第43話手を伸ばす(2)


 バイトと練習でぎっしりと詰め込まれたスケジュールをなんとか調整して時間を空けたのは、いつもみたいにライブ後に二人になれないかもしれないと思ったから。だって有華ちゃんがいるなら、打ち上げには参加したとしても帰っちゃうに決まっている。そうしたら、次いつ二人になれるかなんて分からない。

 幸い体力は結構ある方で、予定が続くのも苦なタイプじゃない。なにより梨紗に会えるなら、全部なんとかする。


「奏」


 私がもし犬だったら、その声一つで耳がピンって立って尻尾がそわそわと忙しなく揺れ始めるのかもしれない。でもあくまでもいつも通りに、突然見せるのは何事においても悪手な事が多い。変化は、緩やかな方が受け入れやすい。


「ちょっと久しぶり」

「二週間位?」


 そう言って顔を覗き込めば、ほんの少しだけ瞼が開く。その後に肩を押されて、照れ隠しなのか先に歩き出す梨紗の隣に並ぶ。変わらない出だし、これはあくまでクリスマスに向けての予行演習。今まで、きっとお互いに近づこうとはしなかった場所へ私は行きたいと思ってしまったから、梨紗にもそう思ってほしい。今日はそのための準備、なんて散々好き勝手しておいて都合が良すぎるかな。


 人通りの多い道を歩けば、いくつもの店がぎっしりと並んでいる。その一つ一つを見て話しながら、改めて梨紗の関心を探っていく。例えば甘いパンケーキのお店とか、オシャレな喫茶店とか、意外なところで個性的な古着屋とか、関心を引くものなら何でもいい。梨紗が好きそうなシンプルな服が並ぶお店を指させば、梨紗はなんとも曖昧な返事が返ってくる。


「梨紗?」

「奏は?」

「え?」

「奏はこういうの好きなの?」


 こういうの、がお店に並ぶニットや淡いクリーム色のコートたちを指しているのは分かる。問題なのは梨紗が単純に私の好みなのか聞いているのか、好みだったら着ようと思ってくれたりするのかということ。己惚れて良いなら、己惚れるけど。


「梨紗がよく着てる系統に近くない? 似合うと思うなー」


 そう答えてみれば、「ふーん」なんていつも通りのそっけない返事。その後の沈黙はきっと何かを思案している沈黙。だから私はその手を取ってお店へと足を進める。店員さんの耳に通る独特の声を受けながら中に入れば、セールと書かれた棚から新作と書かれた棚までがずらりと並ぶ。繋いだ手は、気づかないふりでそのままにしてしまえ。


「これは? 梨紗に似合いそう」

「え、いや……そう?」


 ぎこちない声に、一向にこちらを見ない顔。どれも真正面から受け止めてしまえば私のブレーキを一つ一つ壊していくみたいだ。そうやって踏み出しそうになる頃合い、淡い期待に胸を膨らませて初めてのキスをしたことを思い出す。同じだけの熱を確かにその瞳に見た気がしたっけ。そんな昔の記憶が警鐘みたいに浮かんでくる。


「そちらの商品は冬の人気商品で——」


 後ろからかかった声に、梨紗の手がするりと逃げていった。試着を進める店員さんに会釈を返せば、梨紗が空気を紛らわせるように会話を始める。弱気になったって仕方ないって分かっていても元来の性格はなかなかどうしようもないものだ。背中をぐっと伸ばして気持ちを引き締める。あれ以来ずっと見ないようにして、それでも誤魔化せなかったから今がある。それを忘れちゃいけない。諦めが良かったら、バンドマンなんてやってないし。


「梨紗」

「ん?」

「クリスマスさ、空いてる?」

「まだ先だから特に何もないけど……ライブ決まったの?」

「それは意地悪してる?」

「え? ……あ」


 見つめた顔は、理解したみたいでゆっくりと赤に染まっていく。それを見ている自分だって、耳が熱いのが分かるし心臓はいつも以上に早くなっている。それを紛らわせるように目の前に掛けられている洋服に手を伸ばす。ニットに、シャツに、カーディガン、並ぶ商品の手触りなんかを感じていれば、長考を終えた梨紗が言葉を紡ぐ。


「空いてる、けど」

「じゃあ頂戴?」


 やりすぎだろうか。これ位ならいつも通りだろうか。自分でも自分の尺度が分からない。もう少しスマートにいきたいんだけどな。思考が一向に纏まらないしすぐに調子に乗ったりすぐに不安になったりする。恋ってそういうものなんだろうか。


「予定入らなければ」

「噓でしょ」


 思わず食い気味に言葉を被せてしまった。先客がいるなら諦めもつくけど、そんな優先順位的に決められると困る。いや、私にそんな権限がないのは確かにそうなんだけど、逆に権限がある人って誰、有華ちゃん?


「フフッ」


 漏れる笑い声に、覗き込めば楽しげな顔。そんな梨紗の反応にどうやら弄ばれたらしいことを知る。それはちょっと趣味が悪いと思うんだけど、そう言えば奏が悪いと一蹴された。どうにも納得がいかない。


「絶対空けておいてね」


 一応念のためそう言えば、梨紗はクスリとまた笑って、それから小さく首を縦に振った。一瞬ひやひやしたけど、結果が良かったから不問としよう。


 一周したお店を出て、次の気になるお店を探していく。雑貨屋を回ったり、家具屋さんを見たりもした。梨紗はやっぱり単色のシンプルなものが好きらしい。それは特段新しい発見ではないけど、それはそれでよしだと思う。


「じゃあこの中だったら……これ好き?」

「結構好き……でもこっちの方が好きかな」


 シンプルで、かつ大きなものよりは小さいほうが好き。指さしたピアスから得た情報を記憶しておく。色は割と可愛い系の色が好きで、ビビッドよりは淡い方が好き。


「奏は? いつもつけてるのからいうと……これとか?」

「え? あー……ふはは、好きだよこれ」


 梨紗が指さしたピアスを手に取って、耳元に近づけて鏡を見てみる。うん、確かに私好みな気がする。裏面に記載された値段も雑貨屋なだけあってかなりリーズナブルだ。かなり金欠だけど、買ってしまおうかな。いやでも、クリスマスも控えているしどうしようか。


「……いや、やっぱり買う」

「え、買うの?」

「うん。 いいなーって思ったから」

「じゃあ私もこれ、買おうかな」


 そう言って梨紗が手を伸ばしたのは、自分が好きだと言った方じゃなくて私が指さしたピアスだった。それを手に取って私に微笑むのは、本当に無自覚にやっているんだろうか。可愛いとかじゃ終わらない欲がゆっくりと湧いてくるのが分かる。今日は夜にはバイトがあるから出来ないのにな。


「こっちでいいの? 好きって言ってた方のが良くない?」

「ううん、こっちがいい」


 気を遣ってるのかなんて分からないけど、そう言って笑ってくれるのが嬉しくない訳はなくて、私は純粋な喜びと邪な欲とで頭と体をぐちゃぐちゃとさせていく。そんな私の事など露知らず梨紗は先にレジへの方へと行ってしまった。


「……あー……」


 ほんと、ずっと私の傍にいてくれないかな。

 私はぐちゃぐちゃに混ざったそれをため息とうなり声でごまかして、レジへと向かった。

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