第46話軽薄な言葉(2)


 煮詰まった思考をシャワーで洗い流していれば、いつの間にか日付が変わっていた。そしてそれから間もなく、また私を悩ませる連絡が届いた。


「電話していい、か……」


 おそらく今バイトが終わったのだろう。居酒屋なんて、絶対に働きたくない場所筆頭だけれど奏には合っていそうだと思う。初対面のお客ともいつの間にか仲良くなっているのが想像できる。とはいえ体力的にも大変だろうというのもまた想像できるからこそ、すぐに連絡をくれていることにはきっと強い意思がある。

 電話、での要件といえば先ほどの続きだろう。そう分かっているからこそ、それに肯定の返事を書ききれずにいる。どうやって言葉にすればいいのか、未だに思考は定まっていないから。


 シンプルなはずなのだ。奏が私の事を特別だと言うならば、顔も知らぬ誰かへの嫉妬もしなくて良くなる。今日みたいに感情を尖らせて、言葉があふれてしまうこともない。奏を手放したくないのなら、自身の気持ちを奏に告げればいい。私も、奏のことが特別なのだと。

 踏み出さなければ。いつだって思考しては結局言葉にせず飲み込んでばかりだった。それが一番楽だと思っていたから。でも、それでは今回ばかりは後悔する。きっと、一生ものの傷になる。そんな痛みだったじゃないか。


 連絡画面を開いて、ゆっくりと文字を打っていく。大丈夫、それだけをようやく打ち込んで送信すれば、ものの数秒で既読が付いて怖気づく。全くもってお節介な機能だ。スマホを机に置いて、待つこと数十秒。スマホの着信音に、少しの間を持って耳に当てる。


「もしもし」

『梨紗? ごめんね夜遅くに……今大丈夫?』

「うん、大丈夫」

『……あー、今バイト終わってさ』

「お疲れ様」

『ん、ありがとう』


 まだ外だろうか、繁華街のような賑やかな声が奏の声の向こうで聞こえている。本当にバイトが終わってすぐ連絡をしてくれたのだろう。それは、奏の誠実さとして受け取りたい。

 本当に予想外だった。その瞬間では受け入れられない程に。だから今度はちゃんと、奏を見ていきたい。


『本当は、ちゃんと会って話すことなんだと思うんだけど、ごめん電車がなくて。 でも、これをそのままにしておくのは、それこそ軽薄だって思ったから……我儘だけど、少しだけ時間をくれたら嬉しい』


 一つ一つの言葉を、丁寧に選ぶ奏は少し新鮮な気がする。もっと、そつなく思考をそのまま言葉にする人という印象があるから。だからこそ、その丁寧さ慎重さに、奏の気持ちが篭っている気がする。


「大丈夫。 奏が聞いてくれたように、私も奏の言葉、ちゃんと聞くから」

『……ありがとう』


 機械の向こうで、奏が少しだけ笑ってくれたような気がする。たったそれだけで、私まで心が緩むのだ。思考よりもずっと体の方が答えに近いのかもしれない。私がしたいこと、奏にしてあげたいこと、もっとシンプルでいいのかもしれない。

 

『ずっと考えてた。 注文取って、料理運んで、会計しながらずっと。 どうやるのが正解だったんだろうって。 どうしていたら、梨紗にちゃんと届いていたんだろうって。 でも考えてみたら私さ、まっすぐアプローチしたこと、一生に一回もないんだなって気づいてさ。 そもそも正解を知らないんだなって』


 心の中全てを、観念したかのように言葉にしているようだと思った。全部を包み隠さず言っているような。少なくとも、こんなに自信なさげな言葉を吐き出すような人では無かったように思う。今まで彼女が苦しそうにしている時、本当はいつもこんな風に悩んでいたのだろうか。出会った頃のような自信があって、背筋がピンと伸びていて、全部をまっすぐ進んでいける人とは違う、彼女の一面。それをようやく、気配ではなく形として知ることが許されている。

 それは確かに、特別であるような実感がある。


『いや、反省ばかり言ってたって意味はないよね。 だからね、その……下手かもしれないし、今までの私とは違って幻滅されたりとかされたら、それって本末転倒だとか、思うんだけど……それでも、ただちゃんと等身大の私で梨紗の前にいようって思う』


 初めて会った時、自分で作曲したというラブソングを歌っていた奏を思い出した。その歌は、どこか自信がなくて、臆病で、それでいて誠実だった。あの歌こそ、一番奏に近かったのかもしれない。そんなことを今更知った私は、かといって幻滅なんてしそうにもなかった。ただ、彼女の奥底に触れさせてくれたことが、奏の言葉の何よりの説得力のような気がして嬉しかった。


『梨紗がちゃんと私の言葉を信じられるまで、頑張る』

「……私は、」


 私が奏にとってそんな存在だなんて思っていなかった。言われたって簡単には実感できない程に。それは確かに今までの奏の像のせいでもあったのかもしれない。でも、奏が色々な事を考えてその過程まで含めて言葉にしてくれて、ようやく心に言葉が入ってきた気がする。ちゃんと、確かに私は奏の特別なんだと、そう思えるような言葉をたくさん受け取れた気がする。


「……信じられると思う、奏の事」

『……そうやって甘やかすの、梨紗のずるいところだよ』

 

 甘やかしている訳じゃない。奏の言葉を聞くまでそう言える自信なんて無かった。

一歩進んでくれたのは他でもない奏の方だ。この気持ちを抱えるだけじゃなくて、その先があると見せてくれたのは奏の方なのだ。奏だって私と同じで、不安は当たり前にあるのに、それでも自分が今まで身につけてきた全ての理論武装を取り払って、向き合ってくれている。

 奏の方が、よっぽど凄いよ。

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