第45話軽薄な言葉

 例えば一日の中でラッキーなことがあれば、それは素直に嬉しいで終わるのだろう。けれど、それが立て続けに起こればどうだろうか。


 元々優しく、甘く響く言葉をなんの戸惑いもなく言葉にする人だったとは思う。そんな言葉に流された瞬間だって、ないとは言い難いのだ。それでも、ここまでだっただろうか。一度疑問として持ち上がったその感覚は、違和感となって思考にべったりと付きまとった。

 どうして、今日はこんなにも。


 奏自身に何かいいことがあったのかもしれない。私はピアスを付け替える横顔を見つめた後、自身の耳につけたピアスを撫でながら言葉にする。


「なんか今日、機嫌いいね」

「……そりゃあ、梨紗と一緒だからね」


 そう言って綺麗な顔を綻ばせるから、私の心臓は簡単に悲鳴をあげる。それはまるで、特別な人への囁きのようだと思ってしまえば、体の熱は簡単に上がる。


 けれど、私は奏の特別な人ではないのだ。いや、明確にいうならば少しは特別なのかもしれない。それは例えば、奏のバンドを応援していることだとか、あの夜奏の傍にいたことだとか、他に遊んでいる女の子とは少し違うかもしれない。でもそれは、私が抱えるそれとは一致しない。


 奏は、特別をつくらない。高槻くんの言葉が頭に響く。期待が募ってしまいそうなほどの言葉は、私にはむしろ毒だと思った。特別じゃないのに、まるで特別みたいに扱わないでほしい、そう思うのは贅沢で傲慢だろうか。耳につけたピアスに、浮かれているなと思った。



 手を繋ぎたいと言う奏の言葉にどんな意味があるのだろうと考えて、なんて意味のない事を考えているのだろうと思った。そこに意味などあるはずはない。好きという感情はなんともめんどくさいものだ。勝手に浮かれて、勝手に喜んで、そして今は、勝手に怒っている。いや、勝手にではあるけれど、奏だって今日は酷くないだろうか。こんなの、期待してしまうに決まっているじゃないか。それとも世の中はこんなにも浮かれた世界で、私が硬いだけなのだろうか。少なくとも奏の世界では、これくらいが普通なのだろうか。こんな言葉を、他の人にも言っているのだろうか。

 それは、分かりやすいただの嫉妬だった。


 零れ落ちた言葉を、奏は捨ててはくれない。いつだって、奏は私が何を考えているのか聞きたがるし拾おうとする。それが今の状況では煩わしい。手を掴むのは強引すぎると思う。理解してほしくないものまで理解しようとしないでほしい。それを言ってしまえば、奏は更に傷ついた顔をするのだろうか。


「夏以降梨紗以外とはこういうことしてる人いないよ」


 何を言っても裏目に出てしまいそうで閉口すれば、奏はゆっくりと言葉を紡ぎ始める。その声は、とても慎重で、奏らしくないと思う程不安げだった。縋るように掴んできたその手を、思わずぎゅっと握り返してしまう程に。

 どうして、一つ一つ否定するのだろう。他の女の子と会っていないこと、他の子にはこんなに特別扱いなんてしないこと。私が不機嫌になったから?


「だから……勘違いしてよ」


 振り返れば、オレンジの西日に染まる奏が本当に泣きそうで言葉が詰まる。たくさんの言葉が浮かんできては、それを打ち消すための言葉がまた聞こえてきて、どれを言葉にすればいいのか分からない。

 まるで私が特別だと言っているようで、私と奏の気持ちが同じなような気がして、けれどそれをどこまで信じればいいのか分からなくて、勘違いした先が怖くて、けれど期待してしまう自分がいて。


 何を信じればいいのか分からない。どの言葉を選べばいいのか分からない。だって、そんなこと一度も考えたことがなかったのだ。


***


 窓の向こうで流れていく景色を眺める。見慣れた景色、遠くで鳥のマークの看板が流れていく。先ほどの状況を繰り返し思い出しては、自分の行動を後悔し、何が正解だったのかを考えている。


 規則正しく動く電車に揺られ最寄り駅に着いた頃には、空は黒く染まっていた。随分と日が沈むのが早くなってきた。駅を出れば秋風が肌を撫で少し肌寒い。そういえば、クリスマスの約束を奏としたんだっけ。


「……もう、一年になるんだ……」


 一年で随分と状況は変わるものだ。去年の今頃はまだあの人と付き合っていたっけ。気づけば随分と思い出に変わっている。来年の今頃は何を考えながらこの道を歩いているのだろう。


 奏とのことも、あの人のように過去になっていたりするのだろうか。

 そう考えた瞬間、明確な痛みが体に走る。思わず足を止めてしまうような鋭い痛みに、自分自身で驚く。殴られてもいないし刺されてもいない筈なのに、人は想像だけでこんなにも痛みを感じられるらしい。思わず止まっていた息を吐き出して、そっと胸を撫でおろす。一台の自転車が通り過ぎた後、街灯が照らす道をまた歩き出す。そうか。

 そんなにも、嫌なのか、私は。


 今まで、自身の知らない感情の落としどころを定めるので精いっぱいだった。蓋をせずちゃんと在るものとして受け止めてみようと、ようやくそう思えたところだった。それが与える色々な感情はどれも初めてで、そんな場所にようやく立った私では振り回されるのが精いっぱいで、現実味をもって未来のことをしっかりと考えた事など無かった。期待することはあっても、それはあり得ない世界だと思っていたから。

 この感情の未来について、私は考えなくてはいけない。


「私と奏の、これから」


 景色の中に、ポツンと浮かぶ小さな公園。そこは前に奏が突然来た時に少しだけ話した場所だった。私はそのベンチを少し見つめて、その場所を通り過ぎる。

 もう一度今日の会話を思い出す。私と奏の未来を、ちゃんと考えながら。奏がまっすぐに私を見てくれたこと、私の好きな物を知ろうとしてくれたこと、ピアスを嬉しそうに付けていたこと、手を繋ぎたいと言っていたこと。遊びでもなく、気まぐれでもないとするならば。


「たった一年で過去になんて、なってほしくない……」


 己惚れていいのだろうか。期待していいのだろうか。その先の未来を不安に思わなくていいのだろうか。その問いに頷けるほどの自信はないけれど、だからといって手放せるものでも、逃げられるものでもない。きっと、怖がっていてはまた後悔する。いつも高槻くんが背中を押してくれるわけじゃない。


 最後は自分で踏み出せなきゃ。

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