほ咳き込む俺を余所よそに、侍女衆がひとごとみたいなつらをして、ひそひそとささやき出した。


「姫様が紫丁香花恋の芽生えを返した事が、雪村を苦しめたのでしょうか……」

「姫さまが雪村をそでになさったから、絶望してしまったのかも」


 おい! 責任を俺になすりつけようとするな! そもそも紫丁香花あの花を贈れと言ったのはお前たちだぞ。

 そして口元をおさえて隠しているが、ちょっと嬉しそうなのもヤメロ。


 まーた大袈裟な。笑って聞き流してしまいたいが、これに関してはちょっと……

 こんなに攻略に手こずっているんだ。その朴念仁に「女に興味ない」と言われると、いきなり信憑性しんぴょうせいがでてくるじゃないか。


「兼継に頬を染めて取りつくろっていた」と言っている声も聞こえたが、それに関しては妄想で片づける事にする。


 雪村が頬を染めるなんてありえない。

 超絶美少女・桜姫が、あらゆる手練手管てれんてくだろうしても無理なんだぞ?

 野郎の兼継に出来てたまるか。


 雪村もほんとにもう、燃料の投下はやめて……

 本当にここは乙女ゲームの世界なのか? 乙女の妄想の世界じゃなく?




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