第42話手を伸ばす

 カチン、と音を立ててグラスを傾ければ、フルーティーな甘い味が喉を潤す。


「いやー、長かった〜」

「本当、決まってよかった」

「結局妥協に妥協を重ねたけどテレワークは勝ち取ったから」


 そう言って有華はカルピスサワーを勢いよく煽っていく。

 無事に就活を終えた密かな祝賀会。こうして有華と2人で過ごすのも久しぶりだった。情報を共有することはあれど同じ職種ではないから面接で会うなんてこともなく、連絡だけが続いていたからだ。


「あとは無事に卒業するだけだね」

「卒論すごい適当らしいし大丈夫じゃない?」

「単位もなんとかなったし後期は講義ゼロだからね、いわゆる最後のモラトリアム!」


 通話で聞いていた死にそうな声から一転、今日はずっと楽しそうだ。溜まっていた分の推しの配信も徹夜する勢いで見ているらしい。体のことは多少心配だけれど、何かに没頭できるのは悪いことではない。人生において楽しみが増えるのはむしろいいことなのだろうと、彼女を見ていれば思う。


「それでりょうちゃんは? 最近どうしてるの?」


 私は次に頼んだ魔王を飲みながらその問いの答えを思案する。結局週一で細やかに続けていたバイトを増やしたりだとか、卒論のための資料を探したりだとか、なんだかんだ就活前とそんなに変わりがないような気もする。開放感はあれど、日常を急激に変えるほどではーーーーいや。


 一つ、あるかもしれない。

 奏がまた、よく連絡をくれるようになった。忙しいことに変わりはないはずなのに、小さな時間を見つけては連絡をくれるようになって、多分、私はそれを毎日楽しみにしてしまっている。日常の中で不意に彼女のことを考えてしまうくらいには熱心に。


「有華って、み……高槻くんのやってるバンド、覚えてる?」


 ここで湊くんと呼ぶと面倒くさいことになるのはわかる。


「覚えてるよ? 結局最初以来行けてないけど良かったよね。 あ、そういえばこの前奏さんから連絡きたよ」

「私の住所聞いたってやつ?」

「そうそう。 どうしてもプレゼント渡したいけど時間が今しかなくてって慌ててるみたいだったからつい教えちゃった。 ごめんね?」


 謝るように両手を顔の前で重ねる有華に怒ってはいないことを伝える。有華のことは信頼しているし、有華が伝えてもいいと思ったのなら問題ない。むしろ問題は違うところにあって。あの日自分の気持ちを認めてしまったことだけれど、今はそれで良かったと思えている。確かに辛いことや悲しいことも多いけれど、この気持ちを持って良かったとも思えているから。


「最近はそのバンドのライブに行ったりするのが楽しい、かな」


 厳密にいえば意味は違うのだけれど、大きな括りに入れてしまえば嘘ではないだろう。奏の歌う歌も好きで、応援しているのだって事実なのだから。


「……高槻くんとは、何もないの?」

「えっと……有華が考えてるようなことはないよ」


 これも嘘じゃない。付き合うとか、そういった話は未だに飲み込みきれていないけれど、高槻くん自身もとても本気だったとは思えないし、言葉通りの意味ではない気がする。もしも、の話でもあったし今意図を考えることでもないのだろう。


「そっかー……でもライブ、私もまた行きたいなー」

「行く? 十月の日程も出てるよ」


 奏との連絡画面を開いて、過去のトーク画面を遡る。全く連絡がなかったのに最近では一日に何通もやり取りをしていて、その履歴にはくすぐったさを覚えた。ライブ日程を記載したトークを見つけて、その日にちだけを有華に伝えてみる。


「なんか、そんなに楽しそうな顔してるりょうちゃん久々に見たかも」

「え?」

「りょうちゃんってざクールキャラじゃん? 意外と口悪かったりするけど顔はあくまで冷静ですって感じだから、なんか今みたいに柔らかいっていうのかな、そんな表情するのすごい久々に見た」

「……私そんな顔してた?」

「してたよ〜なんかこう、日向ぼっこしてる猫見てる時みたいな顔」

「なにそれ」


 自分の手で頬に触れてみてもわかるわけもなかった。それでもそうなってしまう理由には心当たりがあって、私は頬を撫でながら筋肉に力を入れてみる。


「そんな顔で見てるのはこれか〜?」


 有華が体を乗り出して私のスマホを覗き見ようとしてきた。まだ疑われているのだろうか。私は特に見られても困らないその画面を有華に見えるように傾ける。どうやら予想の人と違ったらしく、有華はすぐに自分の席に座り直した。

 この人が私の好きな人だと言えば、有華はどんな反応をするのだろうか。


「誕生日もだけど、りょうちゃん奏さんと仲良いんだね、なんか意外」

「意外?」

「苦手じゃない? ああいう……キラキラした感じ」

「ああ」


 自分でも納得してしまうくらいには、奏は苦手なタイプだと思う。もっと普通に出会っていたら、こうはならなかったんじゃないだろうか。本当に、考えれば考えるほど不思議な場所に立っている。けれど、その選択を一つ一つ選んだのは自分だとも自覚している。

 だから今はこの感情がくれるものを自分なりに感じてみようと思う。苦しくて辛いことも多いけれど、私はそれと同じくらい、奏から楽しさや嬉しさをもらっているとも思うから。


「話してみたらいつの間にかね。 それで、ライブ行く?」


 そう聞いた瞬間に、奏から連絡が来た。直前の会話だと今からバイトだと連絡がきていたから、おそらくバイトが終わったのだろう。有華相手ならと構わないだろうとスマホに手を伸ばす。確認すればやはりその趣旨の連絡だった。私はお疲れ様と返して、その下に奏からもらったスタンプを送る。


「十月二十日だよね、行く行く」

「じゃあ奏に連絡してみるね」

「あ、今連絡してるのも奏さん?」

「うん」

「へー、なんかほんと仲良し」


 この関係をどう言うのがいいのかは未だにわからなくて、私はただ曖昧に笑う。


「チケット取れるか確認してくれるって」

「久しぶりだなー。 CDもらったし聞いておかなきゃ」


 私もライブは純粋に楽しみだ。ライブを重ねるごとにわかる曲が増えていくのも心地いいし、緊張もなく楽しめるようになってきた。久々にみた有華はどんな反応をするのかも純粋に気になった。


「楽しんでもらえるように頑張るね」


 吹き出しの中のメッセージに、今度は自分の頬が緩みそうになるのを自覚する。思わずお猪口の中身をぐっと飲み干して誤魔化せば、ゆっくり飲んだらと有華が笑う。早く、会いたい。自分がそんなふうに思うようになるんだから、この感情は本当に未知数だ。でも、伝えるなんて大それたことはできないけれど、抱えるくらいはしてあげたい。

 今は、そんな風に思う。

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