第8話 可憐な姫はバッドエンドを回避する

 

 信厳公が亡くなってふた月が過ぎた。

 私は摘んだばかりの野花を手に、桜姫の部屋へ向かっていた。

 これは数日おきのルーティンになりつつある。


 何故なら、ゲームの雪村がそうしていたから。

 両親を続けて亡くした姫を元気づけるため……なんだけど。



 正直、私は迷っていた。

 こんなささやかな気遣いでも、桜姫の雪村に対する好感度は上がっていく。

 そして最終的に姫に選ばれて『雪村ルート』に入ってしまったら、この世界でも私は死ぬのだ。


 どうしよう……自分の死亡フラグたててまで、姫とイチャイチャしたいかな?

 姫はか弱くて可愛いから、守ってあげたいとは思う。

 でもそれとこれとは話は別だ。


 私としては、姫の好感度はほどほどにセーブして、できれば円満にフラグを折って、誰か別キャラのルートに誘導したい。

 だとしたら誰がいいだろう。

『カオス戦国』は、ろくなエンディングが用意されて無いんだよなぁ。

 それ以前に、誰のルートでも雪村って死ぬんだよね。雪村が死なずに済むルートはどれだ。

 通常ルートですら、大阪夏の陣のあとだから、エンディングでナレ死だよ?


 うーん……


 強いていえば『兼継かねつぐルート』かな。

 このルートは関ケ原で敗戦直後にエンディングだから、雪村が死ぬ描写はない。


 あ、じゃあ兼継でいいんじゃない?


 兼継……直枝兼継なおえだかねつぐは、越後大名・上森うえもり家の執政しっせい

 頭脳明晰ずのうめいせき容姿端麗ようしたんれい。主君の上森影勝うえもりかげかつには絶対服従。

 ゲームでも“主君の妹姫”になる桜姫を、とても大切に扱っていた。それに……


 ゲームでは個別ルートに入る直前に『御告げイベント』というものが発生する。

 これは夢の中で剣神から「天に還るように」と促されるイベントで、それを桜姫から告げられた攻略武将が「天に還さない為には、姫の身をけがすしかない」と思い詰めて契ってしまう……いわゆる『18禁イベント』なんだよね。


 ただ兼継には愛染明王あいぜんみょうおうが憑依していて、『有事の際には桜姫を天に戻すためにここに居る』って設定だから、姫を穢す必要がない。

 だから兼継ルートはエロがない。


 私としてもこちらの都合で、ヤル気まんまんの狼に子羊を差し出すような真似は心が痛むしね。なるべく優しいキャラがいい。


 よし、姫には『兼継ルート』に進んで頂こう。

 そして円満に、天に還っていただきましょう。



 ***************                *************** 


「姫、雪村です。お加減はいかがですか?」


 いつも通りに声をかけたけれど、中からの返事がない。


 おかしいな、姫は部屋からほとんど出ないのに。

 人見知りをする姫ではあるけれど、幼馴染の雪村には懐いている。返事がないのはおかしい。そこまで考えて、何かあったのではと不安になった。


 この世界の桜姫は、本当に繊細なのだ。人知れず倒れていてもおかしくない。

 嫌な予感に突き動かされ、私は勢いよく、ふすまを開け放った。


「姫! 失礼します!」


 中では本当に、桜姫がぐったりとうずくまっていた。


「姫!? 桜姫!!」


 悪い予感が当たった恐怖と「こんなイベントあったっけ?」的な疑問がないぜになる。

 慌てて抱き上げると、青白い顔の桜姫が白目を剥いていた。

 粉を吹いた半開きの唇が 微かに震えている。


「誰かある! 医者を……!」


 部屋の外へ呼びかけた瞬間、桜姫がどすりと私の胸元を叩いた。


 あ、生きてる


 ほっとして、改めて周囲を見回すと、朱塗しゅぬりの器が倒れて、大量のもちが転がっているのが見えた。

 そして姫の膝上には、歯形がついた食べかけの餅が落ちている。


 ……まさか。嘘でしょ?


 慌てて部屋に入ってきた侍女に「水を」と命じ、私は姫の背中をばしばし叩いた。



 +++


「雪村は、わたくしの命の恩人ね」


 はかなく微笑む桜姫が、妙に胡散臭うさんくさく見えてくる。

 かよわい姫があんなに餅をがっつくだろうか。

 いやそれより、こんな事で好感度を稼いでどうするよ、私。

『命の恩人』なんて、結構な高ポイントじゃないですかね……?


「いえ、ご無事で何よりです」


 今考えた事はおくびにも出さず、私はにっこりと微笑んだ。

 好感度は稼ぎたくないけれど、積極的に嫌われたい訳でもない。


「おもちを喉に詰まらせたなんて恥ずかしいわ。どうか内緒にしてね?」

「はい」

「ふふっ、ふたりだけの秘密ね?」


 ふたりだけの秘密……そんな甘美な響きが似合うイベントだっただろうか……

 それはさておき、私は本日の訪問目的、『兄上からの提案』を桜姫に伝えることにした。


「お館様が身罷みまかられてふた月になりますが、ここに居ては、姫も父君を思い出されてお辛いでしょう。そろそろ兄が、私たちの所領である上田うえだに戻るそうです。もしよろしければ一緒にいらっしゃいませんか?」


 一応お伺いという形はとっているけれど、ここはもう選択の余地なく来ていただく。

 何故なら上田に兼継が訪ねてくるので、出迎える為に帰るのだから。


 いよいよ姫と兼継かねつぐの、出会いイベントですよ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る