第44話手を伸ばす(3)


 商業施設を出れば、オレンジを僅かに混ぜ始めた空に気づいた。いつの間にか空には羊雲が浮かんでいて、秋の様相を見せ始めている。ついこの前まで蝉が鳴いていたのにな。


「バイト何時からだっけ」

「十八時だから、後一時間くらいだね」


 やっぱりバイトなんて入れなきゃよかった。そしたらもっと梨紗と一緒にいられるのに。あと一時間じゃ全然足りない。次いつ二人で会えるかなんて、クリスマスまで不確かなのに。隣にある横顔を見つめればそこにはさっき買ったピアスが付いている。もちろん、私の耳にもさっき買ったやつがある。それだけで独占欲のようなものが満たされるんだから手に負えないよね。


「梨紗」

「何?」

「手つないでもいい?」

「ダメ」

「え」


 即答されるとは思っていなくて思いのほか心を削られた。少しずつ、なんて思っていたものは実際に隣に梨紗がいれば全然コントロールできなくて、今まで上手く出来ていたものがとことん上手く出来ない。今だって、まるで子供が愚図るみたいに、悪あがきをしたくてたまらない。きっと強引に押せば梨紗は受け止めてしまうから。でも、強引にいけば梨紗の前の恋人と同じ末路にだってなり得る。気持ちはどちらかが振り切れてしまってはいけない。


「残念」


 拗ねたみたいに聞こえただろうか。一応冗談半分って感じに聞こえるように言ってみたつもりだったけどどうだろう。梨紗の顔は変わらずまっすぐを歩く方向を見ていて、私はまた一つ心に傷を作りながら前を向きなおす。


「奏って、遊んでた子から告白されたりしてそう」

「え?」

「やめた方がいいよ、特別扱いするの」


 ようやくこっちを向いたと思ったら、なんとも分からない表情をしていた。最後にどこか喫茶店にでも入ろうかなんて考えていた思考はぷつんと電源を落として、急遽なだれ込んできた梨紗の言葉の解読を急ぐ。歩いている間、ずっと何を考えていたんだろう。あれ、今日の全部、もしかして失敗だった?


「……待って、省略されてる言葉が多すぎる気がする」

「……ごめん、今のなし」

「待って待って、考えてること知りたいっていっつも言ってるじゃん。 今、怒ってる? それとも呆れてる?」

「…………」


 思考を纏めている沈黙なのか、ただの閉口なのか分からない。さっきまで結構楽しく過ごしていたと思うんだけどな。やっぱりやりすぎたんだろうか。特別扱いをやめた方がいいっていうのは、そういう意味、に聞こえてしまうんだけどな。少しずつ日が落ちてきて、西日が鋭く差し込んでくる。どうかもう少しだけ時間が欲しい。


「ごめん言い方きつかったかも。 言いたくないなら言わなくても良くて……ただ私が、本当に梨紗が考えてることは何でも知りたいってだけだから」


 これも急かすみたいに聞こえちゃうかな。ああもう、なんで今まで簡単に出来てたことが難しくなっちゃうかな。本気だからこそ、感情の起伏は大きく波打つ。今までずっとそういうことを避けてきたせいなんだろうか。


「……その、前、言ってたでしょ……たまーにそういうことをする人なら他にもいるって」


 梨紗の顔が私とは逆の方向へと逸れる。私は顎の輪郭を眺めながら、一体いつの話だと心の中で反論する。それと同時に、すっかりと失念していたことを思い知る。バンドが忙しくなってからは他の子となんて連絡も取っていなくて、ましてや梨紗を好きだと認めてからはそんな不純な行いはしていない。でもそれは、梨紗にとってはあずかり知らないことで、梨紗の認識はずっと昔の私のままなんだ。


「奏の優しさが本人の気質、ていうのかな、当たり前にやっているのは分かってるんだけど……でも、それで今までも勘違いしてきた子がいるんじゃないかなって、それってどうなんだろうって思ったんだけど……私がとやかく言う事じゃなかったなって……だから、無し」


 相変わらずそっぽを向いたままの梨紗の手に、自身のそれを伸ばす。ピクリと体が跳ねて、それでも一向にこちらは向かない。意外と頑固なところもあるんだね。でも、ここで引くわけにはいかないじゃん。全部自業自得だって分かっている。今までの軽薄な言葉や行動が招いたことなのは分かっている。だからそれは、これからの言葉や行動で取り戻していくしかないじゃん。

 それに、その言葉って勘違いしそうになるって言ってるようにも聞こえてしまう。梨紗だってそれは自覚があるから、頑なにこっちを見ないんじゃないの?


 信じて、己惚れてよ。


「まず最初に言っておくと、夏以降梨紗以外とはこういうことしてる人いないよ」


 バイトに練習に忙しかったの知ってるでしょ。その合間に梨紗に会っているから梨紗から見れば他の子にもそうしてるように見えるかもしれないし、こればっかりは証明することの方が難しいけど、言わなきゃ始まらない。梨紗の手をぎゅっと握れば、梨紗の手がゆっくりと握り返してくれる。


「後、別に自分が優しくないとは言わないけど、根っからの善性でもないし、優しくしたいなって思う人にしか優しくしないし……特別扱いもしない」


 言い過ぎだろうか。でも、これくらい真っすぐじゃなきゃまたどこかですれ違ってしまうかもしれない。それは何よりも避けなければいけない。自分の位置が思っていたよりもマイナスなら、これ位しなきゃいけないよね。


「だから……勘違いしてよ」

「だ、……って」


 梨紗がようやくこちらを振り返る。そこにはまた、私が知らない表情をしている梨紗がいて、もっと喜怒哀楽が顔に出てくれたらいいのに、なんて思う。口をきつく結んで、困っているような、我慢しているような。

 なんで、まだ言葉を聞かせてくれないかな。


「いや、ごめん。 確かに私が性急だったか」

「……奏、今日はとりあえずもうバイトに行った方がいいよ」


 なんとなくそんな気はしていた。太陽は真っ赤に染まりつつあって、随分と景色がオレンジ色になっている。遅刻してでもまだ会話をしたいけど、梨紗は会話を引き上げようとしている。ただでさえ性急だったと思うのに、ここで会話を強行しようとするのは悪手に思う。でも、引き伸ばして果たしていいのだろうか。メリットデメリットを秤にかければ、それは一向に揺れたままで、私の結論は出ないまま。


「遅刻は良くないよ」

「~~~~っ。 待ってて、また連絡するから。 ごめん、全然スマートじゃなくて」

「奏が謝るところないよ。 ほら、頑張ってね」


 握っていてくれていた手の力が抜ける。私が離せば、それは簡単に離れてしまう。曲の歌詞だったら間違いなく悲恋の歌だ。


 おかしいな、もっとスマートにいくはずだったのにな。自分の今までの行動がこんなにも重りになるなんて、それを考慮に入れてなかったなんて、本当に馬鹿だな。

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